goo blog サービス終了のお知らせ 

切られお富!

歌舞伎から時事ネタまで、世知辛い世の中に毒を撒き散らす!

11月 国立劇場 『噂音菊柳澤騒動』(かねてきくやなぎさわそうどう)

2004-11-15 02:47:25 | かぶき讃(劇評)
ここのところ何かと忙しく、なかなか感想が書けず、そうかと言ってこれ以上書かないと、ディテールの記憶が曖昧になりそうなので、書きます。ごくごく簡単に。

約百年ぶりの上演で河竹黙阿弥の作品。大体、長らく上演されない芝居というのは、はっきり言ってつまらない芝居が九分九厘。おまけに私の好きな河竹黙阿弥といえども、初演が明治8年ということで江戸時代の作品ではない。江戸時代まではあれほど輝いていた黙阿弥が明治以後の社会の風潮にいまいちなじめず、作品的にも精彩を欠いていったことを考えるとどうかな…というのが私の観る前の予断だった。

ただ、基本的に音羽屋贔屓の私としては、菊五郎・菊之助親子が出るからまあいいか、というわけで一階花道近くの席に陣取っての観劇。

まず、序幕は柳澤吉保が徳川綱吉に気に入られて出世するきっかけのくだり。劇作としてはたいして面白くはないのだが、菊之助(綱吉)と菊五郎(柳澤)の出がいい。二人とも声のいい人なので花道の台詞がよく通る。綱吉像をどう捉えるかで今回の菊之助の芝居の評価も変わるのだろうが、そういうことより、贔屓役者の凛々しい姿を花道で見れて私的にはOK。

菊之助という人は海老蔵や尾上松緑、染五郎らに隠れて地味に思っている人も多いかもしれないが、私は海老蔵と並ぶ若手の実力者だと思っている。松緑は個人的には割りと好きだが、他の染五郎、勘太郎、七之助などの同年代の若手とは三段くらい違う素質の役者だというのが私の見方。(最近の浅草歌舞伎の動員とは裏腹の芝居内容を考えてみよ!)芝居が仮に劇作に合わなくてもなんとなく見せてしまううまさがある。

序幕でよかったのは、田之助の桂昌院。言うまでもないがやっぱり芝居が締まります。

そして、今回一番面白かったのが二幕目。
女に興味のない綱吉の興味を女に向けさせるため、柳澤邸を吉原にみたて、武士や大奥の女房たちも吉原の人々の仮装をするという趣向。上品な世界の人たちがひととき庶民ごっこをするという一種のヴァーチャル・リアリィティーの面白さ。この幕で本来は局(つぼね)ながら、茶屋女房の役を劇中演じる坂東竹三郎が渋い傑作。この場のリアリティーを一身に背負っているともいえるほどの名演で、先月の立ち役も悪くはなかったが、やっぱりこの人はこういう役。口元のニュアンスが世辞長けたこの世界の女の雰囲気と大奥の女房の雰囲気を兼ね備えた色気を充満させていた。(なお吉原という文化現象が、吉原が存在した時代からヴァーチャルなものだったことは『二階ぞめき』という落語からもわかる。興味のある方は志ん生のCDをどうぞ。)

因みに、ここでちょっとだけスポーツ新聞などで話題になった「マツゲンサンバ」というパロディが出てくるのだが、品のない音楽テープなど流さずに下座の音楽を使って軽くサンバにしていたのは、芝居の品が落ちずによかった。私はこの手の企画が大嫌いだが、手短にやっていたのでいやみじゃなかったことと、国立劇場も独立行政法人として採算性が問われているだけに、こんなこともしなければいけないのかと思うと、ちょっと悲しい。(やっぱり、小泉は歌舞伎ファンなんかじゃないですよ、ホント。)

この仮想<吉原>と並行する形で、ほぼ類似の人間関係の登場人物が出てくる船宿の場は、萬次郎演じる近所の女房こせんがいい。この人は宗十郎亡き後の古風な感じでなおかつ異形の女形で私は結構好きだ。声が独特なのもいい。宗十郎の自主公演でやっていたものなんかをやって欲しい人だ。

