切られお富!

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一月 新橋演舞場(夜の部) 「逆櫓」「七段目」「釣女」

2013-01-26 00:06:36 | かぶき讃(劇評)
遅ればせながら、簡単に感想っ。

①ひらがな盛衰記 逆櫓(さかろ)

これは今月の大阪文楽劇場でもやっている重厚な演目ですが、地元の市長には文楽だろうが歌舞伎だろうが、その良さなんてわかるまい!

と、どうでもよいことはともかく、近年の幸四郎にしては若々しい舞台で悪くなかったです。

木曾義仲の遺児を巡る物語で、取替え子の悲劇を扱った芝居ですが、そもそも基本古風な演目でしょう。とはいいながら、今回の舞台は、出演者の顔ぶれもその芝居も、近年観た舞台の中ではとりわけ古風。

松右衛門女房およしの高麗蔵が近年見たこの役では特別に古風で「慎ましい女房」らしく(たとえば、門口で美しいお筆を観たときの驚きと嫉妬が大げさ過ぎないところがよい。)、漁師権四郎の錦吾は手堅く渋い。ただ、段四郎や左團次が演じるよりは地味だなという印象もなくはないですけどね~。

漁師権四郎という老け役は、自分の孫が死んだと知ったときの「嘆きのセンチメンタリズム」と「怒ったときの開き直った怖さ」の二点が人それぞれだと思うんだけど、段四郎と左團次はどちらの点でもややオーバーなところがあって、その点の比較でいえば錦吾は中庸という感じがしました。なので、権四郎の嘆きを聞きたい観客には物足りなかったかもしれない。

そして、今回のこの舞台の白眉は、福助のお筆。取替え子になった義仲の遺児を探しに来る恨まれ役のお筆ですが、門口で浅い「くの字」の格好で応答を待つ立ち姿と、あごを引いた形の控えめな美しさ!取替え子になった顛末を語るときの義太夫に乗った所作!比較的出番の少ない役ながら、品があってよかったですね~。新作なんかだと、とかくアダっぽいこの人ですが、古典となると最近はよいです。3月の国立劇場「女清玄」が楽しみ!

で、最後に幸四郎ですが、近年のこの人の舞台を観て思うのは、齢七十を過ぎたせいか、ペース配分を考えた舞台だなあ~ということ。言い方を換えれば、全編元気一杯という感じではなくなってきていて、去年の弁慶&富樫昼夜交代の「勧進帳」にせよ、老練な俳優という見せ方がやや臭かった「ラマンチャの男」にせよ、力を入れる場面で若く見せる舞台だな~とは思いますね。

その段でいえば、今回は門口から外を確かめた後に決まるところの形と口跡の若々しさなんか、目の覚める印象でした。ただ、これって、スケールが大きいという感じとは違うもので、この人のよいときって、スケール感より若々しさが先に出るんですよね。万年青年的というんでしょうか。

また、舞台上手の障子が開き、子役を抱えて二度目に登場するくだりは、今の吉右衛門より見た目が初代吉右衛門似。ここも形が良いと思いました。

とかく最近の幸四郎は役を爺むさく演じる傾向がありますが、この舞台に関してはそういうことはなかった。爺むさいのが演技派ってものでもないんだし、今後も若々しく演じて続けてもらいたいものだと思いますよ。

他では、梅玉の畠山は本役で素晴らしいです。ま、好みの問題かもしれませんが。

というわけで、個人的にはまずまずでした。

②仮名手本忠臣蔵 七段目

ご存知忠臣蔵の花、七段目。

六段目の「勘平腹切」が貧乏な山奥の家を舞台に、陰惨な場面が続く芝居なのにたいして、祇園を舞台にした七段目は陰謀渦巻くストーリーながら、全体が陽性で、色彩でいうならピンク。

七段目といえば、由良之助の垢抜けた洒脱さ、平右衛門・お軽兄妹の明るくも哀しいセンチメンタリズムが舞台の中心だとわたしは思っているんですが、これでは簡単な要約に過ぎるでしょうか!

さて、今回の舞台は「中村雀右衛門一周忌追善」ということで、雀右衛門との共演が多かった吉右衛門と雀右衛門の子息・芝雀の責任舞台って感じですかね(もちろん、雀右衛門の長男大谷友右衛門
とそのご子息も出てらっしゃいますが。)。

で、今回の舞台、十分その責任を果たした素晴らしい舞台だったと断言できます!

