1、新政党のN国党が凄い、と評判
立花議員が、持ち前のルール破り全開手法で、従来の国会概念を「ぶっ壊し」党勢を拡大しようとしている。その異色の活動方針がテレビでも取り上げられて、NHK云々どうこう言う以前に「国会議員としての見識」を疑うと話題になっているが、本当の所はどうなのか、ちょっと真剣に考えてみた。何を隠そう、実は私は今回の選挙で「N国党に投票」した一人である(おお!、先見の明ありってか?)。この立花議員という人間、議員という枠を飛び出した「型破りな発想」が議論を呼んでいる訳だが、その主張には意外と耳を傾けるべき正論が隠されている、というのが私の評価である。まず大前提の「NHKをぶっ潰す」主張から検討しよう。
a. 公共放送の意義
テレビ受信設機を設置したものは(見ると見ないに関わらず)NHK受信料を支払う義務がある、というのが最高裁の結論だ。N国党は、この決まりを撤廃して、代わりにNHKは「スクランブル放送」をすべき、と主張している。要するにCSのようにコマーシャルの入らない「見たい人が視聴料を払う」システムに変えるというのである。正論である。私は以前から、NHKは存在理由がなくなっているから「民放化せよ」という考えなので、この主張には大賛成なのだ。今の経済を動かしている市場原理から逸脱した「黙って払え!」式の居丈高な姿勢に怒りを感じている点はひとまず置いといて、テレビが電気や水道のような「ライフライン=生きていくのに必要不可欠なもの」であれば、一定の価格をつけ強制的に一律収納するという「公共料金体系」を当てはめるのは当然理解できる。利益を追求するのではなく、サービスを充実させるための処置なのだ。つまり、全員加入が前提で、システムを維持することが大事である。何故ならば「人間の生活に必ず必要」だから、受益者負担=全員参加になるのである。ところがテレビ放送という「マスメディアが乱立気味」で、更に「ネットの浸透が加速」していて存立が脅かされている現状を考えれば、もはや「1企業に全員参加させる意味」など、全く無いことは明らかではないか。政府は公共放送の必要性云々を言っているが、正味の話は「まともに主張できる理由がなくなっている」ということなのである。実際はどこの民放も「必要な時にはやる」のだから、無用な心配などしなくても大丈夫な筈なのだ。どこの局だって、「国民が知りたいこと」を他局に放送されて黙っているはずがないではないか。当たり前である、見たい番組が放送されている局は「視聴率が爆上がり」なのは目に見えている。国会中継や政見放送などの政治がらみがNHKの基本的な役割だと思うのだが、それなら「その番組だけ無料放送」にすれば良い。つまり、我が国がいつまでもNHKのような有料公共放送を続けている理由が、どこを探しても「無い」ということをサッサと自白したらいいのである。
b. NHKの集金人は経費無駄遣い
NHKは黙っていても潤沢な視聴料収入が得られるから、競争原理の外にいるわけだ。どこの世界に「製品を売っても売らなくても安泰」な民間企業が許されるというのか。視聴料を払う義務があるというのなら、所得税や住民税同様に「税金」にすればいいではないか。そうすれば「不払い運動」などという不思議なことも起きないし、わざわざ集金人を雇って「払いたくない人を説得」させる必要も無いわけである。何故税金にしないのかと言えば、税金にすると「公共性の証明」を国会ですることになり、与野党が入り乱れた議論が必要になってしまう。もしそうなれば、国民の大多数の後押しを受けた野党の勢いに負けて、「NHK不要論」が勝ってしまうのはを火を見るより明らかである。だから民間企業の体裁を取りつつ、国会の議論を避けているのだ。なんとも姑息ではないか。だから立花議員の国会活動を期待する人が大勢出てくるのである。自民党も、それぐらい分かっていると思うがね。
c. NHKは面白いか
