明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

日本人とは何か?(1)司馬遼太郎の「街道をゆく」 ① 三浦半島記

2023-08-09 17:44:29 | 歴史・旅行

私は小説を書くようになって以来、「日本人とは何か?」ということばかりを考えていたように思う・・・

これはTBSラジオで長寿番組になっている司馬遼太郎短編傑作選の冒頭の言葉である。日本の代表的な作家として名を成した司馬の生涯にわたる研究テーマが他ならぬ「日本人とは何か?」であったというのは興味深い。人間長い事生きて来ると、ふと自分自身の来し方を振り返ってみたくなるものだ。私もそんな衝動を何回か経験した。自分って、何者なんだろう?。答えが簡単に出そうもないのは最初から分かっている問いである。食って寝てまた食って寝て、そしてひとときの隙間時間ができれば「しょうもない遊び」に熱中する。それは目的がないように見え、死ぬまで続く生命の営みそのものだ。じゃあ人間にとって肉体的な感覚=五感を満足させること「以外の喜び」ってあるんだろうか?

勿論のこと、子孫繁栄に勝るモチベーションは、動物には無い。それが証拠に動物の殆どは「子供が作れなく」なった段階で死ぬように出来ている、とどこかで聞いた事がある。万物は偶然に生成され、突然変異し枝分かれしつつ再び偶然に死滅する。だからそこには神も仏も無いというのが私の考えである。すべては自然の摂理に基づいて動いて、また消えて行く。つまり私が何であれ、善であれ悪であれ、物事は無関係に動きそして消えて行く。私って何者なのか?とにかく有史以来、この質問に答えられた人は「まだ」いないようだ。

まあこんなことを考えながらテレビを見ていたら偶然にもこのシリーズを見つけた。面白そうである。司馬遼太郎が何を目指していたのかは私には見当がつかないが、少なくとも「考える」ことを突き詰めていた、のは確かだ。私は考えることが好きである。この番組は司馬遼太郎が日本のあちこちの街道を探りながら、日本と日本人について自身の考えを巡らせていく。今回は三浦半島を歩いて考えた。鎌倉・・・日本の歴史にとっての転回点となる「武家政権」発祥の地である。それまでの日本列島の支配者は紛れもなく武力で統一した政権であり、その点では鎌倉幕府と何ら変わらない。

では何故鎌倉幕府が歴史上稀有の政権と言われているのかというと、私はこの番組を見ている間に「中国大陸から独立した初めての政権」ではないか、という疑問が湧いて来たのである。博多の倭国政権、奈良の大和政権、京都の天皇政権、何れも中国大陸に目を向けて、その「恩恵を最大限に活用」する形で日本列島を支配下においていた。支配の構造が中央政府の代官的役割なのだ。それは日本国内を平定して安定政権を樹立したとしても、文化的な規範をもたらしてくれるのは「中国大陸」の歴代王朝だったという事実が証明している。天皇制とはひとつの文化的ピラミッド型組織だが、運営の実態は「その組織の外」にある。・・・私は京都と中国との「間」、中間に存在していたと思っている。

ところが鎌倉幕府はその大きなピラミッドすなわち、中国王朝ー日本代行権力者ー天皇制文化的団体という「権威のベクトル」に終止符を打ち、中国という「大きな頭」を初めて外して成立した政権、つまり日本自前の「独立政権」なのではないか?・・・これがテレビを見ていて考えた思い付きである。

番組は岡田准一が鎌倉の鶴岡八幡宮に登り、「頼朝も見た」という市内を一望出来る境内の場所に立って司馬遼太郎を回想するところから始まる。何とか言う武道家の教えを体験学習して日本人の「心の鍛錬の仕方」に頷いたりしつつ、カメラは三浦半島をあちこち映し出して行く。まあ、鎌倉殿の13人など最近ドラマになって有名な「血生臭い謀略の殺し合い」は番組は取り上げないが、これは歴史探訪ではなく「街道をゆく」という本を映像化するのが目的なので、そこは司馬先生も割愛したのだろう。そしてカメラは一気に幕末の横須賀のシーンに飛び移る。

小栗上野介と海軍の話だ。小栗が徳川幕府としての閣僚的役割を飛び越えて、個人としてもっと大きな「日本の将来」ということを見据え、尽力したのは語られてしかるべきである。人物的には勝海舟のほうが段違いに評価されているが、小栗ももっと評価されるべきだと私は思う。日露戦争でバルチック艦隊を破った東郷平八郎が「小栗さんのお蔭です」と回想しているシーンが映し出される。とにかく彼の「日本の未来はこの工業という技術に掛かっている」という信念が素晴らしい。今も昔も日本人は手先が器用で、工夫と努力で「あらゆるもの」を精密な芸術品にしてしまう、世界に稀な才能があるのだ。この辺の機微を司馬は海軍の「スマートであれ」という教えに見出す。

司馬は陸軍だったが、どうも陸軍は好きでなかったようである。それより海軍のスマートさに憧れていた。スマートとは見かけの端正な整った姿を言うのではなく、まず「自分を律する」ことから始まるという点を強調していた。要するに「心の規律」であり、禅宗の教えに似ているような気もする。大体がこの手の番組は映像にした段階で殆どの部分は「単なる旅番組」に劣化してしまうのだが、それでも何らか「考えるところ」が残されているのが価値だろうと思う。思う所は人それぞれであるが、私はスタートとして「日本人の出発点」鎌倉を選んだのは正解かな?と思っている。奈良でも京都でもなく、勿論博多でもないこの鎌倉という辺鄙な田舎臭い僻地に生まれた「無骨な田舎武士の集団」が日本人の原型である、という説は、あるいは遠い未来の現代日本においても「全く通用するテーマ」だと思わせる何かの共通点があるように感じた。

このぼんやりした感覚、つまり日本人が「日本のどこかから急に表面に出て来る時がある」ことに、何か期待してしまう気持ちこそ「司馬遼太郎の街道をゆくの面白さ」なのではないだろうか。・・・次回も旅は続く。



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