U15軟式野球中日本交流彦根大会-
台風19号の影響で、大会の中止や規模縮小も考えられた。
これについては、代表からも幾度の連絡があった。
正直、中止をも覚悟した。
しかし、私はこんな状況であっても少なからず決行を願っていた。
全体LINEの中でも代表にそうお願いをした。
その事に十分理解をしてくれていた。
子ども達が喜ぶならば、我々保護者はどれだけ苦労をしても構わない-
これが全会一致の考え方だった。
こうした考えが、みんなの願いを通させてくれた。
この2日間、福井からはたくさんの応援が訪れた。
我が家もそうだったが、祖父母の姿も多く見受けられた。
これが中学生最後となる軟式野球。
以前は、部活を終えた時点で硬式球を買ってやりたいと思っていた。
しかし、県選抜のお陰でその考え方が変わった。
誇りを持って1日でも長く軟式球を握ってほしい。
そう願うようになった。
阪神選抜との試合は気の抜けない、しびれた試合だった。
それは、星稜の時と全く同じように感じられた。
なかなか結果が残せない蒼空だったが、それでも監督は最後まで辛抱強く出し続けてくれた。
夫婦としてはそれが何よりも嬉しかった。
『人は何も言われなくなった時や見放された時が悲しい時。私は絶対に君達にそうはしない』
監督が子ども達にこう言っていたことを覚えている。
この2か月半。
私達夫婦は、人の想いに応えられるような人に成長してほしいと願っていた。
福井県選抜の集大成は優勝で幕を閉じた。
後に代表は、このように言ってくれた。
今回の選抜チームは、過去のチームよりも強かった。と。
そして、もしも都道府県対抗に出場していたら、おそらく上位に進出していただろう。と。
そこから1か月後、福井県選抜の慰労会が行われた。
主将を務めた陽歩の父親が発起人となり、それは実現した。
これまでの話題を時間が許す限り、みんなで語り合った。
最後は記念写真を撮り、いい笑顔で締めくくった。
そして、これで本当の解散となった。
2019年11月18日-
「なぁ、ちょっと来て」
仕事から帰るなり、妻がそう言ってきた。
どうせ大したことではない。
しばらく放っていたが、あまりにもしつこいので近づいてみた。
すると、スマフォを片手にある動画を見せ始めた。
そこに映し出されていたもの。
それは2005年選抜大会での福井商の映像だった。
1回戦の新田に勝利して校歌を斉唱していた。
聞き覚えのある校歌が流れる中、整列した選手が1人ずつ映されていく。
笑顔で大きく口を広げて歌っていた1人の高校球児-
15年前の夏に見たあの高校球児の姿が確かにあった。
「これが監督やで。たぶん。」
私の声に反応した蒼空が寄ってきた。
「ほんまや。今のままの顔や。」
家族みんなが笑顔になった。
そして喰い入るように何度も何度も繰り返し見た。
足早に過ぎ去った夢のような2か月半。
それが嘘のように、そこはいつもの我が家の光景に戻っていた。
おわり
彦根の大会の開催を願うグループLINE、ほんとにありがたく思っていました(T^T)
どうしても何としてでも泊まりで行かせてあげたくて……
台風よ、早く去れと願うばかりでしたね。
阪神選抜でのマウンドを任されましたが負けを喫してしまい……ほんとにみんなには申し訳ない思いでした(T^T)
でもこの18人と指導者は最後まで諦めなかった!
それもまた感動を呼びましたね(T^T)
思い出話は尽きませんが……
ほんとに楽しい幸せな2ヶ月半をありがとうございましたm(_ _)m
特に星稜中打線を力でねじ伏せた投球はお見事でした。
何かの縁が繋がった県選抜の18人。
このメンバーで過ごせてよかったです。
時間が経つに連れ、保護者同士も親しくなれました。
若狭地区からは我が家だけだったので、二州地区の3軒には色々とお世話になりました。
私自身も、本当に楽しい時間を過ごさせてもらいました。
ありがとうございました。