玉川上水の木漏れ日

 ワヤン・トゥンジュク梅田一座のブログ

■桜の森の満開の下

2015年03月31日 | その他

事務所の近所の公園の桜。母子が賑やかに遊んでいた。

今年も無事、桜が満開になった。

奈良時代までは、「花」といえば「梅」のことを指していた。
桜もあったらしいが、桜は、特段日本原産ではない。むしろ日本にとっては外来種だ。民俗学上は、豊穣を意味する田の神を卜占するアイテムのひとつだったから、要するに、桜が咲けばお祭りをしたのだ。
サクラとは、普通、「咲く」・「ら」である。「ら」は等などに通じる群を表す語なので、「咲くものたち」のようなニュアンスだろうか。「咲く」というものを代表する樹ということであろう。
一方で、吉凶を託すとすれば、「サ」・「クラ」という説も昔から根強い人気がある。
「サ」は田や穀物なども隠喩するというし、サ神信仰も昔からある。サケやサカナのサも同じ。サガミやサイワイのサも同じである。祭りや神事の用語などでよく出て来る「サ」という響きはそういう昔から神聖な音だったのだ。「クラ」はもちろん、座、神の台座だ。
華やかさと神秘さを持っていて、季節のシンボルにもなっていったから、日本人には馴染みやすかったんだろう。
それもあって、平安を少し過ぎた頃になると「花」といえば「桜」になっていく。日本史に詳しい人なら知っているとおもうけど、桜好きであった嵯峨天皇が境目だ。



吉野山の桜。山桜なので色々だ。

まあ、そうやって、世に、桜の名所とか、有名桜とかもできるわけだけれど、その後の桜には、どうも死の匂いがつきまとう。
だいたい桜の名所には古戦場が多い。というか、古戦場の鎮魂のために日本人は桜を植え続けてきたのではないかとすらおもう。東京の開花宣言の基準になる桜も靖国神社の桜だし。
だから、桜は血を吸ってほのかに赤みがさすなどといわれてもいた。
そうした精神性を明らかにしたのは、本居宣長である。「無常観」に加え、日本相伝の「もののあはれ」をかぶせたからだ。それ以来、ず~っと、日本人は、桜に独特の記憶と想いを寄せてきたのだ。
それに、学校や公共施設などにはよく植えられてきたので、日本人としては、どうも、人生の節目には桜と出会うことになってしまった。通過儀礼の付き物のようなものだ。
東大に合格すれば「サクラサク」、落ちれば「サクラチル」だ。昔、地方からおいそれと上京できなかった学生のための電報サービスがそれだ。



高尾にある多摩森林科学園の桜。日本にある全種類があるそうだ。

以前、農水省管轄の桜の研究施設が高尾にあり行ったことがある。誰でも入れるので、ぜひどうぞ。
そこには、日本にある桜の種類が全部あるという。だから、2ヶ月近くに渡って、さまざまな桜を楽しむことができる。
面白かったのは、「アメリカ」という名前のついた品種。これは一旦、ワシントンに渡った桜が改良され、逆輸入されたものだという。アメリカ??
まあね、創作の可能性が高いとされるが、ジョージ・ワシントンも桜の枝を折ったらしいし、きっと昔からあったのだ。

ついでに、ひとつ思い出したことがある。
以前、ダラン所有のアンクルンお披露目公演もやった白川郷の仕事をしているとき、郷内の御母衣ダムの際に「荘川桜」という古木桜があって、多くの観光客で賑わっていたのを見せてもらったことがある。
地元の人に教えてもらったその桜のいわれはだいたいこうだ。
高度経済成長を支える電源を確保するため、この地にダム建設が決定した。住民の反対と無事和解できたのは、電源開発総裁の高橋達之助の熱意によるものだった。涙の握手だったそうだ。
和解のその日、ダム底に水没する村にあった樹齢400年を越える桜の大木を見つけた高橋は、これをなんとか救いたいと考えた。
しかし桜は繊細で最も移植の難しい種。老木となればもっと難しい。「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」と昔から言われている。
さまざまな専門家が知恵を絞り、言い合いながら、ダムにもましてこの難事業は始まったそうだ。
大きなダムの小さなこだわり。この命のリレーが、ダムに沈む村人たちの気持ちを結びつけたという。
なんとか運び上げたものの、問題は、豪雪の冬を越せるのか・・・。春、無事、桜の老木は生き残った。
いまでは毎年見事な花を咲かせ、多くの人々のよりどころになっているという話。
昭和だ。けど、地元の精神的シンボルになっている。
詳細を忘れていたので、ちょっと調べてみたら、これに詳しかった。

http://www.sakura.jpower.co.jp/story/sto00100.html


庄川桜。いまでも多くの人が集まって来るという。


ま、そうこうして、よく今年の桜は早いとか遅いとか、これも温暖化の影響か、などとニュースになったりして、春になれば桜が咲く、と、みんな普通におもっている。
でも、時計をもっているわけでもスマホで話したり打合せしているわけでもないのに、地域ごとに、いっせいに咲きだすことの方が実は「自然の奇跡」というか、不思議だ。
実はこれにははっきりとした理由がある。それはほとんどの桜がソメイヨシノだからだ(またカタカナだ)。
上記のごとく、ソメイヨシノ以外の桜を想像すればわかる通り、全部咲くタイミングは違う。だから、桜が一斉に咲いているわけではなく、ソメイヨシノが一斉に咲いているのだ。
では、なぜ、ソメイヨシノはそんなに一斉に咲くことができるのか。
それは、ソメイヨシノが種子高配ではなく接ぎ木で増やすためだ。つまり彼らは子孫を残さない。要するに同一遺伝子の存在なのだ。ま、早い話が、彼らは親子でも親戚でも兄弟でもなく、日本中、全部自分自身ということ。わっかるかなぁ~。
想像してみてください。なら、こんなに息が合ったものはない。なにせ自分しかいないわけで・・・。
でも、そういう風にいうと、何かソメイヨシノも哲学的だ。
で、なぜ、全国に広まったかというと、それは成長が早いから。案外単純だ。


かの西行も桜好きで知られている。有名過ぎるけれど、これ。

  願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ

「きららぎの望月」とは2月15日、つまりお釈迦様の入滅の日のことである。
私も桜の季節に生まれたので、できれば桜の季節に往生したいとおもっている。
「桜の森の満開の下」、坂口安吾のエンディングの描写は、実に映像的で狂おしかった。(は)