明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

日大タックル事件の真相と日本の将来

2018-05-22 17:15:00 | スポーツ・ゴルフ
日大タックル問題で刑事訴追の可能性が出てきた。私は最初にこの問題が発生した時に既にブログで書いているが、こういう流れは当然だろう。ちょっと遅きに失したと言えるくらいである。今日の当該選手の会見で何が発表されるのか注目が集まるが、どうもワイドショーでの取り上げ方には私は少々不満を感じている。コメンテイターが入れ替わり立ち代わり自分勝手に発言しているが、問題の本質は「そんな所にはない」と思うのである。何が言いたいか、じっくり書いてみたい。

そもそも真相の究明というが、既に結果は明らかだ。第三者委員会でどうのこうのと言うコメンテイターがいるが、何を考えているんだろう。二時間サスペンスドラマの見過ぎで頭がおかしくなってるんじゃないか。映像を見れば事実は明らかである。

○試合の開始第一プレーで起きたこと。これで試合中のトラブルの結果ではなく最初から計画されていたことがわかる。

○ボールが投げられてレシーバーが取れなかったという結果が出ていてゲームが止まった後に起きたこと、しかも加害者の選手は試合の流れとは全く関係ない場所からダッシュして2秒もたってから猛タックルした。これでタックルが試合の勝敗と無関係の意図をもって行われた事が分かる。

○タックルをして帰ってきた選手に対して、コーチや監督が全く叱責をしていない。これで監督などと加害者の選手の行動とは乖離はなく、結果は監督の意図と合致してたと見える。被害者が担架で運ばれて代わりの選手が出てくる事態になっても、監督は何ら謝罪や被害選手に気を使う行動を取っていないことから、これらはゲームプランだとわかる。

映像を見ただけでこれらのことが素人の私でさえはっきりとわかる状況なのに、一体コメンテイターらは「何の真相究明」などと言うのだろうか。事実は見た通りであり、監督・コーチ・選手は傷害罪を適用すべきである。これが前回私が書いた判断である。問題が明らかだから監督が指示したかどうかなどは関係ない。大体指示したのかどうかなどは元々大した要件では無いのである。何をやったかで人は判断される。タックルした選手は傷害罪、それを傍観していた監督は共謀共同正犯、以上である。なのに各社の報道やコメンテイターが「真相究明を」と言い続けるマインドはなんなのか。答えは日本人のDNAに「自白偏重」の悪癖がある、と思う。

大体において西洋では悪人は何処までも悪人であるから「私が悪うございました」などと言う「筈がない」し、こちらもそんなことは「求めていない」のだ。悪人は倒すのみ、それが正義である。しかし日本人は本当の悪にはなりきれず、どこかで「自白して自分の罪を悔悟し許しを乞う」ことを望んでいると思われるのだ。犯人は憎いが単純に戦って勝つというのではなく、犯人が罪を認めて後悔することによって「自分たちの側が正義だ」ったと証明したいのである。だから監督の指示とか被疑者選手の心情とか大学スポーツに警察権力の介入とか、色々と無関係な話が出てくるのである。アメリカなどの学校での銃乱射事件を見ていると、再犯防止は一生懸命に議論されているようだが、何故そんな事件が起きたのかについては「余り言われていない」。事件は明白なのである。頭のおかしい奴がやったのだ。そのことに日本人のように家庭環境だの社会不適合だのウェットな週刊誌的な興味本位の報道は、余りされていないようだ。悪は悪なのである。

これは最近の顕著な傾向だが、森友学園の公文書書き換え事件の佐川さん・加計学園の柳瀬秘書官と、国会に喚問されているのにいずれも肝心な所ははぐらかして逃げ切っていることと無関係ではない。つまり疑惑は深まっているのに本人が認めないから「真相が究明されないまま」うやむやになってしまう。もう「自白を大事にする」のはやめようではないか。本人の心の内部にしか無いことを「明らかにする」ことなど、100年経っても無理ではないか。繊細な神経の人は疑惑に耐えきれずに自殺したりするわけで、厚顔無恥な鉄面皮の自民党に「内なる本心を吐露させる」なんてことを期待しているとしたら、「そのほうがよっぽど異常で」ある。ある程度の事実が解明されたら政治の世界では「有権者が判断していい」のである。事実と違う評判を、何とかして真実を暴き逆転して自分の恥を雪ぐ、という努力をするのは「相手の方」である。麻生大臣も安倍首相も、本当なら「必死になって名誉挽回に奔走しておかしくない」状況だ。なのに普通に政務をこなしている。要するに問題があっても「支持者は安泰」だと踏んでいるのだろう。トランプ政権と同じ構図である。

