明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

全国迷所紀行 (5a) 平泉・横手・長岡・千曲川

2016-10-25 21:30:57 | 歴史・旅行
(1)平泉は中尊寺

夏の蒸し暑い午後、ふと思い立って東北をドライブすることにした。前回は6号を北上して仙台・青森から竜飛岬を回ったので、今回は4号をまっすぐ行くことにした。思い立ったまま車に乗り込んで、まずは中尊寺を目指す。用意するものはタバコ2箱とコーヒーだけ、旅といっても普段と何も変わらない。カルタスを駐車場から出して、高速には乗らずに下道を行く。気ままな一人旅、夏の夜はオープンカーにはうってつけの涼しさだ。快調に飛ばし水沢あたりで夜になったので、このまま一気に仙台へ行っても良かったが一泊する事にした。どっちみち何処かで一泊しないと、中尊寺には早く着きすぎるのだ。それで適当に目に付いた宿に泊まることにした。宿は平屋作りの旅館だった。予約なしで行ったので夕食は外に出て食べた(と思う。この辺の記憶は、20年も経つとまるで思い出さない)。翌朝早く出発したのは朧げに覚えている。何故か誰にも会わずに出かけたところを思うと、余程早かったのだろう。夕食は何を食べたのか覚えてない。何処かでパンでも買って食べたのかもしれない。当時私は車で走りに行くと、殆んどちゃんとした食事は取らなかった。

と言っても「走り屋」ではない。ただオープンカーのドライバーズシートに座って流れ行く景色を眺めては、気のゆくままにいつまでも走っているのが好きなだけだった。1日12時間位は走っただろうか、結構な距離である。仙台を越えた辺りで内陸特有の、木々の深い山間のうねった道に入って行った時、突然に目の前に赤い美しい木橋が現れた。とても小さな橋であっという間だったが、古い神社によくかかっているような神橋風の作りで、深い緑の樹木の間からチラッと見えた谷底を滔々と流れる川面に写り込むように、場違いに建っていた。今いちど通ってみれば特に何と言うことのない風景の一つであるが、私にとっては思い出深い橋に美化されてしまっている橋である。またいつか通ってみたい気もするがもう思い出の中で夢のようになっているので、見たら余りのみすぼらしさにきっとがっかりするに違いない。あるいはもっと頑丈な鉄橋になっているか、コンクリートの陸橋などになっていて、橋を渡るという感覚は無くなっているかも知れないのだ。だからこの橋は、私だけの思い出の橋である。

中尊寺のことを書くつもりが、名もない橋の思い出を書いてしまった。中尊寺に到着し駐車場に車を入れて、目当ての金ピカの何とか堂(金色堂、まんまじゃないか!)と言う、覆いがかかっている御堂に入って見た。平泉三代の菩提が眠っているというこじんまりした金だらけの部屋が、麗々しく展示されているだけの呆気ない御堂であった。見に来たお客たちは異口同音に「すごいね、全部金だよ」とか「金箔どんだけ使ってんだろ」と、下世話な話ばっかりである。それが売り物だから正直な反応であるが、なんともはや俗っぽいこと限りないではないか。そんな事なら金なんか貼らなきゃいいのにと、今更ながら足利義政が銀閣を作った理由が、ちょっと分かった気がした。

(2)横手の爆走トラック

大して面白くない中尊寺をさっさと後にし、北上市で左に折れて一路日本海を目指した。横手までいく間に夜になりそうだったが、走る分には好都合だと思って途中どこにも泊まらずにナイトランを楽しむ事にした。オープンカーは、実は夜の走りが最高なのである。昼は風景を見ながらあちこちフラフラ尋ね回る事にしているが、夜は音楽をかけながら星を眺めて走るのが、実は一番の楽しみでなのである。その日の夜も、対向車もない真っ暗な山道をユーミンなぞ大音量で聴きながら、連続したヘアピンカーブをカッコつけて突っ走っていった。「けっこう速いじゃないか」などと自己満足に浸っていると、遠くの方から微かなヘッドライトの明かりが迫ってくる。

後ろから近づいてきたのは、佐川急便の大型トラックであった。うねった山道は細くて、一台通るのがやっとであるが、こっちは小さな 1300cc の車で、向こうはトレーラーのような馬鹿でかいトラック。急カーブの連続した峠道ならトラックに勝ち目はない、と思ったていたのは私のような初心者だけが陥る妄想である。プロのトラック運転手のドライビングテクニックは、あの大きな図体のトラックを苦もなく操って、私が苦労して通り抜けたヘアピンカーブを半端ない速度で通過しながら追ってくる。あれよあれよと言う間に、ヘッドライトが後ろにくっついてしまった。ありゃ〜。