NHKは潤沢な視聴料収入を背景に「やりたい放題の番組作り」を長年続けているから、いまさらスポンサーのご機嫌をとって番組をつくるのは難しいと言うことらしい。そんな殿様商売の会社は潰れたって構わない、というのが資本主義の論理なのだ。あるいは、NHKが公共放送でなくなると困るという意見があって、いまでは希少な「電波の入りにくい場所に住む住人」に、他の皆んなと同じように、テレビ放送を見てもらうことで国民の知る権利を守るのが目的である、と説明する人がいる。果たしてそうだろうか。では、携帯やスマホも同じように電波が届かないのであろうか?。この電波の届かない過疎地の問題は、全国民が一律何千円もの視聴料を払って支えなければならないほどの高額な維持費用がかかるものではないと私は思っている。むしろテレビが見られない人々を救う「ボランティア費用」を捻出するための視聴料であるなら、キチンと「テレビが映らない人を特定して」その費用を計算し、請求書を公表してもらいたいものだ。そしたら、全国民の数で割って私の負担分を支払うことになり、私は何の反対もしないであろう(多分今の視聴料より大幅に安いはずだ)。しかし、そんなにしてまでNHKが見たいのであろうか?。テレビが映らないのだから、他のことだって色々「社会的インフラ」が整ってないだろうし、そんな「住むのにとても不便な場所」にわざわざ好きこのんで住み着いている「変人」のためだけに、バカ高い視聴料を払わされるのはどう考えても変じゃないか。要するに、NHKの経費を国民に払わせる理由が「これだけネットが普及してきた現在」は、どこにも無いのである。だから、面白くなければ見ない、が正論。普通の民放にすれば良いのである。そこでNHKは面白いのか、という話が登場する。勿論たまに面白い番組もあるのは事実だ(ブラタモリなど)。要は視聴者が見たければ、スポンサーが付くだけの話である。今のNHKは放送機材も出演者のギャラも、一般の民放に比べて何から何までが優遇されている、という。自由競争が原則の社会で最初から思いっきりハンデを貰っているのであれば、中にいる人間が「エリート意識の驕り」に毒されて、ロクでもない番組をタレ流すのは当たり前ではないか。このへんで一遍「民放と互角の土俵」に上がって、放送本来の戦う姿勢を見せてほしいものである。
以上、立花議員の「NHKをぶっ潰す!」は正論だった。では、異色の行動とは何なのか?
2、泡沫候補合計で比例2%
今の比例代表制度では、選挙全体で得票数を合算して合否を決めるシステムが取られている。そこで出馬費用300万円を集めるためにネットで金を集めた。立花議員の凄い所は、彼らが「売名候補」であることを隠さないことである。「ポスターを貼る」以外のことは「しなくていい」と説明し、「必ず落ちるから、余計なことはしないでくれ」とまで言い切っている。要は、得票合計に加算させるためだけの「ダミー候補」なのである。できるだけ多くの候補を出して、あぶく銭ならぬ「あぶく投票」をかき集めて一人を当選させる作戦が見事に成功した「正に桶狭間」だ。立花議員に一種の痛快さを感じたのは、私だけではないだろう。彼は相当なストラテジストだと私は見ている。なにより、変な理屈をつけて誤魔化そうとしないところが実に正直であり、はっきりって「作戦勝ち」と言えるのだ。主張するところを達成するためには、法律で許されていることなら「最大限利用して勝つ!」。この驚くほどのストレートな姿勢が、なんとも清々しいではないか。私はこういう常識の枠に縛られない、「自由で直線的な発想の人」が好きである。
3、主義主張お構い無しで政党を構成
NHKをぶっ潰すだけの「1点で共闘する」という驚くべき作戦で議員を集めるという。彼の公約がNHK問題なのだから、ある意味これは順当であるのだ。こないだの「ひるおび」で挙げられていたのが、丸山穂高(戦争発言)・石崎徹(パワハラ自滅)に始まり、細野豪志(民主党から二階派鞍替え)・柚木道義(立憲民主)・井上一徳(落ち目の希望の党幹事長)・中山成彬(同じく落ち目の希望の党代表)・足立康史(百田尚樹批判)・松原仁(元民主落ちぶれ)・青山雅幸(セクハラ疑惑)・笠浩史(元希望の党で無所属)・渡辺喜美(元みんなの党で無所属)・平山佐知子(元民進元フリーアナ)とが名前が挙がっており、これは局が勝手に推測したメンバーだが、よくもこれだけ集めたなという「行き場のないあぶれ者・ゲス集団」である。