和翠塾ブログ

目黒都立大にある書道教室「和翠塾」のブログです。

ラーメン屋さんではない『山頭火』

2015-08-16 23:05:01 | 日記
今日は山頭火の俳句をかなで書いていました。

自由な感覚の内容に共感しやすいです。

ちょっと暗い後ろ向きの俳句でしたが、全身で受け止めて書けたと思います。

散らしはもう少しブラッシュアップすれば洗練できそうでしたが、内容に耐えられなくなりそうだったので途中にしてやめました。

心の底に溜まっていた、ワインのオリのような物を出せたのかもしれません。

時々はそんな作業が必要なようです。

いい一日でした。


流行りの長鋒

2015-08-16 09:43:28 | 日記
昨今目につく長鋒での作品ですが、書き手の気持ちをまとめると、概ね『面白い線が出る』と言う所に落ち着くと思います。

羊毛の長鋒はコントロールするのが難しく、完全に支配下に置くことはできません。
意図した線と違う線が出る所に、面白さを感じるのだと思います。

私も同様に思います。

昨年だったでしょうか、石飛博光先生の揮毫する所を拝見したことがあります。

数十人ほどに囲まれる中、先生は全紙に悠々と揮毫なさっていきました。

紙を変え、筆を変え、それぞれの説明を時にジョークも交えながら書き込んでいきます。

羊毛の長鋒で書き始められた時、ぼそっと一言
『最近は自分の言うこときかない筆で書くのが面白くなってきたんだよね』

先生の高い書技を知る者としては、心に残る一言でした。

それは昨今の長鋒使いの書家とは違う所にいらっしゃっての発言だったと思うのです。

つまり、人生とはこの長鋒筆のように、自分の思う通りにはならない事であるし、そこに意外な面白さもある。
その面白さに気づいたらそこに乗ってしまうのも、また面白いではないか。

と私は受け取ったのです。


一見同じように感思えるのですが、それは大きく違っています。

長鋒を使うことで面白い線が描ける事の歓びは、自己の中に向かっていきます。

『自分の中にこんな面白い線が書ける何かがあったんだ!』という歓びです。


石飛博光先生の『面白い』は、悟りの境地です。
それは歓びでなく、ある種の絶望でもなく、淡々と魚のいない池に針をつけずに糸を垂らしている心境なのではないでしょうか。

そうしたいからそうする。
そうしたい自分は自分の中にいないのかもしれない。
じゃどこにいるのか知りたいとは思わない。
ただ筆を持って書きたい自分が、自分の身体を使って書く事で淡々とした至福になっている。

先生のぼそっとおっしゃった一言がそのように感じられたのです。

書は人です。

人が出来ていないと、書は形だけになってしまいます。

書と人はセットで評価される物だと考えます。
そこには意味ある文字があるからです。

だからこそ書には画廊のようなシステムや市場が存在しないのでしょう。

ピカソの作品は評価されています。
でも人物としてのピカソはどうでしょうか?
その破天荒ぶりに閉口した人も多かったのではないでしょうか。
そしてそのような画家は沢山います。
つまり作品のみが評価対象であって、書き手はそれとは別に評価されるのです。

西洋的な考え方なのかもしれません。

書の場合、文字に意味がある限り、文章になれば、それは書き手の一部を具体的に表すことになります。

何を表現したいのか、何を伝えたいのかが鑑賞書にダイレクトに伝わります。

書はアート作品もありますが、書家は純粋なアーティストであってはならないのです。

アーティストなら『黒』と一文字油煙墨で書いて、日本人の鑑賞者に『黒』以外の何かを真っ先に伝えるように書いてほしいです。

鑑賞者が『黒』という記号やデザインを知っていた場合、鑑賞者の固定概念を覆すことは不可能です。

つまり漢字文化圏以外ではアートとして受け入れられるのです。

筋肉隆々のマッチョな男性が、二の腕に『台所』とタトゥーを入れていることを笑い物にするのはバラエティーならよいでしょう。

書に携わる者なら、何故彼が『台所』というデザインを選んだのか興味を持つべきです。

そこには『台所』=キッチンの意味を無視した、形やデザインとしての魅力があると思われるからです。

そこを笑うのは、旧態然とした書家でしょう。

もっとも、彼が意味を理解した上で彫り込んだ可能性もあります。

その場合は、さらに興味が湧いてきますけどね(笑)

