ネットの意見に「鉄道会社に言われる筋合いはない」という意味の反論があった。この意見には、(1)みっともないという意見には賛成だが鉄道会社が言うべきではない、と(2)みっともないという意見には反対だがそもそも鉄道会社が言うべきではない、の2種類がある。もちろん(3)みっともないかはどうでもいいが鉄道会社が言うべきではない、の選択肢も考えられるがとりあえず、(1)と(2)をテーマにしてみよう。
両者に共通しているのは言うべき人を限定している事だ。これは、その人が関係者では無い場合、意見を述べる権利が無いと言うことである。車内で化粧する事で言えば、当人とそれに対する周囲の何人かが当事者で、鉄道会社は客を運ぶタクシーの運転手程度の役割だから、正常な運行に影響しない事とお客に相応の実害がなければ、文句を言う権利が無いと言うことである。つまり鉄道会社が車内で化粧する女性を訴えるには、受けた被害を立証しなければいけない。
この意味ではネットの意見は正しいように見える。公共の場においては、化粧のような私的な行為は慎むべきではあるが、では犯罪かというと被害者がいないのであるから被害を立証できないという結論になる。一件落着。いやちょっと待て、この案件は犯罪か否かを問うているのではない、マナー違反かどうかを問うているのではないか?。つまりマナー違反とは、コンセンサスの問題である。であるならば、鉄道会社だろうが町のおばちゃんであろうが、意見を述べる権利はある。ネットの「鉄道会社は意見を言う権利が無い」という意見は、間違いである。
どうも最近は、意見を言うことが出来るのは当事者あるいは逮捕権を有する警察に限るとする考えが蔓延しているように思える。以前、火気禁止の私有地(葉山の海岸だったような)に入り込んでバーベキューをしている家族が、テレビ局の「ここはバーベキューをしちゃいけないとこですよ」という注意に対して、「あんたに言われたくない!」と言っていたのを思い出した。では、誰に言われれば素直に言うことを聞くのだろうか?。自分より偉い人から注意されるなら、自尊心が傷つかないで素直に従えると言う事らしい。
要は注意の仕方とか物の言いようとかの如何で、自尊心が傷ついたりつかなかったりするらしいのだ。自分より目下の者から注意されるとその者より自分がさらに下になってしまうので、素直に言うことを聞くのは沽券に関わるということなのだろう、小学生並みの知能だ。まさにこういうところに大人かどうかが出ちゃうのだが仕方ない、子供の時から怒られ慣れないと、こういう半端な人間が出来上がる。しつけ不足である。
本題に戻ると、電車の中で化粧をする行為はみっともないかといえば、その通りである。だがいちいち取り立てて言うほどのことでもない。本人の自由である。では、車内でパンツを履き替えるのはどうだろう?。これも本人の自由かというと性器露出の軽犯罪で逮捕されてしまう。裸にならなきゃいいのかと言うと、化粧を容認している女性達であっても、下着姿を公衆の面前で見せることについてはNOであろう。自分なりの線びきがあるのだ。ただ世間的にその線びきを共有するには至ってないだけである。
しかし線びきの判断が異なる、つまり「下品な連中と一緒の電車には乗りたくない」と思う人が大多数の場合、もしくは鉄道会社がそのような客は乗ってほしくないと思った場合、その電車でのみ通用するルールを決めるのは許されるのではないだろうか。レストランにはドレスコードというものがあり、ゴルフ場にもローカルルールというそのゴルフ場でのみ通用するルールが許されているのだから、鉄道会社にも「東急ルール」とか「西武ルール」とかがあっても良いと思うのだがどうだろう。これはこれで各鉄道会社の個性が出て面白いと思うのだが。個人的には化粧して綺麗になったり、驚くほど可愛くなったりするのであればまあまあ許してもいいのかな、とは思っている。ただ、化粧ばえしない顔だけは見ているだけで気持ちが悪くなるので、やめてもらいたい。では、その線びきは誰がするのか?。ああ、結局は最初に戻ってしまった。
女性は、少しでも自分を良く見て欲しい相手には、決して化粧など目の前でしたりしない、それが化粧の目的だからである。つまり化粧を他人の前でしているのは、その人からどう思われているか全く気にしていないことの現れである(どう思われているかについて、女性側で確定している場合もある)。本来は恥ずかしがるところを全く恥ずかしいとも思わないのだから、周りの人々のことは屁とも思っていない、と言うより「私はあんた達なんか屁とも思ってないわ」と宣言しているとも取れるのである。これを心理学的には「ボディランゲージ」と言う。男には侮辱であり、女には非礼である。本人が衆人監視の非難の眼を気にしていないばかりか、何か文句があるのかとでも言わんばかりの態度であるのが、見ている側からすれば「まさに、気に入らない」。
売られた喧嘩は買わなきゃならない、はヤクザ者のルールである。だが皆さんはマトモな市民である、どうすればいいのか。そこで私の取って置きの方法をお教えしよう。
両側に座っている人は席を立って、ゆっくり静かに他の場所に移ることである。大人の対応とは、こんなことには目くじらを立てたりしないもの。本人が気づけば良し、気が付かなければそれまでであるが、周りの大人達には「ちゃんと伝わる」のである。皆心の中では「やんやの喝采」を惜しまないであろう。
