明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

考えるヒント(12)歩道で人をはねて死亡させた97歳のドライバー

2022-11-21 12:55:15 | 今日の話題

1、菊正ピンが旨い!
常備酒の「家呑み用」にどうかな?と思ってちょっと飲んでみたが、これが思ったより相当美味かった!。酸味は微かに感じる程度で柔らかな舌触りとほのかな甘みがあり、喉越しが軽くスッキリしているから気持ちよく飲める。近所のスーパーには常時置いてあるから、切らしてもちょっと歩けば買ってこれるところが便利である。一時は友人のSY氏が勧める「鬼殺し(セブンイレブンで売っている方)」の900mlが飲みやすいと思ってそればっか飲んでいた時期があったが、どうやら「主役交代」となりそうである。人に勧めるほどではないが、クォリティはかなり高そう。一度試してみると良いと思います。

2、夢
私は夢には余り良い思い出がない。若い頃は「死ぬ夢」ばかり見ていた。地面に首だけ出して埋められるとか、洞窟の中でエイリアンに襲われるとか。とにかく3日位続けて同じ夢を見るので「これ昨日見たのと同じじゃん?」と思いながら、最後には殺されるのである。殺されると言っても「死ぬ瞬間の断末魔の苦しみ」がどうとか言うのではなく、「ああ、死ぬんだな」と自覚した時に目が覚めるのだった。だから正確には「殺されると分かった」ところで目が覚めるから、死ぬまでは見ていない。これがどういう意味なのか、「夢判断」を受けたことはないのでわからないが、どうせ良くない内容には違いない。ところが最近は年取ったせいか、死ぬ夢はほとんど見なくなったのである(これが良い事なのかどうなのかは分からない)。その代わりに街中や電車やマンションなどの、人が大勢いる場所を舞台にして、その中を自分が移動して「建物を出たり入ったりする」夢が多くなったのである。遠くに見えるショッピングモールまで林の中の坂道を下っていく夢とか、町の商店街をぐるっと回ったところの洋服屋で買い物をしている夢とか、自転車に乗って神社や寺の脇道を疾走する夢だとか、色々である。同じ夢を3、4回連続して見るというのは変わってないので、「また同じ場所じゃん」と思いながら見ているのだ。これと言って悪夢ではないので「まあいいか」と放置してはいるが、何かの前触れなんだろか。今に「死後の花畑」なんか夢にみるかと思うと、ゾッとするねぇ。

3、高齢者の運転
ついこないだ、97歳のドライバーが「歩道を走って」人をはねた事故があった。今は75歳になったら免許更新に認知症検査が必要とされるそうだが、根本的な問題解決には至らないのが現状である。地方ではまだまだ車がないと生活がままならないということで、どうしても車が手放せないのが原因だというのだが。

しかしこれは、「安全に運転できない人」は免許を取り上げると考えるから、問題が残ると思う。健康に問題があろうと無かろうと、80歳になったら「運転は出来ない」、とするべきではないだろうか。それが解決の第一歩である。特に運転免許のような「他人に深刻なダメージを与え得る技能」については、徹底的な資格審査が必要だ。だが、運転免許試験場の審査では、「加齢による反射神経の劣化」についてはキチンとした「見極め」のテストが出来ていないと思う。例えばゴルフでは、年を取ると「誰でも飛距離が落ちる」ものだ。他の色々な技能についても加齢による衰えは充分あり得るし、運転免許だけが例外であるなら「80歳のF1ドライバー」がゾロゾロいても不思議ではない筈である。要するに、何んにでも「終わり」はあるという事。運転免許だって、ある年齢になれば「返納する」のが、良識ある大人のすることじゃないだろうか。ちなみに私は65歳の時に返納した。まあ、脳梗塞になってリハビリ中に免許更新時期が来て試験場ではOKが出たのに、病院の担当医が「ダメ出し」したので、泣く泣く返納したのである(この医師はいいかげんな奴で、私は今でも恨んでいる!)。とにかく返納すると生活手段が奪われるというのが、返納が進まない理由だと言われている。しか、しだからと言って「手をこまねいて」いるのでは、交通行政の安全確保は達成出来なくなると思うのだが、イマイチ政府のほうで乗り気でないのが問題だ。

私は屋根付きの3輪電動自転車を開発して、車の代わりに高齢者に乗ってもらえば良いと思う。最高速度は25キロ程度に抑え、「荷物もちゃんと積める」ような仕様なら問題はないのではないか。多分、使う側が「高齢者専用でカッコ悪い」という理由で導入しないのであろうが、ここで体面を気にしている場合ではないと私は思う。80歳になれば運転免許を返納して、「3輪電動自転車」を使うように強制することが大事である。誰もがこの自転車に乗るとなれば、自然に皆んなが認知するようになって、いずれベンツやセルシオの自転車も出て来るようになるのでは、と想像する。勿論4輪の仕様もあり、大人4人が乗って快適に走れる電動自転車も開発されれば、十分に車の代用は務まるのではないだろうか。また、この電動自転車は「子供を乗せて」走れる仕様にも出来るので、地方では便利な乗り物として「大活躍」するのではと思う。早く高齢者対策として導入して置けば、池袋の暴走老人のような事故は「防げた」筈である。

そして「車の方」にも全車「安全装置」を義務付けて、車検でアクセルとブレーキの踏み間違え防止装置と衝突回避ブレーキシステムを装備してない車は、認可が下りないように規制すれば、事故を未然に防ぐことが出来ると思う。当初は65歳以上は必須とし、数年以内には「全車標準装備」させるのが基本である。要は、現在の車社会をそのような安全な環境に作り変えるかどうか、である。高いけど安全な車と安いけど危険な車の「どちらを選択するか?」というような、「運転者目線」でものを考えるのではなく、歩行者の立場で「安全は絶対条件」と考えなければ、いつまで経っても不幸な事故は無くならない。

考えて躊躇する時期は過ぎた。もう、行動を起こすときである。

4、引っ越しの条件
いずれは何処かに引っ越して静かに余生を過ごそうとは思っているが、出来れば書斎の窓から表通りが見えて、行き交う人々の表情などが遠目に見える、ってのが理想である(もう余生に入っているんじゃないのか?)。まあ年の事は放っておくとして、家を出たら日課の散歩がてら「いつものお気に入りの喫茶店」に寄る、というのが楽しい。そこで挽きたてのコーヒーをチビチビ飲みながら、文庫本を読みつつブログの構想を練る、なんてのがいいね。そして天気の良いひにいは自転車に乗ってツーリングなどに出かけ、見晴らしのいい峠のレストランなどの窓際に座り、風景を愛で、昼食にノンアルコールビールとハンバーグを満喫して家路につく、なんて生活ができたら最高である。勿論近所の友達と連れ立って走るのも良し、独りで「心行くまで景色を楽しむ」のもまた楽しからずや、という心境である。

今住んでいる「柏」は、少々がさつで文化施設も歴史もないから対象からは外れるが、「奈良か」もしくは「大分」あたりは郊外に自然も豊かだし、気候も温暖で暮らしやすいのでちょっと気持ちが動いている。85歳くらいになって介護施設のお世話になる前に、もう一花咲かせたいと思っているが「出来る」だろうか?


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