『面白ければよい』と言う、小説やアートと同じ集合には書は属しませんが、集合の一部は被るはずです。
書家も被らないとダメなのです。

つまり書家は、漢字文化圏では人格者であり芸術家であり、それ以外ではアート作品の書き手として捉えられることになります。

海外では作品が一人歩きするので、書の市場やギャラリーができるとすればパリかニューヨークあたりでしょうね。

その場合、縦長の軸のスタイルは馴染めないでしょう。

やはり、洋式建築に合う作品でないと。

海外で評価の高い書の作品は、洋式の壁に合うような形をしているのです。

つまり、一文字の書や墨象にして、正方形や横長の作品が喜ばれるのです。

細かい作品も好まれません。
海外では広いですからね、家が(笑)

遠目に見て目を引き、近くによると別な迫力がらあり、意味を知るとより深みを感じる。
そして書き手の事が知りたくなる。

なんて流れができたら書く価値はありますよね(笑)

徒然なるままに書いてしまいました。

ご反論あろうかとは思いますが、まだまだ駆け出しの若輩者の戯言でございます。

ご容赦くださいませ。




























コーラ一本の中には

2015-08-16 07:44:49 | 日記
砂糖が小さじ10杯も入っているのだとか!

そんなにはいっているんですね。

それは成人男性1日分の摂取量なのだそうです。

私は一年に数回しか飲まないと思いますが、コーラを飲む習慣になっている人は砂糖過剰摂取になっているんですね。


世界中の炭酸飲料の99%は、コカコーラとペプシコーラだそうです。

日本のサイダーのシェアなんて、ほんのわずかなんでしょうね(笑)




糖分の多い炭酸飲料を飲むと、脳、心臓、肺、などに影響がでると言う研究があるようです。

小さじ10杯もの砂糖を一度日本の飲むのは中々出来ないことですが、リン酸をつかうことで甘みを抑えて飲みやすくしているのだそうです。

缶コーラ一本飲んだ20分後には、体内の血糖値急上昇。
インシュリンが大量にでて、肝臓が砂糖を脂肪にします。

あー、やだやだ、ですね。


缶コーラの中に含まれるカフェインが吸収され、40分後には瞳孔が広がり、血圧が上昇します。
眠気が抑えられ、集中力がでてきます。

私ならブラックのコーヒーかお茶を選びますが、コーラ飲みながら仕事する人って世界中にはたくさんいるようです。

45分後には脳の快楽中枢が刺激され、少しハイな気分になるそうです。

コーラ飲んでそんな気分になった記憶はありませんけれど、脳の中なではそんな事が起きているのでしょうね。


60分後には、リン酸がカルシウム、マグネシウム、亜鉛と結びつき、代謝を促進されるようです。
骨を作りイライラを抑えるカルシウム、約300の酵素の働きを助けカルシウムとセットで必要なマグネシウム、新陳代謝の活発な成長期に必要な亜鉛などは、尿なって体外に出てしまうようです。

心身共に成長期の子供には悪い影響与えそうですね。
子供会でコーラは出さないほうがよいかもしれません。

120分後には低血糖になり、イライラしてくるのだとか。

そうなる前にコーラを飲んじゃうので、チェーン状態になるんでしょうね。


また、リン酸はアルコールと結びつく事で有毒ガスを発生させるのだとか。

アルコールのコーラ割りなんて、体内で有毒ガス発生させることになるんでしょうか?

若い頃『コークハイ』よく飲んでいました。

後悔先に立たず(;_;)


無知の知を知る( i _ i )

自分の子供には飲ませてこなかったことが救いです。

飲ませていたらどんな大人になっていたことか、、、、


もちろん、コカコーラやペプシコーラをおとしめる意図なんてありません。

炭酸飲料扱っていない飲料メーカーからお金もらってませんから(笑)

あくまで、そんな記事がありました、と言うことなのです。


賢い人は正当な説明のつく選択をします。
程度問題ではありますが、基本『君子危うきに近寄らず』の姿勢が賢明です。

それは炭酸飲料だけではありません。

私の調べたところでは、ある植物油を使ったサラダオイルやドレッシングは身体に悪影響を与えるようなのです。

その『ある植物油』は、日本中の食卓に普通に載っている製品です。

日本の少子化の原因の一つが食卓に載っていたとしたら、とんでもない事です。


研究データに基づいた結果があっても、社会的影響が大きすぎたり、どこらからか圧力がかかって世に出てこない真実があります。
むた、研究者がビジネスとして偽りの研究結果を出して、それに飛びつくマスコミが存在します。

何を信じていいのかわからない場合は、データの分析の結果を頼りにするのがベストでしょう。

しかし、それが捏造されていた場合は、悔しいけれどどうにもなりません。

すぐに飛びつかない姿勢も大切だと思います。

体内に取り入れるものは、日本人の身体にに合ったなるべく自然な物をバランスよくが良いでしょうね。

今朝も自家製ヨーグルト食べてスタートです!