そんな中で既に丸山議員が合流し、渡辺喜美議員がみんなの党復活という「メンツを保つ」処置をつけたので、早速「会派」を作ることで了承したという。これも作戦勝ちだ。そもそも現在のシステムでは、何より喉から手が出るほどに欲しい「お金」が、会派を作ることで「2千万」も入ってくるというのだから「心が動かない議員」がいる筈もない。しかも立花議員はNHK問題以外は「一切拘束しない」と公言しているのだから、「名前貸し」みたいなもんである。主義主張が何だろうとNHKをぶっ潰しさえすれば構わない、という立花議員の作戦は、落ちこぼれた議員連中の弱みにグサッと刺さる方法で会派をつくり、党を立ち上げることに邁進しているのだ。これは正に「政党政治の崩壊」である。私はもとより政党なるものを全く信じてはいないが、未だに有識者だとかコメンテイターなどの「常識を金科玉条のごとく」大事にしている連中が、その実態に変化が起きていることを無視して旧態依然の主張を繰り返していることに怒りすら覚えるのである。自民党一党独裁といったって、中身は選挙で有利だという「一点で共闘」している烏合の衆ではないか。とにかく主流派の言うことを聞いていれば議員になれるのだから、寄れば大樹の基本論理がまかり通るのも当然である。政党が「数集め」に堕しているのは見れば誰にでも分かるのだ。人数が多ければ勝つし、多ければ主張が通る。それが民主主義である。だが現実は「経済の舵取りをうまくやって、安定した生活を保証してくれるらしい」自民党に投票しているだけで、その他の「経済以外の細かい政治」については「不問に付す」という、民衆の政治的貧困・無知が生んだ「お上の言う通り」の世界が「日本人の政治レベル」なのである。国民一人ひとりが「国の政治を考える」国民にならなければ、民主主義は成立しない。そんな国で「形だけ真似」して政党政治など言っているから、立花議員のような正論が出てくるのである。これまでの政党政治では「表向きの議論よりも、裏でつながって利益誘導をこっそり重視する戦略」が政治を牛耳っていた。立花議員のやり方は「わかりやすい直球勝負」を仕掛けたことで、実は政治に清新な「正当な議論」を要求する作戦である。
4、大阪市長が文句を言った
松井大阪市長が立花議員の視聴料不払いについて、「彼が許されるなら、大阪も払わない」とぶち上げたそうだ。このニュースをテレビで見た時は、彼の「ハイエナ根性」がモロに出たな、と呆れ返った。そもそも法律で規定されているからしょうがなく払っているのに、「払わない人」が堂々と国会議員になっているんだったら「私んとこも払わないよ」という、無茶苦茶な話だ。その理屈の根本は「払いたくないけど法律だから払っているのに、彼だけ支払いを逃れているのは不平等だ」という、完全な当事者意識ゼロの「奴隷根性・政治音痴のアホ発言」である。これが維新の会の代表だというのだから、大阪人もお寒いではないか。大阪市のNHK視聴料が「支払うべき費用かどうか」という視点が全く抜けていて、払わなくてもいいのなら「その公共性など関係なく」何でも払いたくないという、ただのこすっからい吝嗇である。「お上の決めたこと」には黙って反対しないけど、反対する人が「大丈夫そうなら」俺もついでに払わないで済ましたい、という商店の親父以下の感覚ではないか。これが大阪市長という役職にある人間の発言というのでは、維新の掲げる高潔な政治目標は何処に行ってしまったんだろう。こんな発言を公共の電波で堂々と世間に広めているとは、松井市長には「恥ずかしくないのか」と私は言いたい。立花議員の目標は、正にこういう無知な人間に「真実に目覚める機会」を与えることである。お上に言われたら「よく分からない費用」でも黙って払ってしまう「常識的でおとなしい羊のような無害な市民」に、自分の考えを主張する機会を与え「国会で議論する」ことを身を持って体験する、というのが、立花議員のNHK論議である。その他、色々と文句をつける「政治家」を数多く見かけているが、己の不勉強を棚に上げて新しく出て来たヒーローを引き摺り下ろそうとする輩は、次回の選挙で痛い目を見ることになりそうである。
