切られお富!

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「ニート」再集計したら85万人。

2005-03-25 08:50:00 | 日日雑記
集計値はともかく、たくさんいるってことですよね。

話のタネに例の『ニート』という本を読んだのだけど、わかったようなわからないような…。あまり精緻なドキュメントとはいえず、話題作ではあるけど名著ではないなというのが私の印象。でも、どんなタイプを指しているか、私なりになんとなくイメージはできる。

(というわけで、考えはまとまらないけど、以下は私のとりとめのない雑感です。)

この本では、ニートという現象の原因を①労働市場問題、②教育問題、③家庭問題、そしてまた別の何かがあるのではという言い方をしているのだけど、あえて私が第4項を挙げるとすれば、「今の日本社会が鬱病を引き起こしやすい社会である。」ということがあるのではないか?

私自身、高校、大学、社会人と五月病経験者で不登校、フリーター生活経験者でもある。(ただ大学に籍はあったので、純粋に統計的な意味でのフリーターではないが。)厳密な意味での病理学的定義の「鬱」ではないにしても、「鬱な気分」というものには、お気楽に生きている私でも始終襲われてきた。

まともに社会に出たことがない人はともかく、いったん社会と繋がりのあった人が「ニート」化していくということが私には興味深くて、このあたりが「鬱と関係あるのでは?」と考える原因になっているのだけど…。

では、「何でおまえはニートにならなかったのか?」と問われれば、煩悩、とりわけ物欲のおかげという他ない。端的に言えば、そのときどきにはまっていたものにお金をつぎ込まねばならず、気兼ねのない資金調達のための労働というのが、今もって私の労働意欲の原動力になっている。高校時代、学校に隠れてやっていたコンビニのバイトを皮切りに、西新宿のレコード屋巡りから、ガキの癖に入り浸った高田馬場、池袋の映画館、新宿の末広亭etc。煩悩なくして、私の鬱状態からの脱出はなかったと断言できる。(この辺の感覚は、生きてくために働いたというタイプの世代から反感を買われるところなのだろうけど。)

それ故にか、妙に気になるのが、この本に出てくる「ニート」な人々が「やりがい」を求めてボランティアや福祉系の仕事に関心を向けること。ボランティアや福祉の仕事の立派さを認めるに吝かではないのだけど、煩悩から解脱した人たちの“健康”ぶりに、なんとはなしの危うさを感じてしまうのだ。

というのも、高田馬場、池袋漂流時代の私が盛んに誘われたのが、宗教と自己啓発セミナーの類。(最近はどうか知らないが、高田馬場と池袋にはそういうお姉さんが結構いて、盛んに誘われた。)実際にそっちの方面に行ってしまった知り合いもいるのだけど、東京という場所の物質量、情報量が私の物欲を刺激し、解脱の境地を妨げて、崇高な労働とは埒外の人格を形成することになった。この本の中の「ニート」な人々の物欲のなさをみるにつけ、煩悩と行動力、物欲と抗鬱ということに思いを致さずには入られない。(だから、オタクを描いたマンガ、『げんしけん』に私は肯定的です。実際に自律神経失調症の子供には、治療法のひとつとして「趣味を持つこと」が薦められたりする。)
『げんしけん①②』私の感想。
『げんしけん (1)』

ニートとは直接は関係ないが、小林紀晴の『アジアン・ジャパニーズ』に出てくる自分探しをしている人たちも含めて、日本の資本主義社会に順応するには「煩悩」や「物欲」とどう折り合いをつけるかというのがあるような気がしてしょうがないのだけど、どうなのだろう…。

『ASIAN JAPANESE―アジアン・ジャパニーズ〈1〉』

ただ、資本主義の魔力で辛うじて鬱を逃れている私みたいな人間は、結局のところ婚期を逃していく運命にあるのだろうけど…。

PS:ひょっとしたら読んでいるかもしれない、フリーター&ニート諸氏に一言。趣味を仕事にするのは必ずしもハッピーじゃないですよ!

「ニート」再集計したら85万人 (産経新聞) - goo ニュース

「競争は悪とする教育がニート助長」 中山文科相語る (朝日新聞) - goo ニュース

『ニート―フリーターでもなく失業者でもなく』

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