平右衛門・お軽の兄妹といえば、仁左衛門・玉三郎の近親相姦めいたスイートで美しいコンビが素晴らしくて、このときの仁左衛門=平右衛門を越える舞台はなかなかないだろうなあ~と思っていたんですが、今回の吉右衛門も勝るとも劣らない出来でしたね。

舞台下手から「しばらく」の掛け声で登場するときの「しばらく~」からして、名調子で恍惚としてしまうし、とにかく、懐が深くてやわらかい。ディテールのよさを言葉に現すのが困難な素晴らしさなんですが、仁左衛門のスイートさに比して、吉右衛門はスケール感がありおおらかでやさしいんですよね。

そして、妙にわかりやすいというか、夫・勘平の死をお軽に伝えるまでの流れがスムーズで、歌舞伎ビギナーでもイヤホンガイドなしでわかるんじゃないかと思えるほど、自然に芝居が流れる。じつは七段目って、長くて結構だれるんですが、こういうわかりやすさは、今回の舞台が初めてですね、全然長く感じないんだから。

で、その平右衛門に対する妹お軽ですが、舞台上手の障子が開いて芝雀=お軽の登場シーン、あごのラインが雀右衛門を彷彿とさせて、正直ビックリ。親子だから当たり前とはいいながら、ウグイス顔の芝雀の顔が、雀右衛門のそそり顔にそっくりに見えたのは、芝雀が少し痩せたからなんでしょうか?

また、夫・勘平の死を知ってからの大汗かいた大熱演は、常ならぬレベルのもので、ヒラヒラとして可愛い普段の芝雀のイメージを一新するくらいの迫力がありました。

さて、由良之助は團十郎休演のため幸四郎が代演。前の「逆櫓」とは打って変わって、妙に爺むさく神妙でしたね。(ただし、力弥が出てくるところでは俄然若返る!)


以前も書いたのですが、幸四郎の由良之助は中間管理職めいていて、松本白鸚や二世松緑のような前世代の由良之助が会社の重役クラスの貫禄をもっていたの比べ、いかにも剛直さが足りない。しかも、センチメンタルなところがあって、「由良之助って泣き虫な人なの?」とさえ思えてしまう面がある。エモーショナルじゃないというか、エモーションがセンチメンタルな方面に流れるというか、仇討ちする大将っぽくないところが残念。

でも、今の会社の役職者は、小津安二郎の映画の佐分利信みたいではないし、政治家だって田中角栄のギラギラ感はないわけで、同時代の役職者像を象徴しているのかもしれませんね~。ただ、会社のCEOぐらいの貫禄は必要だと思いますけど。じゃないと、武士団の親分じゃなくなっちゃうんでネ。(そういえば、白鸚の享年は71だから、今の幸四郎と年はかわらないんですよね。)

あと、気づいたのは、斧九太夫の家橘が珍しく実録風で、最近滑稽に演じられがちなこの役を悪役として演じていたのが面白かった。滑稽すぎては芝居に緊張感がないし、なにしろ、定九郎の父親ですから、アレくらい悪そうでもよいですよ。そのかわり、男女蔵の伴内が滑稽味が強かったのはバランスの問題からくるんですかね?

というわけで、わたしの言葉足らずながら、よい舞台で満喫させて頂きました。

③釣女

大物が二題続いたんで、軽いものということなんでしょうが、よく考えてみると、フェミニストが怒りそうな演目ですよね。

独身の男二人が自分の女房を釣り糸で吊り上げるという設定で、大名には美人、太郎冠者には不美人が釣れるというこの芝居ですが、太郎冠者=又五郎の口跡のよさと達者ぶり、姫御寮の七之助の美しさばかりが目に焼きつきました。

橋之助の大名も声が高くて悪くないし、三津五郎の醜女も面白いんですが、このメンバーなら他のものが観たかったなというのが正直なところ。こういう芝居がこういうメンバーでできるのも、歌舞伎役者の層の厚さのなせるわざってところなんですかね。ところで、この芝居と似たような話の落語の「野ざらし」って、たぶん「野ざらし」の方が先なんですかね?

なお、初春の舞台に常磐津の蛸足の見台(ほんとに赤くて蛸の足に見えます!)は合うなあ~とも思いました。

以上、簡単でしたが・・・。

柳家小三治II-1「野晒し」-「朝日名人会」ライヴシリーズ42
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2 コメント

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落語でふたたび (iina)
2013-05-12 21:32:55
小三治ファンのひとりですが、なかなか好いです。

とりたてて笑わせようとしないところの妙がいいのです。マクラの小三治を捨て去った古典落語を40分ほどをたっぷり聴かせました。
こんな小三治ははじめてでしたが、ひとに歴史ありの風でした。
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コメントありがとうございます。 (切られお富)
2013-09-07 11:38:54
今更ながら、コメントありがとうございます。

わたしも以前小三治の「野ざらし」を独演会で聴いたことがありますが、よかったです。

三代目柳好の「野ざらし」せっかちっぽいところがよかったけど、小三治はのんびりした感じがよい!

いまや、「野ざらし」といえば、小三治ですね。
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