5、ネットによる直接民主主義を主張
NHKが民営化されれば、立花議員は辞めると言っているそうだ。当然である。彼の主張は「NHK問題の解決」だけだから、それ以外は有権者の信任を受けていないのだ。では、問題が一つ出るごとに「毎回選挙する」ことになって大変ではないか、という疑問が出てくる。だからネットで直接民主主義が「正解」なのだ。これは以前から私が言っている「抜本的政治革命」である。人々は、今の国会は我々の声を「一向に取り上げてくれない」と思っているが、この不満が人々の一層の政治離れを引き起こしていることは、投票率5割以下だった今回の参議院選挙が如実に表している。これは裏返せば、一つの案件について「それぞれ、国民が直接投票出来さえすれば」、間違いなく民意が直接反映されることの証明である。これは私がブログでも書いている通り、選挙の常識を根底から覆す最高のアイディアだと思っているのだが、どうだろう。しかも費用は殆どかからずに実行可能だから、税金の節約にも直結する「画期的な方法」である。私は今回の「NHKをぶっ潰す」運動が成功した後は、立花議員には「選挙制度、ひいては代議員制度をぶっ潰す!」に取り組んでもらいたいと願っている。彼の独創力・実行力に加えて、人の気持ちを鷲掴みにして「清濁併せ呑む度量の大きさ」に大いに期待するのである。いわゆる起爆剤的意味では格好の存在であるが、百戦錬磨の悪徳政治家の策略に引っ掛かって「使い捨て」で潰されないよう、最後まで気を許さずに行ってもらいたいと思う。世の中は、こういう生真面目な改革者を許してくれるほど甘くはないから。
以上、N国党について私の考えを述べた。これから彼がどういう行動をとるのか見当もつかないが、やっと出て来た「本物の政治家」として、世間の反応を見守りたいと思う。
参考:私のブログ「選挙制度を考える」2015/8/7
立花議員が、持ち前のルール破り全開手法で、従来の国会概念を「ぶっ壊し」党勢を拡大しようとしている。その異色の活動方針がテレビでも取り上げられて、NHK云々どうこう言う以前に「国会議員としての見識」を疑うと話題になっているが、本当の所はどうなのか、ちょっと真剣に考えてみた。何を隠そう、実は私は今回の選挙で「N国党に投票」した一人である(おお!、先見の明ありってか?)。この立花議員という人間、議員という枠を飛び出した「型破りな発想」が議論を呼んでいる訳だが、その主張には意外と耳を傾けるべき正論が隠されている、というのが私の評価である。まず大前提の「NHKをぶっ潰す」主張から検討しよう。
a. 公共放送の意義
テレビ受信設機を設置したものは(見ると見ないに関わらず)NHK受信料を支払う義務がある、というのが最高裁の結論だ。N国党は、この決まりを撤廃して、代わりにNHKは「スクランブル放送」をすべき、と主張している。要するにCSのようにコマーシャルの入らない「見たい人が視聴料を払う」システムに変えるというのである。正論である。私は以前から、NHKは存在理由がなくなっているから「民放化せよ」という考えなので、この主張には大賛成なのだ。今の経済を動かしている市場原理から逸脱した「黙って払え!」式の居丈高な姿勢に怒りを感じている点はひとまず置いといて、テレビが電気や水道のような「ライフライン=生きていくのに必要不可欠なもの」であれば、一定の価格をつけ強制的に一律収納するという「公共料金体系」を当てはめるのは当然理解できる。利益を追求するのではなく、サービスを充実させるための処置なのだ。つまり、全員加入が前提で、システムを維持することが大事である。何故ならば「人間の生活に必ず必要」だから、受益者負担=全員参加になるのである。ところがテレビ放送という「マスメディアが乱立気味」で、更に「ネットの浸透が加速」していて存立が脅かされている現状を考えれば、もはや「1企業に全員参加させる意味」など、全く無いことは明らかではないか。政府は公共放送の必要性云々を言っているが、正味の話は「まともに主張できる理由がなくなっている」ということなのである。