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明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

相模原児童相談所の自殺事件は、対応が根本的に間違っている

2016-03-24 21:00:47 | ニュース
親の権利と子供の虐待とを正確に区別するのは非常に難しい判断が要求されると一般に言われているが、果たしてその考えは正しいだろうか?法律的にどうなっているかはわからないが、私の考えをまとめてみた。

親の権利とは何か。

1 子供の養育権
教育を受け立派な社会人になるために必要な経費を掛け、環境を整えて育てること。親が望む人間に育てる権利は、これに含まれない。昔は親の権利とは、煮て食おうが焼いて食おうが親の勝手と言っていたが今は完全な間違いで、子供は自分のなりたい人間になる権利を持っている。親は子供を犯罪者にしても構わないというような無制限の権利は、もう無くなっているのだ。親は子供が育つのに必要な経済的な支援と精神的な助言を与えることが出来るだけである。子供は親の「所有物では無い」というのが今の常識になっている。子供の未来も含めての、「神様から授けられた宝」である。つまり養育権という表現は間違っているので、「養育義務とか養育責任」というべきである。よく聞く話だが離婚して親権をどっちが取るかで裁判になったりするが、これはどちらの親の利益を優先するかのように問題を捉えているので間違いであり、子供自身の選択に任せるべきである。その次が第三者。親の権利などないのである。

2 しつけ
虐待をする親はほとんどが躾けの範囲内だと言い訳する。悪いことをしたらダメだと躾けなければならないという。しかし親の言うことを守らない子供は煙草の火を押しつけられて当然なのか。これは個々の問題を全体的な問題にすり替えて論ずるので、正解はない。その親が子供に対して愛情を持っているかどうか、という通俗的な判断があるだけである。子供は自分の利益になることをする「ずる賢い悪魔である」という見方もあるし、「言うことを聞かない子供」も多い。しかし大家族は不思議と子供らしい子が多いのは偶然ではないようにも感じられる。結局、厳しく育てる親だから立派な大人になるかといえば、そうでもなくグレる子供もいるし、甘やかした親だからと言って子供も甘ったれた大人になるかと言えば、そうでもなくマトモな子供もいる。躾けは所詮は「子供次第」ではないだろうか。親がどうこうしようとしても、子供は自分の進む道を歩いて行く。躾けようと親が頑張っても結果は、親の努力は余り効果が無いと言える。

3 非行に走る子供
よくスーパーのお菓子の棚の前で駄々をこね大声で泣き叫んでいる子供がいるが、大概その子の親は黙って見ているだけである。ほとほと手を焼いていて、もうどうしようもないのであろう。どんなに嫌でも自分の子なのである。いっそこのまま何処か遠くに行って全てを無かったことにしてしまいたい、そう思って眺めているかもしれない。地獄である。子供を産むということは、そういうリスクを常に背負っているのである。ついでだが、こういう子供は多分、何かの異常があると思われるから、一度病院で検査したほうがいいと思う。中には発達障害児の場合もある。ますます少子化が進みそうだが、これも現代のもつ病巣のひとつだ。社会不適応症、多いにありえる。

4 虐待
さて今回のメインテーマである虐待を受ける子供というのは、上手に立ち回る技術がないか、産まれた時から疎まれているか、親の事情により不満の捌け口になっているか、とにかく正常な子供としての生活をさせてもらっていない子供、その状態を「虐待を受けている」と言う。虐待を受けていても「子供は何らかの落ち度があると考えて、何とか親に気に入られようとしている」場合がある。この場合は親と面談し話し合ってどうこうするものではなく(親は虐待と思っていないから)、虐待の事実がわかれば即座に保護すべきである。もちろん子供は親を慕うように生物的にインプットされている、だから強制的に「隔離」する必要があるのである。親の権利を持ち出して反論する人がいるが、子供の権利は誰が保証するのか。とりあえず隔離・保護し、その上で「親と面談し、養育について正しい認識を持っているかどうか」を判断すべきである。子供を家庭に戻すのは、専門的で慎重かつ繊細な注意力で決定したい。虐待は考え方や方針の違いではなく、人間の奥底の本能的な部分の義務放棄または責任回避の犯罪であるから、ほとんどの場合は家庭には戻れないと考えるのが正しい。虐待する親は「治らない」からである。

5 自殺
子供が助けを求めて施設で暮らしたいと言っているとすれば、緊急事態である。即座に隔離して保護すべきである。緊急事態というのは「調査して親と面談し」というのではなく、有無を言わせず即座に保護する事である。児童相談所の権限がどうこう言うのなら法律を直せば良い。親から暴力を振るわれているのにその家に帰すというのは普通の感覚ではない。子供のSOSには事情を調査して云々と言うのをやめ、「SOSが発せられたという事実だけで、隔離・保護できるように法改正すべき」である。こういう時に、子供がSOSを簡単に乱発したらどうするというもっともらしい意見が出て来るが、ゴキブリが出ても救急車を呼ぶ大人がいる時代である。イタズラで隔離したとしても、それらの中にいるかも知れない「本物のSOS」を見逃してはいけない。児童相談所の権限で、即座に隔離・保護する。これができなければ児童相談所の看板を降ろせ、それが私の提言である。

結論: 虐待する親は病的犯罪者である。説得とか相談とかが可能な相手ではない。本人の了解を得るまでもなく、専門家の治療を要する対象と認識して対応を考えるべきである。また、子供の意見はどうしても家庭に戻ることを希望しやすいが、これは帰巣本能と解すべきで、状況を正しく判断しての答えだと考えてはいけない。平和で子供の笑い声が絶えない家庭というのは、もう、昭和の夢でしかないのだ。子供の教育には、もっと敏感であるべきと思う。どう教育するかは「親の自由ではない事」、何度でも声を大にして言いたい。子供は教育を受ける権利がある。だが子供は自分では分からない。だからきちんとした専門家に指導してもらうべきなのだ。

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