世の中に自分の居場所の無い人間が増えた。何らかのグループに所属することは人間に取って不可欠のように見える。人間が動物の一種である事は疑いようの無い事で、その動物的側面を「社会性=グループに属する性質」と言う。理屈や思考でなく本能的に何かのグループに属していると安心する、そういう性質を人間は持っているのである。オギャーと生まれて親の哺育環境から独立するまでを幼少期とすれば、社会性を徐々に身につけて色々な人間の種類を記憶にインプットし自己形成していくのも、この幼少期に行われる。そして巣立ちの日がやって来るのだ。
ところが人間はいかんせん長生きし過ぎて80歳まで普通に生きる時代になった。その結果本来なら12か13位で一本立ちするのに、今じゃ22か23にもなってやっと成人式である。そのために身体の成育カーブと精神の成熟が合わなくなっているのだ。近年に多くなってきた精神破綻の犯罪の多くが、この心身不揃いな成長過程の歪みの産物である。人は目上の人から怒られて社会性を身につけ成長してゆく。その時期つまり大人になる時期にしっかりとした「躾け」を経ないで、色々な不平不満を自問自答しつつ社会に対して自分なりの答えを見つけ、仕事を覚えながら自分の居場所を見つけてゆくという、人生の一番大事なことを誰からも教えてもらえないまま過ぎてしまった子供大人が世の中に充満しているのだ。
目立ちたいという欲求は子供の物だが、それをもう身体の成長は出来上がりつつある中高生がやっている。もう一人前の責任ある仕事をさせて、社会の中で自分の居場所を探さなければいけない時期なのだ。その時期は、先輩や得意先から怒鳴られ怒られる時期でもある。怒鳴られて謝って説教されて、それを続けるうちに一人前になる。彼我の力の差が歴然としているうちに、黙って覚えていくのが仕事なのだ。反論などしている暇は無い。まだ半人前、知らない事が多過ぎて覚える事で精一杯の時期だからこそ、教える方も隅々まで叩き込む事が可能なのだ。親が子を哺育するように、親方や先輩は新人を教育する。だから「先輩の愛情も、ここから生まれる」のだと思う。自分に任されていると思えば、教育して一人前にすると同時に、後輩を周りの叱責から守ってやる責任も生まれる。それが社会性・自分の居場所である。
それは12歳から18歳のティーンエイジャーで達成されなければいけない。何故なら身体の方は18にもなればいっぱしの大人であるからである。身体と精神がリンクして初めて、まともな大人になれる。この事実を忘れて、金のために一流大学を目指して勉強することが国民全員の努力目標になってしまった。今は、怒られる事なく22になって、頭でっかちの「自分は立派な大人だ」と思い込んで社会に出て行く。見た目は勿論充分な大人だ。しかし中身は、社会の中で揉まれてない無菌室で育ったモルモットのような、自己愛満点の異常な人格になっている。
今はそうやって育った世代が年金を貰っている。孫や曽孫が社会に出て行く時代になったのである。私はもう一度最初に戻って、15歳くらいで仕事に就くことを全国民に強制するのが良いと思う。勉強は社会人になって先輩から学ぶのである。学問を選んだ者は、その後も学問の世界に自分の居場所を見つける道を進む。もし成功しなければ、用務員になる。つまり、中学卒業職業選択制である。ただし昔と違ってチャンスは用意してある。17歳と25歳と2回、職業再選択の自由を保障して、自分の人生をやり直せるのだ。いいでしょう?