なお、実行するときには自己責任でお願いいたします。
両者に共通しているのは言うべき人を限定している事だ。これは、その人が関係者では無い場合、意見を述べる権利が無いと言うことである。車内で化粧する事で言えば、当人とそれに対する周囲の何人かが当事者で、鉄道会社は客を運ぶタクシーの運転手程度の役割だから、正常な運行に影響しない事とお客に相応の実害がなければ、文句を言う権利が無いと言うことである。つまり鉄道会社が車内で化粧する女性を訴えるには、受けた被害を立証しなければいけない。
この意味ではネットの意見は正しいように見える。公共の場においては、化粧のような私的な行為は慎むべきではあるが、では犯罪かというと被害者がいないのであるから被害を立証できないという結論になる。一件落着。いやちょっと待て、この案件は犯罪か否かを問うているのではない、マナー違反かどうかを問うているのではないか?。つまりマナー違反とは、コンセンサスの問題である。であるならば、鉄道会社だろうが町のおばちゃんであろうが、意見を述べる権利はある。ネットの「鉄道会社は意見を言う権利が無い」という意見は、間違いである。
どうも最近は、意見を言うことが出来るのは当事者あるいは逮捕権を有する警察に限るとする考えが蔓延しているように思える。以前、火気禁止の私有地(葉山の海岸だったような)に入り込んでバーベキューをしている家族が、テレビ局の「ここはバーベキューをしちゃいけないとこですよ」という注意に対して、「あんたに言われたくない!」と言っていたのを思い出した。では、誰に言われれば素直に言うことを聞くのだろうか?。自分より偉い人から注意されるなら、自尊心が傷つかないで素直に従えると言う事らしい。
要は注意の仕方とか物の言いようとかの如何で、自尊心が傷ついたりつかなかったりするらしいのだ。自分より目下の者から注意されるとその者より自分がさらに下になってしまうので、素直に言うことを聞くのは沽券に関わるということなのだろう、小学生並みの知能だ。まさにこういうところに大人かどうかが出ちゃうのだが仕方ない、子供の時から怒られ慣れないと、こういう半端な人間が出来上がる。しつけ不足である。
本題に戻ると、電車の中で化粧をする行為はみっともないかといえば、その通りである。だがいちいち取り立てて言うほどのことでもない。本人の自由である。では、車内でパンツを履き替えるのはどうだろう?。これも本人の自由かというと性器露出の軽犯罪で逮捕されてしまう。裸にならなきゃいいのかと言うと、化粧を容認している女性達であっても、下着姿を公衆の面前で見せることについてはNOであろう。自分なりの線びきがあるのだ。ただ世間的にその線びきを共有するには至ってないだけである。
しかし線びきの判断が異なる、つまり「下品な連中と一緒の電車には乗りたくない」と思う人が大多数の場合、もしくは鉄道会社がそのような客は乗ってほしくないと思った場合、その電車でのみ通用するルールを決めるのは許されるのではないだろうか。レストランにはドレスコードというものがあり、ゴルフ場にもローカルルールというそのゴルフ場でのみ通用するルールが許されているのだから、鉄道会社にも「東急ルール」とか「西武ルール」とかがあっても良いと思うのだがどうだろう。これはこれで各鉄道会社の個性が出て面白いと思うのだが。個人的には化粧して綺麗になったり、驚くほど可愛くなったりするのであればまあまあ許してもいいのかな、とは思っている。ただ、化粧ばえしない顔だけは見ているだけで気持ちが悪くなるので、やめてもらいたい。では、その線びきは誰がするのか?。ああ、結局は最初に戻ってしまった。
女性は、少しでも自分を良く見て欲しい相手には、決して化粧など目の前でしたりしない、それが化粧の目的だからである。つまり化粧を他人の前でしているのは、その人からどう思われているか全く気にしていないことの現れである(どう思われているかについて、女性側で確定している場合もある)。本来は恥ずかしがるところを全く恥ずかしいとも思わないのだから、周りの人々のことは屁とも思っていない、と言うより「私はあんた達なんか屁とも思ってないわ」と宣言しているとも取れるのである。これを心理学的には「ボディランゲージ」と言う。男には侮辱であり、女には非礼である。本人が衆人監視の非難の眼を気にしていないばかりか、何か文句があるのかとでも言わんばかりの態度であるのが、見ている側からすれば「まさに、気に入らない」。
売られた喧嘩は買わなきゃならない、はヤクザ者のルールである。だが皆さんはマトモな市民である、どうすればいいのか。そこで私の取って置きの方法をお教えしよう。
両側に座っている人は席を立って、ゆっくり静かに他の場所に移ることである。大人の対応とは、こんなことには目くじらを立てたりしないもの。本人が気づけば良し、気が付かなければそれまでであるが、周りの大人達には「ちゃんと伝わる」のである。皆心の中では「やんやの喝采」を惜しまないであろう。
なお、実行するときには自己責任でお願いいたします。
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