明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

酒のツマミ話(23)テレビはここんとこ総裁選ばっか、見るものが全然ないじゃんか!

2021-09-19 09:47:13 | ニュース

マスコミが連日大きく取り上げている総裁選は自民党内部の主導権争いと思っている人が大多数のようだが、私が思うには、それは「間違っている」と、声を大にして言いたい。マスコミに煽られて大衆も勘違いしているようだが、そもそも政権担当与党を「衆院選』で決める、というのは、実際には非現実的な考えである。野党は久しい以前からキャンキャン吠えるだけ、ただ「文句言うだけ」の弱小泡沫政党に成り下がった。というか、政党としての存在感すら無くなってしまっていると言うべきか。立民の枝野代表など相当感情を露わにして、舌鋒鋭く政府のコロナ対応を批判していたが、自民党にしてみれば「全く相手にしていない」状態だ。今や政党政治の実態は、「自民党Aと自民党Bの戦い」になっているのである。

岸田氏と河野氏それと高市氏・野田氏の4人は、基本的に誰が勝っても「国家理念の転換」は起こりそうもない。野党だって何か明治維新のような、例えば農地開放とか財閥解体とか、「政治体制を根本から覆す」ほどの変革を掲げて戦おうという考えは、まるで持ち合わせてはいないのである。要は森加計問題とか桜問題とか、一種「どうでも良い」スキャンダルをことさらに取り上げて、退陣とか解散とか騒いでお茶を濁しているのが関の山なのだ(この「関の山」って言い方、どゆこと?・・・ワシ知らんわ!)。とにかく政治を動かしているのは、自民党なのは間違いない。

今、国民が求めているのは、次々と起こる喫緊の課題を「見事に解決」してくれるような、実務能力に長けた「有能な首相」である。それが総裁選に立候補している4人の内、「誰が適任者か」というだけのことであろう。情報収集力・状況判断力・組織運用力・政策実行力、そして最も肝心な「目標説明力」が問われているのだ。情報ー実行までの4つの能力は、誰かその分野で優れた人を内閣に採用すれば、ある程度の成果を上げることはそう難しいことでは無いと思う。だが首相として、これからの日本を「どうするつもりなのか」、そういう将来の日本の姿を「目に見える形で国民の前に提示する」能力は、絶対に外すわけにはいかないと思うのである。

昨日 NHK かどこかで、たまたまアップルの創設者スティーブ・ジョブスの生涯を描いたドラマをやっていた。今まで誰も成し遂げたことのないような壮大な夢に向かって、なりふり構わず一直線に突き進む彼のエネルギー溢れる姿を見ていると、人々を感動させる「偉大なリーダー」と成り得るような人物は、残念ながら今回の総裁選候補者の中には「見当たらない」ようである(というか、そんなの無理だろう!)。心に描いている夢を「現実のものとして説明できる能力」とは実際には、具体的な実行プランはまだないとしても、最終的に出来上がった時の「新しい社会」のイメージは、既に出来上がっていなくてはならない。つまり、駅前再開発などでよく見られる「完成時の建物群の模型」である。その「完成モデル」を持っているかと言えば、岸田氏や高市氏や野田氏は、やや欠けていると言わざるを得ないだろう。もしあるとするならば、今までとたいして変わらない「見た目を多少今風に変えただけ」の、実質は旧態依然とした建物群である。生活スタイルも労働生産性も、全く今まで通りの「変わり映えしない」日本だ、と想像できる。唯一可能性があると言えば河野氏であるが、果たして彼自身「未曾有の大改革」を行う根性があるのかどうか。日本人は、安定を求める国民である。特に自民党では、彼を受け入れる土壌は、出来ているとは言いづらい。

今回の総裁選は自民党のお家騒動なので、国民はしっかりと衆院選の投票に目を向けるべきである、という声が巷に出ているのは確かだ。しかし、野党は国政を任せられるほどの「実務能力」は無い。何故か人々の脳裏には「以前大失敗した民主党」という悪いイメージが、まるで「トラウマ」のように染み付いている。これは、人々に見る目が無いのか、はたまた力のある人が野党にはいないのか、どちらなんだろう?。

若者の政治離れが叫ばれて久しいが、若者に限らず人生に於いては誰しもが、同じような境遇にいる者との競争に打ち勝って初めて、国家の有り様に目が行くものである。では競争に勝った若者はどういう風に政府のことを考えるかと言うと、せっかく競争を勝ち抜いたのに「得るものが少ないじゃないか」という不満である。競争に勝てば収入が安定すると思っていたのに、働いても働いても「生活が一向に」良くならない、これである。というか、一般の人が政治に期待することは「これしか無い」のではなかろうか。ちゃんと働いたら「それに見合うだけの収入をくれよ!」である。それ以外のことについては、余り理解してないし興味が無いのだ。だから政治に関心がないと言われている人々は「この人なら」自分の境遇を、貧困の底辺から救い出してくれる!、・・・と思った時(だけ)選挙に熱心になるのだ。これを所謂ポピュリズム・衆愚政治と言う。そうでなければ「単なる政治ショー」と面白がって、酒のつまみに騒ぐだけだろう。まさに今、日本が直面している問題である。富裕層重視の政治を転換し、働くものに相応の収入を確保する政権にしなければ、この下層階級の中で互いに競争し、誰が一番「使い勝手の良い労働者」になるか、などという惨めな生活を「打破する」ことは永遠に出来ないと私は考える。

明治維新は身分制の壁を粉砕した。令和の時代に求められるのは・・・「私有財産の廃止」である!

あれ?、ちょっと言いすぎたみたいだけど、日本の全財産(公有・私有を問わず)を国民全員に均等に分配しなおせば、皆んなハッピーになって不平不満も無くなるんとちゃうやろか(何故か大阪弁!)。まあ一遍ガラガラポンして、一からスタートし直してみるのも、悪くは無いだろう!(by ぺこぱ)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