この富士曼荼羅は室町時代末の作といわれ、当時の大宮口から富士山に登る人々の姿が描かれています。室町時代末には、修験者の登山だけではなく、道者といわれる一般の人の登山も盛んに行われていたと思われます。
絵の下段に駿河湾と東海道が描かれ、左下には清見寺と清見ヶ関が描かれていて、西の方からやってくる道者の姿が見られます。そこから、富士川を挟んですぐ上に大宮の浅間神社が大きく描かれています。その右上に現在の村山浅間神社があり、中央に大日堂が描かれています。村山から上には、中宮八幡堂・女人堂・御室大日堂・行者堂等と推定される建物が描かれています。
登山者の姿を追っていくと、東海道から大宮に入り浅間神社で禊ぎをし、大宮口で水垢離を取り、山中の社堂を参詣しながら登山していくようすが分かります。また、中腹から上にいくと女性の姿が見られなくなり、女人禁制の修験の山だったことも分かります。頂上には三体の仏様が描かれ、登山者はそこをめざしています。
当時は山の頂上(御山)は浄土だったのです。富士登山は麓の俗界から山中にわけ入り、心身を清め、苦行して浄土に辿り着くことであり、そこから帰ってくることは清浄無垢に生まれ変わることだと考えられたのです。そうした修行の登山の名残が、「六根清浄」ではなかったのでしょうか。