政治状況は安倍政権になってから「新しい時代に入っている」と思う。この政権は国民という一つのまとまりを意識するよりも「支配者層と被支配者層」の2つに分離した社会構造と考えているな、と感じることである。もちろん安倍首相は支配者層の代弁者である。日本会議とかいうグループの活動と合わせて考えれば、「日本を変えよう」と画策しているのははっきりとわかるであろう。アベノミクスとかいう政策も「日米安保の一環」であるから、格別日本の経済が良くなった訳ではないことは当然である。アメリカのFRBの金融緩和がやり過ぎた結果金利を上げざるを得なくなり、その肩代わりをEUと日本が行っていたがEUが早々と止めたのにくらべて、日本だけが律儀に異次元の金融緩和をやった結果、円安になり株が急騰して輸出企業が大儲けした、というのがアベノミクスである。実態は前よりも悪くなっている。そして日本は「労働者の奴隷化」が進んで、非正規労働者の拡大と長時間労働の悪化が促進された。これが今の状況である。働き方改革という名のもとに「労働搾取が進行」し、実質賃金がちっとも上がらない景気悪化の状態をこのまま放置していたら、来たるべき消費税10%のときに消費が「どれほど落ち込むか」想像が出来ないのである。日本は悪くなっている。例えるなら日本は、「全体主義のあの悪夢の時代」に逆戻りしているである。なにより「搾取されている国民がそれに気付いていない」ことがその証拠である。時代の空気は昭和16年の夏と全く同じなのだ。今回は、戦争みたいな派手なドンパチはないだろうが、経済的な「一方的な搾取」が静かに進行して、庶民の生活は「地べたに落っこちる」のである。残念だが安倍総理の思惑通りである。我々有権者が目を覚まさなければ、確実にそうなる。

余談:会見の概要と印象

NHKや日本テレビなど、大メディアの的はずれな質問が続く。くだらないウェットな「気持ち」の部分を問いただしているのに比べて、ただ一社「監督の指示と受け取った側の内容の乖離」についてと「タックルをしなかったらどうなっていたか」という今後の自分の将来との兼ね合いについて質問した記者はマトモであった。後は答えられないようなくだらん質問ばかりである。こんな質問をしているメディアのレベルというのには、実に呆れるしイライラさせられる。事件の当事者が話題の渦中にわざわざ記者会見を開いているのである、将来のことなど「まだ考えられないに決まっている」ではないか。しかも当事者はスポーツマンであることを考えれば、訳のわからない複雑な質問をしても返答に困るのは明らかである。メディアの質問のくだらなさに比べて、加害者選手の態度はスポーツマンらしい「きっぱりとしたもの」だという好印象を得た。彼もアメフトに真剣に向き合っているんだな、とは私の感想である。しかし彼は傷害事件を起こした本人である、何かヒーローのような扱いは「どこかおかしい」と私は思う。メディアの質問は「事前に提出し、選んで整理しておく」べきだと思った。とにかく苛つく会見である。私は「どの程度のケガをさせるつもりだったのか」を聞いてくれないかなと期待したのだが、そう言う質問をしたメディアはいなかった。例えば、相手のQBが秋のシーズンに怪我して出てこられなければ日大が有利になる、と言った「日大側の動機」の解明などは選手の意見陳述で明らかになっている。だがケガさせると言ったって、車椅子での生活になるリスクもあるのだから簡単ではない。やる方も必死である。やはり少しは遠慮しているのではないだろうか。壊すと言うなら「もっと徹底的に「腕を狙うこと」も可能である。その辺のところを聞かなければ、質問者になる資格はない。それ以外の残された質問は、本人が喋ってしまったので殆どない。事件に対する本人の後悔と被害者への謝罪、そして「今後アメフトを続ける資格は自分にない」とする本人の言葉を真摯に受け止めれば、それで「彼の罪と罰」は定まったと言えるのではないだろうか。あとはあの「内田とか言う監督と日大の悪の巣窟」である。これを撃破・撲滅するために我々国民は「最大のプレッシャー」をかけ続けなければならない。そのためには「日大崩壊・消滅」も視野に入れて行う決意が必要だ。

ちなみに私は中大卒である、日大が消滅しても何の問題もないのだ。

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