実際はどこの民放も「必要な時にはやる」のだから、無用な心配などしなくても大丈夫な筈なのだ。どこの局だって、「国民が知りたいこと」を他局に放送されて黙っているはずがないではないか。当たり前である、見たい番組が放送されている局は「視聴率が爆上がり」なのは目に見えている。国会中継や政見放送などの政治がらみがNHKの基本的な役割だと思うのだが、それなら「その番組だけ無料放送」にすれば良い。つまり、我が国がいつまでもNHKのような有料公共放送を続けている理由が、どこを探しても「無い」ということをサッサと自白したらいいのである。
b. NHKの集金人は経費無駄遣い
NHKは黙っていても潤沢な視聴料収入が得られるから、競争原理の外にいるわけだ。どこの世界に「製品を売っても売らなくても安泰」な民間企業が許されるというのか。視聴料を払う義務があるというのなら、所得税や住民税同様に「税金」にすればいいではないか。そうすれば「不払い運動」などという不思議なことも起きないし、わざわざ集金人を雇って「払いたくない人を説得」させる必要も無いわけである。何故税金にしないのかと言えば、税金にすると「公共性の証明」を国会ですることになり、与野党が入り乱れた議論が必要になってしまう。もしそうなれば、国民の大多数の後押しを受けた野党の勢いに負けて、「NHK不要論」が勝ってしまうのはを火を見るより明らかである。だから民間企業の体裁を取りつつ、国会の議論を避けているのだ。なんとも姑息ではないか。だから立花議員の国会活動を期待する人が大勢出てくるのである。自民党も、それぐらい分かっていると思うがね。
c. NHKは面白いか
NHKは潤沢な視聴料収入を背景に「やりたい放題の番組作り」を長年続けているから、いまさらスポンサーのご機嫌をとって番組をつくるのは難しいと言うことらしい。そんな殿様商売の会社は潰れたって構わない、というのが資本主義の論理なのだ。あるいは、NHKが公共放送でなくなると困るという意見があって、いまでは希少な「電波の入りにくい場所に住む住人」に、他の皆んなと同じように、テレビ放送を見てもらうことで国民の知る権利を守るのが目的である、と説明する人がいる。果たしてそうだろうか。では、携帯やスマホも同じように電波が届かないのであろうか?。この電波の届かない過疎地の問題は、全国民が一律何千円もの視聴料を払って支えなければならないほどの高額な維持費用がかかるものではないと私は思っている。むしろテレビが見られない人々を救う「ボランティア費用」を捻出するための視聴料であるなら、キチンと「テレビが映らない人を特定して」その費用を計算し、請求書を公表してもらいたいものだ。そしたら、全国民の数で割って私の負担分を支払うことになり、私は何の反対もしないであろう(多分今の視聴料より大幅に安いはずだ)。しかし、そんなにしてまでNHKが見たいのであろうか?。テレビが映らないのだから、他のことだって色々「社会的インフラ」が整ってないだろうし、そんな「住むのにとても不便な場所」にわざわざ好きこのんで住み着いている「変人」のためだけに、バカ高い視聴料を払わされるのはどう考えても変じゃないか。要するに、NHKの経費を国民に払わせる理由が「これだけネットが普及してきた現在」は、どこにも無いのである。だから、面白くなければ見ない、が正論。普通の民放にすれば良いのである。そこでNHKは面白いのか、という話が登場する。勿論たまに面白い番組もあるのは事実だ(ブラタモリなど)。要は視聴者が見たければ、スポンサーが付くだけの話である。今のNHKは放送機材も出演者のギャラも、一般の民放に比べて何から何までが優遇されている、という。自由競争が原則の社会で最初から思いっきりハンデを貰っているのであれば、中にいる人間が「エリート意識の驕り」に毒されて、ロクでもない番組をタレ流すのは当たり前ではないか。このへんで一遍「民放と互角の土俵」に上がって、放送本来の戦う姿勢を見せてほしいものである。
以上、立花議員の「NHKをぶっ潰す!」は正論だった。では、異色の行動とは何なのか?