私が必死に逃げようと目を血走らせたのも二、三分だったろうか、まったく無駄な抵抗だったようだ。お尻にくっ付いた佐川急便を何とか退避場所に逃げ込んでやり過ごした後は、どっと緊張が解けてシートにへたり込んでしまった。「わりとやるじゃねーか」などと空元気をぶちかましたが、佐川の運ちゃんにはどう見えていたか。タバコに火を付けるが、ちょっと震えてるかも?

山道のヘアピンカーブは夜になると爆走トラックの専用道路になるってことだけは、下手くそなドライバーの私が身に付けた「人様の迷惑にならない知識の一つ」である(偉そ~に言うな!)。それから後は、佐川のトラックは来なかった。

(3)長岡で夜明かし

水沢でトラックに追いかけられた私は、気を取り直して夜のうちに日本海へ抜け、長岡のあたりを過ぎた頃、路肩の夜間専用の駐車スペースに車を止めた。平泉から回って行った時か竜飛岬から日本海を下って来た時かどちらか忘れたが、この「いつもの駐車スペース」に止める途中で、嵐の真っ只中に入ってしまったことがあった。台風のような土砂降りにも関わらず、私の愛車カルタスは幌から雨漏りすることなど全く無く、完璧な耐水性を示したのは自慢である。スズキの車は出来がいいとは聞いていたが、こういう時にそれを実感するのは嬉しい限りだ。ただし、全然前が見えない。ワイパーが効かない雨量だったので、さすがに運転するのは危ない。そしたらちょうど、いつもの駐車スペースが目の前に現れたってわけだ。

その駐車スペースにはトラックが数台入っていて、皆んな定期便の時間調整を兼ねて仮眠するドライバーばかりだ。僕は邪魔にならないように端っこの前の方の片隅に停めて、運転席のシートを倒し身を屈めて少しの間休んだ。嵐がどのくらい続いたかは覚えてないが、疲れていたせいもあって熟睡したらしい。翌朝日が昇ると、眼の前にいたトラック達はどこかに行ってしまって、広い駐車スペースは僕のオープンカーだけポツンと置いてけぼりを食らったように残っていた。「皆んな忙しいんだよ、暇なのは俺だけさ」と、ニヒルを気取ってドアを開け外に出た。朝日の痛いくらいに眩しい光を体いっぱいに浴び、大きくひとつ伸びをする。ボンネットの雨粒だけが、昨日の大雨を思い起こさせた。

「さーて行くか」、タバコを一本吸ってから運転席に乗り込んだ。雨のすっかり上がった空は、雲一つない最高の青空である。

(4)千曲川を渡る

朝の10時頃、千曲川が視界に入って来た。周りはのどかな畑の続く田園風景、「小諸なる 古城のほとり、雲白く 遊子悲しむ」と藤村の、有名な千曲川旅情の歌の一節を口ずさむ(実はこの一節しか知らない)。何故か千曲川と聞くと純真で物悲しい旅のイメージが頭に浮かぶのは、この詩が広めたようなものかも知れない。陽が高く登り、遠くに霞んだような山の端が青く景色に溶け込んで、私の行く手を指し示している。「晴れた空〜♪」と、こう言うシーンに決まって古い歌が出るのは、年のせいだけではなかろう。古い歌は歌詞が情景にピッタリくるのである、まあ少し古すぎるけどね。

そんなこんなで休日の心ウキウキが車のエンジン音の軽快な調べに乗り、行きかう車も皆楽しそうだ。やっぱりドライブ日和は仕事か遊びかに関係なく、皆んな楽しいのだ。千曲川は長野から新潟に流れる緩やかな大河である。畑に出ている農家の夫婦が、作業の手を休めてこちらを見ていた。都会のオープンカーは田舎道には珍しいのかな、と少し自慢で鼻が上を向いた。本当はどうだか知らないけれど、こういう美しい日には、何でも良い方に解釈して正解である。

僕のカルタスはカーナビから松田聖子を流して、千曲川の川沿いの道を颯爽と走り抜けた。のどかな千曲川は、静かに滔々と流れる。

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