引き続き上海。現場の32階テラスからの眺め。
上海の中心をゆったり流れるのは、この揚子江支流の黄浦江という川で、この西岸が旧市街地や租界のある外灘(ワイタン)、つまりバンドであり、東岸が浦東(プートン)地区、つまりいまの金融ビジネス街である。
川といったけれど、正確には正しくない。ここは「江」というべきなのかもしれない。
というのは、カワを表すのに我々もよく使う「川」とか「河」、「入り江」とか「三角州」などがあるけれど、これはもともと正確には、「河」とは「黄河」のことであり、「江」とは「長江(下流では揚子江というけれど)」のことを特定して差す文字である。
だから「江」といえば、この揚子江(長江)のことを差すわけで、この川は、その揚子江につながっているので、「黄浦江」と「江」の字を使うそうだ。長江は字のごとく、チベットから流れ出る世界でも有数の長さを誇っている。中学生の知識だけれど、たしか世界で三番目に長い川だ。あ、長い江だ。遥かだね。
ということで、近くを流れる本流の揚子江は、向こう岸がやっと見えるような巨大な大河、いや大江なのだ。だからこの黄浦江はこれだけ広くても支流もいいところ。中国はなんだかんだいって雄大だ。
ところで、暑さのあまりテラスからその黄浦江を見下ろしていると、よく衝突しないな、とおもうくらい船が行き交っているなかで、対岸を往復している2隻の船が眼に入ってきた。
通行ラッシュの合間を縫って、実に巧に、かつ大胆に往復している。片道、たぶん5分もかからない。う~ん、これは上海の「矢切の渡し」だ。
いや、矢切じゃないから、そうね、さしずめ「外灘の渡し」だ。
「つれて逃げてよ」
「ついておいでよ」
夕暮れの雨が降る矢切の渡し
親の心にそむいてまでも
恋に生きたい二人です
かつて1年ほど、矢切、つまり葛飾柴又に住んでいたことがある。当時でさえ、都内では唯一の「渡し」だと聞いた。
そこの船宿の名物が鯉料理で、僕はほとんど苦手な食べ物はないけれど、あるとしたら、たぶん鯉とまむしだったけれど、そこの「あらい」は絶品で、以来、鯉はきちんとした料理人が作れば、うまいものだ、とおもうようになった、という場所なのである。と、遠い記憶がボーっ蘇ってくる・・・やっぱり暑さのせいだ。
なにも、外灘を矢切に見立てる必要はない。そうやって知っているものになぞらえて納得するのは日本人の悪いくせ、いや、もしかしたら独自な文化?かもしれない。
ドナウ川を見て、「こりゃ、木曽川だな」と言った人のことを想い出す。
いずれにしても、この「外灘の渡し」、毎日毎日暑い日も寒い日も、事故もなく、ご苦労さまなことです。
で、あまりに疲れたので、夕飯は、油は避けて、飲茶にしてみたけれど、やっぱり知らないところに行くものじゃない。けっしてまずくはないけれど、なんとなくしつこい。
きっと、早朝の屋台でみたお粥や麺の方が体には良さそうだ。日本人だって、毎日寿司や天ぷらやすき焼きを食べているわけではない。そう、やっぱり庶民が毎日食べるものの方が胃にはやさしいのだ。
といいながら、翌日招待されていったこの店は、上海料理とはいうけれど、どれもやさしい味の絶品でした。
ここは、毛沢東の別荘があったエリアの一角にある超高級店で、とても食事中写真を撮れる雰囲気ではありませんでした。
でも、料理は、食べたこともない絶品チャーシューやいんげんの素炒め、松茸や高級魚など・・・、スモールポーションかつ器や盛りつけも洗練されていて、飲物はワインときた。ああ、ハイソだね。こんな場所もあるのだね。正にヌーヴェル・シノワだ。
なかでも初めてだったのは、アヒルの舌の炒め物。これ超珍味でした。
渋沢龍彦に言わせると、贅を極めたローマ人は、最後に珍しい食物がなくなって、鶏のトサカや舌、中東の虫なんかを食べていたというから、これもその一種かもしれない。
まだまだ知らない食べ物が世の中にはあるものだ。人間の飽くなき探究心は恐ろしい。(は/133)