1、友達に欲しい職業5選
① 医者の先生
年を取ると絶対なくてはならない職業である。私の場合は後期高齢者なので、手足腰肩など関節は当然ボロボロになるわけだが、何より生活の質という点では「内臓・循環器」関係の医者が欲しい。心臓・肺・腎臓・膵臓、それと癌専門の名医なんかは願ったり叶ったりだ。しかし、医者という職業も当たりハズレがあるようで、たまたま友人だからといって「ヤブ医者」じゃあ困るわけで、名医じゃなくても普通の「マトモな」医者であることが条件である。まあ余り強欲ではない方が良いんじゃないだろうか。そう考えると、「念の為、検査しておきましょうか」ぐらいのスタンスで接してくれるのが、一番のようだ。だから友人はやめておいて、気の置けない『かかりつけ医』というのがベストと言えそう。
② 喫茶店のマスター(飲み屋でも可)
独りでふらっと入ってカウンターに座り、「マスター、いつものお願い」などと注文してくつろげる店があるというのは、短い人生の残りを過ごすのには「うってつけ」である。出来たら余り忙しくない暇な店が良いのだが、そうすると売上が無いからどうしても考えが貧乏ったらしくなっていけない。程々に忙しく、ちょっと客が引いた頃合を見計らったように「寄ってみる」、というのがベスト。「大通りのブティックのママ、旦那が不倫して修羅場だったんだってさ」などと、何とも他愛のない世間話に花が咲くのが楽しい。
③ ジムのトレーナー
歳を取るにつれて体を作るのが大事になってくる。若い人は筋肉を大きくしたりするのが目的だが、我々の年代になると「筋力の維持」がメインだ。加えて食事内容などをアドバイスしてくれれば、言うこと無い。出来れば教えてくれる人がムキムキのキン肉マンではなく、スレンダーな魅力あふれる「美女」であれば「やる気」も出てくるというもの。その彼女が「厳しくハードに責めてくる」というのは・・・、私はM男じゃないので「御免こうむり」たい。どっちかと言うと、乃木坂46系のほうが好きである(そんな情報はいらん!)。
④ 古本屋のオヤジ
せちがらい世間の噂話と隔絶した、淀んだ空気と紙の匂い。古本屋は私にとっては「めくるめくワンダーランド」と言ったらいいだろうか。新刊書店のように新しい本がずらっと並んでるわけではなく、図書館のように網羅的に整理整頓されているのでもない。まさに玉石混交で雑多に横積みしてあるところが『エジプトの墓探し』のようでワクワクする。もはや出版社のリストにも載っていないような絶版物が「ひょこっと」棚に埃を被って置いてあるなど、掘り出し物を眺めては溜息をつくのが楽しいのである。そして主人が友達であれば、「どう?、何か掘り出し物でも入ってる?」などと、買いもしないのに業界話にひと時を過ごすというのも一興だ。勿論、本は買わずに「売る」のがベスト。年取ると断捨離もまた楽しい。
⑤ ゴルフショップの店員
私の趣味はゴルフとクラシック音楽、それに歴史とコンピューターと自転車に少しファッション、という構成だ(ちょっと多すぎるかも)。一番金がかかるのがゴルフ道具である。毎年のように新製品が出て「当社最大級の飛び」とか何とか宣伝されると、馬鹿馬鹿しいと思いつつも「ついつい買っちゃおうかな」などと罠にハマるから気をつけないと危ない。こういう時に的確なアドバイスをくれるのがゴルフショップの友人である。友人ということは「売上より友情」を優先してくれるから安心なのだ。たまには「フィッティング」なども無料でやってくれるので、お小遣い的にも大助かりである。何より「趣味のショップ」というのは話が盛り上がって、会話が楽しいこと間違いない。
それぞれ職業が全く異なるが、年を取ってくると友人というのは「少なく」なってくる。私は今でも小学校の友人達と付き合っているが、子供の頃からの友達が「一番の友人」だと思うようになってきた。世の中がどんな社会になっても子供の頃の思い出は、色褪せずいつまでも輝き続けているものである。その純真さを共有できる友というのは、何者にも代えがたい宝であろう。
2、意欲が人生を明るくする
70歳までは何もしていなくてもそれなりに元に戻るが、70歳を超えると一旦下がった運動機能は、簡単には元に戻らなくなるらしい。どんな機能でも「必要があって」こそ鍛えられるように出来ている。動物にとっては何か「目的」があって、それを「実現するために」必然的に備わってくるものが機能だと考えられる。では目的を作るのは何かと言うと、実は「意欲」なのである。理屈から言えば目的があって、それを達成するために「意欲がアシスト」する、と考えがちだ。だが普段の行動を考えると、意欲によって「左右される目的」のほうがずっと多い気がする。だから意欲とひと括りに言ってしまうが、直近の目標を達成するための「戦術的意欲」とは別に、大きな目標つまり生命を維持するための「戦略的意欲」があるのではないか。要するに全体的に「健康で活動的」な個体が生命力を溢れさせる時、それが「意欲」となって表れてくるのである。それが目的を見つけて我が物にしようとするために意識する意欲は、言わば結果としてのストラテジーの一種の意欲だ。
考えてみればこのコロナ禍の2年間というもの、未知の感染症に怯え、自らの生命力を無理に抑えてつけて自粛生活に耐えてきた。その結果、生きてはいるけれど「意欲の失せた抜け殻」みたいな生活を送ってきたのも事実である。今、やっと元通りの生活環境が整いつつあるというのに、すっかり体の力は「落ちてしまった」のだ。「無気力」というのは「生命の終わり」を意味する。・・・ところがここにきて「何だか意欲が湧いて来た」のである。このチャンスを生かさなくてどうする!