2、泡沫候補合計で比例2%
今の比例代表制度では、選挙全体で得票数を合算して合否を決めるシステムが取られている。そこで出馬費用300万円を集めるためにネットで金を集めた。立花議員の凄い所は、彼らが「売名候補」であることを隠さないことである。「ポスターを貼る」以外のことは「しなくていい」と説明し、「必ず落ちるから、余計なことはしないでくれ」とまで言い切っている。要は、得票合計に加算させるためだけの「ダミー候補」なのである。できるだけ多くの候補を出して、あぶく銭ならぬ「あぶく投票」をかき集めて一人を当選させる作戦が見事に成功した「正に桶狭間」だ。立花議員に一種の痛快さを感じたのは、私だけではないだろう。彼は相当なストラテジストだと私は見ている。なにより、変な理屈をつけて誤魔化そうとしないところが実に正直であり、はっきりって「作戦勝ち」と言えるのだ。主張するところを達成するためには、法律で許されていることなら「最大限利用して勝つ!」。この驚くほどのストレートな姿勢が、なんとも清々しいではないか。私はこういう常識の枠に縛られない、「自由で直線的な発想の人」が好きである。
3、主義主張お構い無しで政党を構成
NHKをぶっ潰すだけの「1点で共闘する」という驚くべき作戦で議員を集めるという。彼の公約がNHK問題なのだから、ある意味これは順当であるのだ。こないだの「ひるおび」で挙げられていたのが、丸山穂高(戦争発言)・石崎徹(パワハラ自滅)に始まり、細野豪志(民主党から二階派鞍替え)・柚木道義(立憲民主)・井上一徳(落ち目の希望の党幹事長)・中山成彬(同じく落ち目の希望の党代表)・足立康史(百田尚樹批判)・松原仁(元民主落ちぶれ)・青山雅幸(セクハラ疑惑)・笠浩史(元希望の党で無所属)・渡辺喜美(元みんなの党で無所属)・平山佐知子(元民進元フリーアナ)とが名前が挙がっており、これは局が勝手に推測したメンバーだが、よくもこれだけ集めたなという「行き場のないあぶれ者・ゲス集団」である。そんな中で既に丸山議員が合流し、渡辺喜美議員がみんなの党復活という「メンツを保つ」処置をつけたので、早速「会派」を作ることで了承したという。これも作戦勝ちだ。そもそも現在のシステムでは、何より喉から手が出るほどに欲しい「お金」が、会派を作ることで「2千万」も入ってくるというのだから「心が動かない議員」がいる筈もない。しかも立花議員はNHK問題以外は「一切拘束しない」と公言しているのだから、「名前貸し」みたいなもんである。主義主張が何だろうとNHKをぶっ潰しさえすれば構わない、という立花議員の作戦は、落ちこぼれた議員連中の弱みにグサッと刺さる方法で会派をつくり、党を立ち上げることに邁進しているのだ。これは正に「政党政治の崩壊」である。私はもとより政党なるものを全く信じてはいないが、未だに有識者だとかコメンテイターなどの「常識を金科玉条のごとく」大事にしている連中が、その実態に変化が起きていることを無視して旧態依然の主張を繰り返していることに怒りすら覚えるのである。自民党一党独裁といったって、中身は選挙で有利だという「一点で共闘」している烏合の衆ではないか。とにかく主流派の言うことを聞いていれば議員になれるのだから、寄れば大樹の基本論理がまかり通るのも当然である。政党が「数集め」に堕しているのは見れば誰にでも分かるのだ。人数が多ければ勝つし、多ければ主張が通る。それが民主主義である。だが現実は「経済の舵取りをうまくやって、安定した生活を保証してくれるらしい」自民党に投票しているだけで、その他の「経済以外の細かい政治」については「不問に付す」という、民衆の政治的貧困・無知が生んだ「お上の言う通り」の世界が「日本人の政治レベル」なのである。国民一人ひとりが「国の政治を考える」国民にならなければ、民主主義は成立しない。そんな国で「形だけ真似」して政党政治など言っているから、立花議員のような正論が出てくるのである。これまでの政党政治では「表向きの議論よりも、裏でつながって利益誘導をこっそり重視する戦略」が政治を牛耳っていた。立花議員のやり方は「わかりやすい直球勝負」を仕掛けたことで、実は政治に清新な「正当な議論」を要求する作戦である。
4、大阪市長が文句を言った
松井大阪市長が立花議員の視聴料不払いについて、「彼が許されるなら、大阪も払わない」とぶち上げたそうだ。このニュースをテレビで見た時は、彼の「ハイエナ根性」がモロに出たな、と呆れ返った。そもそも法律で規定されているからしょうがなく払っているのに、「払わない人」が堂々と国会議員になっているんだったら「私んとこも払わないよ」という、無茶苦茶な話だ。その理屈の根本は「払いたくないけど法律だから払っているのに、彼だけ支払いを逃れているのは不平等だ」という、完全な当事者意識ゼロの「奴隷根性・政治音痴のアホ発言」である。これが維新の会の代表だというのだから、大阪人もお寒いではないか。大阪市のNHK視聴料が「支払うべき費用かどうか」という視点が全く抜けていて、払わなくてもいいのなら「その公共性など関係なく」何でも払いたくないという、ただのこすっからい吝嗇である。「お上の決めたこと」には黙って反対しないけど、反対する人が「大丈夫そうなら」俺もついでに払わないで済ましたい、という商店の親父以下の感覚ではないか。これが大阪市長という役職にある人間の発言というのでは、維新の掲げる高潔な政治目標は何処に行ってしまったんだろう。こんな発言を公共の電波で堂々と世間に広めているとは、松井市長には「恥ずかしくないのか」と私は言いたい。立花議員の目標は、正にこういう無知な人間に「真実に目覚める機会」を与えることである。お上に言われたら「よく分からない費用」でも黙って払ってしまう「常識的でおとなしい羊のような無害な市民」に、自分の考えを主張する機会を与え「国会で議論する」ことを身を持って体験する、というのが、立花議員のNHK論議である。その他、色々と文句をつける「政治家」を数多く見かけているが、己の不勉強を棚に上げて新しく出て来たヒーローを引き摺り下ろそうとする輩は、次回の選挙で痛い目を見ることになりそうである。
5、ネットによる直接民主主義を主張
NHKが民営化されれば、立花議員は辞めると言っているそうだ。当然である。彼の主張は「NHK問題の解決」だけだから、それ以外は有権者の信任を受けていないのだ。では、問題が一つ出るごとに「毎回選挙する」ことになって大変ではないか、という疑問が出てくる。だからネットで直接民主主義が「正解」なのだ。これは以前から私が言っている「抜本的政治革命」である。人々は、今の国会は我々の声を「一向に取り上げてくれない」と思っているが、この不満が人々の一層の政治離れを引き起こしていることは、投票率5割以下だった今回の参議院選挙が如実に表している。これは裏返せば、一つの案件について「それぞれ、国民が直接投票出来さえすれば」、間違いなく民意が直接反映されることの証明である。これは私がブログでも書いている通り、選挙の常識を根底から覆す最高のアイディアだと思っているのだが、どうだろう。しかも費用は殆どかからずに実行可能だから、税金の節約にも直結する「画期的な方法」である。私は今回の「NHKをぶっ潰す」運動が成功した後は、立花議員には「選挙制度、ひいては代議員制度をぶっ潰す!」に取り組んでもらいたいと願っている。彼の独創力・実行力に加えて、人の気持ちを鷲掴みにして「清濁併せ呑む度量の大きさ」に大いに期待するのである。いわゆる起爆剤的意味では格好の存在であるが、百戦錬磨の悪徳政治家の策略に引っ掛かって「使い捨て」で潰されないよう、最後まで気を許さずに行ってもらいたいと思う。世の中は、こういう生真面目な改革者を許してくれるほど甘くはないから。
以上、N国党について私の考えを述べた。これから彼がどういう行動をとるのか見当もつかないが、やっと出て来た「本物の政治家」として、世間の反応を見守りたいと思う。
参考:私のブログ「選挙制度を考える」2015/8/7
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