柳澤の妻おさめ、船宿の女将おりう、御台所操の前の三役を演じた今回の時蔵。一番よかったのが操の前で引っ込みの後姿の気品は随一のもの。おりうも団扇を持った浴衣姿がアダっぽくて良かったが、問題なのはおさめ役。男色趣味の綱吉の気を引くためのお小姓姿での登場がまったく色っぽくない。体格が立派過ぎてお小姓に見えない。この部分はうまく生かせば倒錯したいい場面だったのだが…。他の若い役者でこの場面の再演を期待したいところ。

そして、おそらく議論の分かれる四幕目、三間右近邸宅の場。この場だけまったく毛色の違った渋い芝居になるはずだったのだが…。要するに、綱吉に毒を盛ることを柳澤方から頼まれた三間右近が迷った挙句に武士らしく自害するという話なのだが、どうにも面白くない。菊五郎の三間、田之助の三間の母、菊之助の下女おせつなど芝居も悪くなかったのだが、結局話しに問題があるのではという気がする。特に田之助は名演だったし、菊之助の下女は儚さがあって、最近の宮沢りえみたいな雰囲気があったが…。(菊之助って世話物の下女なんかだと、大抵宮沢りえの感じに似ていると思うのだが、どうでしょう?)なお義太夫も悪くない。

さて、大詰め。菊五郎大奮闘の四役目。老武士・井伊直純役はあまりこの人では見たことのない老け役で何か戯画的な感じがする。必要以上に皺が多く、腰を曲げていてちょっとやりすぎというのか。もうちょっと自然な感じで老いた頑固者の武士を演じられないかなという気がする。ましてや芸達者な菊五郎のこと、その気になれば簡単にやれるのだろうが、早替りの役をひとつ増やすために楽をしてしまったのかも。ここから、先述の時蔵の御台所操の前、登場。

そして、私が一番注文を付けたくなったのが、第二場。操の前が綱吉を殺す場面。今回原作にない補綴だそうだが、雷や風のSEが入り歌舞伎らしくなく、まったく興ざめ。正直なところSEを入れた歌舞伎で感動したことは一度もない。とにかく不思議なことに安っぽく感じるのだ。映画の話だが、淀川長治が黒澤明に、「時代劇ではクラシックは使わずに邦楽を使うべき」と言い、日本映画の邦楽使用の成功例として溝口健二の「近松物語」を挙げていたことを思い出す。とにかく安易なSEのテープなど流さず、太鼓など鳴り物で工夫してもらえればよいと思う。

最後、木場での立ち回りは素晴らしい大道具メインの立ち回りといった印象で、長谷川伸脚本の舞台設定のうまさと立ち回りが融合したような印象。運動会みたいなものより私はこういうものの方が好み。

というわけで、気づいてみたら悪口ばかり言ってしまったようだが、役者は揃っているし場面展開もスピーディーでエンターテイメントとしては及第点、ただし深みのある原作では無い様に思う。菊五郎も筋書きで「紙芝居的な芝居」と言っているように、この芝居は明治初期の娯楽活劇的なものなのではないかというのが私の印象。九代目団十郎が演じたということで、何か深みがあるもののような錯覚をしそうだが、どうもそうではなく、喩えて言うと、映画監督市川崑が『ぼんち』や『おとうと』の後に撮った『ど根性物語・銭の踊り』みたいなものと考えた方がいいと思う。(わかりにくかったかな。要はどれも傑作映画なんだけど。)

そういう意味では、菊五郎の言う「紙芝居的」な面白さは達成されていて、菊五郎劇団の安定感は楽しめる芝居だと思う。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 本日、歌舞伎座、終演! | トップ | 十一月大歌舞伎 昼の部 (... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

かぶき讃(劇評)」カテゴリの最新記事