というわけで、これからは全てのことを「ガツガツと」こなすことにした。ガツガツと食事し、ガツガツとゴルフ練習をし、ガツガツとお笑い番組に興じ、ガツガツと筋トレやジョギングをする。一日中ガツガツである。無我夢中でガツガツと目の前のことを追いかけていく生き方こそ、真の意味で「意欲的」だと思う。身の回りの生き物は全て、生きることにガツガツしっぱなしだ。何かをやっていて一日があっという間に過ぎていく、というのが今の私の理想である。
何だか生きるのが楽しくなってきたぞ!
3、セブンイレブンで買うものが無い!
このところずっと、マミーマートとセブンイレブンで食品を買ってきた。マミーマートは基本的に「健康的な体力の維持」を中心に栄養価の高い食品を選んでいる。納豆・めかぶ・即席味噌汁・亜麻仁油・玄米ご飯・レトルトカレー・オリーブオイル・冷凍そら豆・アーモンド・切り野菜パック・ヨーグルト・それと「こんにゃく麺」などなど。それに週に2回ほど「トンカツ」を買っている。勿論、専用の「中濃ソース」も用意した。「トンカツ」はあらゆる食品の中で一番好き、と言うほどに実に美味い。これは健康的に過ごした私への「ご褒美」である。それと晩酌用にビールのロング缶を2、3本買っている。最近はプレミアムモルツの「エール」を買うようになった。本麒麟も美味いと思っていたが、エールと比べるとやはり「下品」である。
一方セブンイレブンの方は小さなパックになったものが多い傾向にある。例えば豚肉とレタスのサラダとかサラダチキンとか四川麻婆豆腐とか、主に「おつまみ系」の惣菜が主だ。以前はあれこれと大量に買っていたのだが、最近弁当を買わなくなってから「買うものがなくなって」きた。枝豆パックや明治コーヒー牛乳などもしょっちゅう買っていたが、今は冷凍物に「コーヒー豆を挽いたパック」に切り替えてしまった。やっぱりコンビニは「便利だが質は悪い」ようである。だから自然と「セブンにしか無いもの」に限られてくる。お酒で言うならば唯一日本酒の「鬼殺し(清洲城じゃない方)」だろうか。それと「ゆでたまご2個入り」がお気に入りである。野菜ジュース類は昔よく買って飲んでいたが、今ではアミノ酸豊富な「ミツカンの優しい酢」と言うのをサラダにかけて毎日摂っている。これは果糖・ブドウ糖・液糖が入っているのでだいぶ甘いのだが、「酢」を美味しく飲むためには仕方ないだろう。
ポテトチップスなどの「ジャンクフード」もお酒のつまみに食べてはいるが、これなどはスーパーでまとめ買いしてストックしているので、もうコンビニで買うことはなくなった。あと買うものと言ったら「柏市指定のゴミ袋」くらいだろうか。コンビニも今は所狭しと品物が並んでいるが、こうしてみると意外と「買うもの」は限られてきて売り上げも少なくなり、だんだんと「小売の主役」の座を降りる日が来ると思っているが、案外その日は近いような気がする。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます