気になる鍾漢良(ウォレス・チョン)とMasaの中華的毎天

大家好!中華圏で活躍する「鍾漢良」をメインに中華的毎天(中華な日常)を綴っています。

★★鍾漢良の活動★★

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*优酷「这!就是街舞 第三季」

★映画「モフれる愛(寵愛)」★
2020年1/19(日)から2/1(土)まで、 東京(池袋)「池袋HUMAXシネマズ」で上映されました。
*ブログ→「モフれる愛」だけ集めました。
*紹介記事

「インタビューを振り返る」(その3)〜台湾の記憶と大陸へ進む決断

2019-08-05 23:07:00 | インタビュー
*さて続きです。台湾では色々と考えさせられる出来事があったようです。ここで、しっかりと自分のキャリアを積み上げていった事が今の彼に繋がっていくんだなぁ。と、彼の経歴と当時の台湾の芸能史を見比べて感慨深いものがありました。
 
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1995-2000年の5年間は、収入が段々減っていった事だけを覚えている
 
*19歳で、鍾漢良はTVBのダンサーとなり、梅艷芳(アニタ・ムイ)、張国栄(レスリー・チャン)などのスターのバックダンサーをはじめました。しかし、抜群の顔立ちがすぐに認められて、ダンサーとして仕事をしたのはわずかな期間だけで、すぐにドラマ班に移されました。当時の彼は、演技にそれほど思い入れがなく、「演じることをやめなかった」が、別に演技が上手くなったり好きになったりする事もなかったのです。
 
*もし、TVBでの仕事が、「やりたい事ができず、ドラマのデビューはしたけれどそれは自ら望んだものではない」という状況でなかったら、あの1995年に、台湾で活躍していた男性歌手の邰正宵(サミュエル・タイ)からの誘いは、彼の人生の二つ目の大きな転機には、ならなかったでしょう。
 
*当時、邰正宵(サミュエル・タイ)は香港で新人を探しており、偶然にも鍾漢良に出会ったのです。台湾へ行く決断は若干21歳の鍾漢良にとって、リスクが高いものでした。なんといっても彼は中国語もできず、歌の基礎もなく、あるのはダンスへの強い情熱だけだったのです。彼は唯一の自分の願いであるダンスの能力を発揮できるのはアルバムを出す事であり、それが台湾に行く決め手だったと語っています。台湾へ行ってからは、毎日、目が覚めるとダンスと歌のレッスンをし、その時間はあっという間に過ぎ、彼は最初のアルバム《OREA》を発表して、“小太陽”と呼ばれるようになったのです。
 
*1995年から2000年まで、鍾漢良は台湾でアルバムを発表し続けましたが、順風満帆というわけではありませんでした。この五年間、何をしたのか?問われると、彼は自分でも何をしていたのかよく覚えていないと語っています。ただ、通帳の残金がどんどん少なくなっていく現実に直面し、将来はどうしていけばいいのだろうと、自分を改めて振り返ったのだそうです。
そこで2000年に、中国語や演技を学び、大陸のドラマに出演し、アルバム制作はできる範囲で挑戦しようと決めたのです。そして、鍾漢良は本格的に大陸ドラマに進出することになったのです。
 
 
“北漂”生活は十数年、どんな事にも立ち向かい続けた
   ※「北漂」・・他の土地から来て北京で仕事をしている人を表した言葉
 
*北京に行ってすぐ、彼はドラマ「白手風雲」に参加しました。香港や台湾で過ごしていた南方人として最初に慣れなくてはいけないのは激しい寒さです。「零下二十度なんて、私はこれほど寒いとは思いませんでした。木に縛られて、雨に打たれるシーンがありました。水車から雨が滴り落ちてくるのですが、落ちてくるのは水滴のはずなのに、顔に当たるとすぐに氷になっているのです。」
 
*彼はドラマのシーンが一つ終わる毎に言いようのない強い思いが湧き、いつも香港が恋しくなったと語ってまいす。「寒さがつらく、孤独で誰も頼れないし、香港からは遠く、環境になじめないので、自分がとても哀れだと感じていました。でも不思議なことに、私は一度も演じたくないと思ったことがなかったのです。なぜなら、もともと私は簡単に物事を諦めるようなタイプではなかったからです。」
 
*故郷を離れた経験で、彼は「孤独の寂しさに耐える事」を学んだのです。彼は幼い時から自分は「家から離れるだろう」と思っていて、周りの環境に馴染めないことはないと自然に感じていたと語っています。「中学生の時から両親はよく大陸に働きに行っていました。いつも一週間に一回か二回ぐらいしか会えませんでした;若いうちに台湾で仕事をした時もただ一人でした。大陸にきて仕事をしていますが、北京に来て頑張っている人達も実はもともと北京出身の人達ではないのです。どこから来たかに関係なく、色々な国から来て、故郷を離れ、実家を恋しく思いながら、都市をさすらっています。なので、一番大切なのは家族とどうやって感情の絆を持つかなのだと思います。」
 
(続く)
つぎは、大陸での活躍です。
 

 
 
 
コメント (4)
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