明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

音楽に恋して

2023-03-16 15:09:00 | 芸術・読書・外国語

最近、ラジオ日本の「タプレット純・音楽の黄金時代」で由紀さおりの「生きがい」を聴いた。ふと聞き入ってしまう「しっとりとした名曲」だなと思って気がついたのだが、どうもこのところ「昔のヒット曲」に聴き惚れている自分を見つけて驚いた。特にどの年代が好きという訳じゃないが、私は「音楽として素晴らしい曲」が好きである。

近頃は黒人系のラップやダンス主体の「見せるパフォーマンス」が大流行しており、日本でも韓国ダンス系とか坂道アイドルばっかりがヒットチャートに上がってきて、じっくり耳を傾ける歌が無くなったように思う。ビルボードのチャートなども昔は必ずチェックしてた記憶があるが、最近はとんとご無沙汰だ。テレビの歌番組も全然興味が無くて殆ど見ることは無くなった。今のパフォーマンス重視の音楽環境は、私はどうも性に合わないのである。

ところがたまにサイモンとガーファンクルやカーペンターズなどのメジャーなヒット曲を聴いたりすると、今時の曲と比べて「段違いに歌が上手い」のにびっくりすることがある。特に「タブ純」は昭和に焦点を当てた番組なので、懐かしいヒット曲や私も知らない曲などが掛かって楽しい。この前、ボブ・ディランを久々に聴いたときは彼の味のある表現力に初めて気が付き、「あれ?、ディランってこんなに歌が上手かったっけ?」と再評価した次第だった。

昔は歌でもなんでも一定のちゃんとした評価基準があり、そういう「質の高い音楽」を聴く方も求めていた時代がずっと続いていたのである。つまり「プロフェッショナルの世界」が確立していたと思うのだ。これは、歌手になろうとする人は皆それぞれに歌の上手さを競って努力したことを意味する。つまり年寄りから若者まで、良い歌は「一つ」の世界だった。それがビートルズの出現によって一斉に素人バンドが世の中の舞台に上がるようになり、歌の世界が「聴く側から歌い手の方へ」と主体が移って、良い歌が「多様化」したのである。そして最近は特に歌以外の魅力を強調するようになってきて、切れのあるダンスや心地よいリズムや可愛い系などを売りにする、歌手というよりは「パフォーマー」と言った方がピッタリする音楽ばかりが目立つようになってきたのだ。私にとっては「がっかり」である。

やっぱ「昔の音楽」の方がいいね・・・そう思ってしまう。

勿論、当時の音楽も「玉石混交」であり、それが長い間に淘汰され、良い曲だけが残ってついには名曲として人々の心にしっかり刻まれた、ということなのだと思う。だから、今の歌手達も何十年後にはそうなっている「可能性」も無くはない。要は良い曲や素晴らしい歌手「だけ」が残る。それが真実だ。

しかし考えてみれば、どの分野にも「黄金時代」というエポックメイキングな時はあるもので、そういう意味では我々団塊の世代が青春を謳歌していた頃、つまり世代の「若さと勢いと数」で世の中をリードしていた「60年代から80年代」にかけての時期は、私にとっては間違いなく「ポピュラー音楽の黄金時代」というだけの名曲がギュウギュウ詰めになって溢れていた「最高の時代」なのだ。

こないだ井波律子訳の三国志演義1を読みながら「タブ純」を流していたら、何の気なしに「由紀さおりの生きがい」が耳に入ってきた。ページをめくる手を止めてじっと耳を澄まして聴いてみると実に心に染みる名曲であり、由紀さおりの素晴らしい歌唱と相まって、久し振りに「音楽に酔いしれ」て楽しくなった。まるで久しぶりに極上の酒を飲んだような気分である。それで思わず Spotify で検索して、自分のプレイリストに入れた。

私はこういう隠れた名曲を聞く度に、ランダムにプレイリストに追加して保存している。もうかれこれ200曲は溜まっただろうか、殆ど今では「オジさん好み」だねと言われるような、昔に流行った過去の名曲ばかりである。若い人からは「ああ、懐かしの昭和メロディね」などと言われてちょっとバカにされてるような気がするが、そう言われて「良いものは良いんだ!」とムキになっても仕方ない。本当は同じ昭和でも良い曲と「そうでもない、つまらない曲」とがあるのである。だがどの違いというのは今の若い人には分からないのだ。これも「世代」なんだろうな、と思ったりして諦めているのが現状である。音楽の良し悪しを説明するのは難しい。

いまNHKラジオ第一で「らじるラボ」という番組を聞きながらブログを書いている。パーソナリティが「六角精児」という、異色のトーク&音楽番組である。番組内でかかる曲は「六角精児の好み」が中心で、彼の人柄とか語り口などが好きな人には「うってつけ」の番組である(私は彼の「飲み鉄本線日本旅」という、鉄道と酒のコアな視聴者向け番組も見ているファンである)。彼の選ぶ曲はどちらかというと私の「音楽に対するアプローチ」の仕方とは少し違うが、それが彼の個性であり面白さでもある。

今日、番組内で内山田洋とクール・ファイブが歌う「カーペンターズの名曲、イエスタデイ ワンス モア」が流れた。声は和田アキ子そっくりのパロディで、真面目に歌ってはいたがどう聞いても「ネタ」にしか聞こえない代物であったが、これを聞いて逆に、カレンが「如何に高度な技術を駆使して曲を歌っていたか」が分かって、今更ながらカーペンターズの魅力を再認識したのである。

カレン・カーペンター程の歌の名手になれば、声の出し方一つで「音楽をどうにでも表現出来る」のだろう。その、「細かい技術の一つ一つ」を聴き分け、味わい尽くして、その「名人芸を堪能する」のが私の音楽の楽しみ方である。これは「クラシック音楽の醍醐味」にも通じるし、絵画や焼物などの一連の工芸品の魅力にも通じる「趣味人の楽しみ方」なのだ。

人間誰しも、楽しいもの美しいものは「トコトン追求」しようとするもの。私にとって音楽とは、どこまでも最高の境地を追求する対象つまり、音楽とは「恋する女神」であり、人生という暗い夜道を「明るく照らし示してくれる名月」のような輝かしい存在なのである。



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