何はともあれ人に自分の行為を注意されたら、「済みません」と言って謝ることを覚えよう。人間は年を取ると謝る事が難しくなる。文句を言う時は、一瞬我慢して自分の怒りが正しいかどうか確認すること。感情に任せて怒鳴るのではなく、間違いを指摘してお互いに「気をつけます」や「どうも」などの穏やかなやり取りを心掛けるようにしよう。そうすればもっと生きやすい世の中になる(筈である)。
トラブルの原因は全て、自分は一人前だという驕りである。「なんだ?お前なんかにあれこれ言われるようなオレ様だと思うのか?ふざけんな!」という感情がそれである。何の理由もない。ただ不愉快な態度が気に入らない、それだけ。相手が「ヤクザやプロレスラーくずれ」の場合は、「済みません」とすごすご謝る。注意された事実の是非ではなく、自分より強いか弱いかであり何かを注意するような「上下関係」があるかないかである。まともな人間ではない。だが、これが一般的になりつつあるのが今の世の中ではないか。曰く「あんたに言われる筋合いは無い」である。随分な言い方ではないか、何様のつもり?である。
やはり自戒も込めて、もう一度自らを見つめ直しても良い時かも知れない。
ところが人間はいかんせん長生きし過ぎて80歳まで普通に生きる時代になった。その結果本来なら12か13位で一本立ちするのに、今じゃ22か23にもなってやっと成人式である。そのために身体の成育カーブと精神の成熟が合わなくなっているのだ。近年に多くなってきた精神破綻の犯罪の多くが、この心身不揃いな成長過程の歪みの産物である。人は目上の人から怒られて社会性を身につけ成長してゆく。その時期つまり大人になる時期にしっかりとした「躾け」を経ないで、色々な不平不満を自問自答しつつ社会に対して自分なりの答えを見つけ、仕事を覚えながら自分の居場所を見つけてゆくという、人生の一番大事なことを誰からも教えてもらえないまま過ぎてしまった子供大人が世の中に充満しているのだ。
目立ちたいという欲求は子供の物だが、それをもう身体の成長は出来上がりつつある中高生がやっている。もう一人前の責任ある仕事をさせて、社会の中で自分の居場所を探さなければいけない時期なのだ。その時期は、先輩や得意先から怒鳴られ怒られる時期でもある。怒鳴られて謝って説教されて、それを続けるうちに一人前になる。彼我の力の差が歴然としているうちに、黙って覚えていくのが仕事なのだ。反論などしている暇は無い。まだ半人前、知らない事が多過ぎて覚える事で精一杯の時期だからこそ、教える方も隅々まで叩き込む事が可能なのだ。親が子を哺育するように、親方や先輩は新人を教育する。だから「先輩の愛情も、ここから生まれる」のだと思う。自分に任されていると思えば、教育して一人前にすると同時に、後輩を周りの叱責から守ってやる責任も生まれる。それが社会性・自分の居場所である。
それは12歳から18歳のティーンエイジャーで達成されなければいけない。何故なら身体の方は18にもなればいっぱしの大人であるからである。身体と精神がリンクして初めて、まともな大人になれる。この事実を忘れて、金のために一流大学を目指して勉強することが国民全員の努力目標になってしまった。今は、怒られる事なく22になって、頭でっかちの「自分は立派な大人だ」と思い込んで社会に出て行く。見た目は勿論充分な大人だ。しかし中身は、社会の中で揉まれてない無菌室で育ったモルモットのような、自己愛満点の異常な人格になっている。
今はそうやって育った世代が年金を貰っている。孫や曽孫が社会に出て行く時代になったのである。私はもう一度最初に戻って、15歳くらいで仕事に就くことを全国民に強制するのが良いと思う。勉強は社会人になって先輩から学ぶのである。学問を選んだ者は、その後も学問の世界に自分の居場所を見つける道を進む。もし成功しなければ、用務員になる。つまり、中学卒業職業選択制である。ただし昔と違ってチャンスは用意してある。17歳と25歳と2回、職業再選択の自由を保障して、自分の人生をやり直せるのだ。いいでしょう?
何はともあれ人に自分の行為を注意されたら、「済みません」と言って謝ることを覚えよう。人間は年を取ると謝る事が難しくなる。文句を言う時は、一瞬我慢して自分の怒りが正しいかどうか確認すること。感情に任せて怒鳴るのではなく、間違いを指摘してお互いに「気をつけます」や「どうも」などの穏やかなやり取りを心掛けるようにしよう。そうすればもっと生きやすい世の中になる(筈である)。
トラブルの原因は全て、自分は一人前だという驕りである。「なんだ?お前なんかにあれこれ言われるようなオレ様だと思うのか?ふざけんな!」という感情がそれである。何の理由もない。ただ不愉快な態度が気に入らない、それだけ。相手が「ヤクザやプロレスラーくずれ」の場合は、「済みません」とすごすご謝る。注意された事実の是非ではなく、自分より強いか弱いかであり何かを注意するような「上下関係」があるかないかである。まともな人間ではない。だが、これが一般的になりつつあるのが今の世の中ではないか。曰く「あんたに言われる筋合いは無い」である。随分な言い方ではないか、何様のつもり?である。
やはり自戒も込めて、もう一度自らを見つめ直しても良い時かも知れない。
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