goo blog サービス終了のお知らせ 

明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

鉄道ひとり旅 山陰編を観る

2018-02-03 20:30:00 | 歴史・旅行
今日は久し振りに超レア番組の「鉄道一人旅」を観た。山陰本線シリーズである。三回目のシリーズは米子からスタートだ。MCのダーリンハニー吉川はサンライズ出雲に乗れるというので大はしゃぎである。寝台車なのだが盛り上げ方は中途半端。吉川が乗って一人ではしゃいでいるだけで、大して面白くない。が、もともとそういう番組なので、気にせず景色に集中する。山陰の海沿いの景色を観ていたら、昔、車で出雲に行った時の記憶が蘇ってきた。

当時は東名を米原から北に入って、敦賀で確か一泊したように記憶している。国道沿いのビジネスホテル風のでかいホテルに、シングルを取って一泊した。この頃は、行く先で夜になると、ナビで見つけた適当なホテルに宿泊するのが定番になっていた。結構若い人が多かったので、観光で来てる人もいたのであろう。敦賀なんかに何の用事だろうかと訝ったが、私とて用事があって泊まっていたわけではないので、サッサと売店に行ってビールとつまみを買い、部屋でテレビを見た。旅の途中で予定を確認することなどは殆なく、いつも行き当たりばったりである。

翌朝ホテルを出て舞鶴方面に向かい、美浜辺りから海沿いの国道9号線を一路出雲目指して走り出した。舞鶴には会社のお得意さんがあり、通りすがりに店の看板を見つけて「へぇー、これが○○か」などと気分が高揚したが、だから何だと言われるとなんでも無いとしか答えられない。ただ知った人もない未知の田舎で「知り合いに会った気分」がした、というだけである。延々と続く美しい山陰の海は、5月の爽やかな風にのって走る私の横で、静かに波立っていた。若狭の景色は入江が内陸に入り込んで、実に見事だ。愛車カルタスは絶好調のエンジン音を奏でて、一本道をひたすら走る。

私は「知らない土地をドライブする」のが大好きだ。目的地はあるが特に何かするということもなく、「漂白の人生」に憧れている。古くは在原業平に始まり西行・芭蕉と続く文人の究極の姿は、現代にも通じる「心の、何者にも囚われない自由」を象徴しているようで憧れる。ダーリンハニーの番組も「無目的に旅を続ける」点では、なんか近いものを感じるのである。と言っても質には雲泥の差があるのだが。要するに番組は何かを紹介する形を取ってはいるが、結局自分が楽しんでいる姿勢が気に入って、なんとなく観てしまう。今回の山陰の旅はとりわけいつもと違って、中身が深いようにも思えた。

京都を出発して園部・福知山・城崎温泉と進むに従って、景色が「太古からの悠久の時間が静かに流れている」感覚に襲われる。これが山陰の独特の印象であり、例えて言うなら「ユトリロやゴッホの風景」に出てくるような静止した風景そのものなのである。山陰地方は、日本史の長い歴史の中に一瞬出雲王朝として輝きを放ってのち、大国主の国譲りがあって檜舞台から消えてしまった「過去の民族」が、そのまま生き続けている土地という、長い長い時間を感じさせる重たい場所だ。そう言えば近世には吉田松陰が活躍した長州山口県の萩などが観光で有名だが、山陰ではない。山陰で有名なのは「鳥取砂丘」と「出雲大社」だけである。

万葉歌人柿本人麻呂の終焉の地と考えられてきた島根県益田市も、メジャーとは言い難い。宍道湖のしじみが一部の健康マニアに密かに支持されているくらいで、もう秘境である。山陰は「時間の止まった 世界」を列車の窓から眺めて、ぼんやり感慨にふける絶好の場所とも言える。そんなことを考えていたら、私はまた旅に出掛けたくなってしまった。ふらり当てもなく自由で気ままな旅に、残り少ない人生を使ってみたいのだ。どこか裏寂れた、歴史の闇に沈んだ過去の土地に行って、失われた偉大な栄光を自分の手で探してみたい。そんな気にさせてくれる「鉄道一人旅」、中々いい番組である。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。