さて私の年齢は2017年3月で67歳である。私は生まれてこの方ずっと誕生日には「○○歳になる」と思っていた。それがこの間たまたま生命保険の年金が振り込まれてくる回数を案内する手紙が届いて計算すると実際の年齢と違っていて、表示されている年齢は誕生日の年齢より1つ多いということがわかったのだ。つまり私は、現在68歳ということである。オーマイガッ、何ということだ!だが実際は生まれて1年間生きてきた最終日の「翌日」つまり「2年目の最初の日に」1歳の誕生日が来る!これってどう考えても「おかしい」でしょう?。まるまる1年間生きてきたわけであるから、誕生日はどう考えても2歳の「誕生日」でなくてはならない、というのが私の主張である。人生の節目は必ず「最初の日」を指す。お酒が飲めるのは20才の誕生日を過ぎてからで、皆20才になる日を心待ちにしているのだ。だが真実は「20年間生きてきて、20才の誕生日は21才の始まり」なのである!20才になったから酒が飲めるわけではなくて、「20年間を生きたから」が正しいのだ。つまり何が言いたいのかと言うと、「○○になる」という表現はすべて「○○になった最初の日」を指している。大学生になる、社会人になる、社長になる、皆そうだ。なのに年齢だけが「○○年間生きてから○○才と呼ぶ」という。20歳の誕生日の前の日はまだ19歳だが、実際は「19歳と364日経っている」のだ。ほとんど20歳と言っても良い年齢ではないか、これは絶対におかしい。
だが昔から言葉の上でも「満年齢」というのがあり、私の言っているのは「数え年」なのである。元はみんな「数えの方が一般的」であったと聞く。一方、満年齢は「過去を大事にする思想」である。人の年齢を数えるのに「何年生きたか」という表現でいうのは、余りに人間を「単なる対象物としか見ていない」ように思えるのだ。樹木の年齢を「樹齢800年」と言えば、800年経っていて、今は801年目の樹を指す。樹木に対しては、それで問題ない。岩でも化石でもその他生物一般であっても、それは統一されていて「生まれてから何年経ったか」で表現されていいと思う。だが人間が「自分の意識の中で、自分自身を表現する方法」としては」、即物的すぎるのではないかと思うのである。自分で自分の年齢を申告する場合、二十歳の若者は「いま、リアルタイムで20歳の一年を生きている」という意識こそが、当たり前に許されることでは無いかと思う。人間は動物と違って「主体的に人生を生きている」のだ。20歳の一年を生きて誕生日になる前の日に「つまり12ヶ月が経って」、初めて20歳の輝かしい一年が「完了する」のである。誕生日は「新しい一年の始まり」であるべきだ。そう考えて初めて人生が「自分のもの」として認識できるのである。これは主体性の問題でもある。
だから生まれたばかりの赤ちゃんは、0歳ではなく「1歳」と数えなければならないのである。他人が見て何年生きたかではなく、「何年目の人生を生きている」と考える、そう言う風に自分の人生を大切に生き、他人の人生を同じように大切にする習慣がなければ、世の中はギスギスしたつまらないものとなってしまうのではないだろうか。これが今日私が考えたことである。
だが昔から言葉の上でも「満年齢」というのがあり、私の言っているのは「数え年」なのである。元はみんな「数えの方が一般的」であったと聞く。一方、満年齢は「過去を大事にする思想」である。人の年齢を数えるのに「何年生きたか」という表現でいうのは、余りに人間を「単なる対象物としか見ていない」ように思えるのだ。樹木の年齢を「樹齢800年」と言えば、800年経っていて、今は801年目の樹を指す。樹木に対しては、それで問題ない。岩でも化石でもその他生物一般であっても、それは統一されていて「生まれてから何年経ったか」で表現されていいと思う。だが人間が「自分の意識の中で、自分自身を表現する方法」としては」、即物的すぎるのではないかと思うのである。自分で自分の年齢を申告する場合、二十歳の若者は「いま、リアルタイムで20歳の一年を生きている」という意識こそが、当たり前に許されることでは無いかと思う。人間は動物と違って「主体的に人生を生きている」のだ。20歳の一年を生きて誕生日になる前の日に「つまり12ヶ月が経って」、初めて20歳の輝かしい一年が「完了する」のである。誕生日は「新しい一年の始まり」であるべきだ。そう考えて初めて人生が「自分のもの」として認識できるのである。これは主体性の問題でもある。
だから生まれたばかりの赤ちゃんは、0歳ではなく「1歳」と数えなければならないのである。他人が見て何年生きたかではなく、「何年目の人生を生きている」と考える、そう言う風に自分の人生を大切に生き、他人の人生を同じように大切にする習慣がなければ、世の中はギスギスしたつまらないものとなってしまうのではないだろうか。これが今日私が考えたことである。
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