雑談の達人

初対面の人と下らないことで適当に話を合わせるという軽薄な技術―これがコミュニケーション能力とよばれるものらしい―を求めて

リーダーシップは如何にして育つのか?

2009年06月07日 | ビジネスの雑談
筆者はかつて、組織がうまく機能するには、すぐれたリーダーが必要だと思っていた。

筆者の昔の勤め先では、リーダーシップの欠如には散々苦労させられた。例えば、ある問題が起こって、対応策について班長に相談すると「課長に相談して」。課長に相談すると「部長に相談して」。部長に相談すると「班長や課長ともっと議論してから来なさい」。そんなことをしている間にも、時間は過ぎていく。結局、もし失敗したら上司たちに「ボクはそんなことをしろとは一言もいっていない!」と非難されるのを覚悟の上で、自分で決断するしかなかった(例えうまくいっても、結果オーライで評価されるどころか、「もっと良い方法があった」と難癖付けられるのが常だった)。

経営層とはほとんど接点がなかったのでなんとも言えないが、中間管理職たちのマネージメント力のなさはひどいものだった。筆者の提案を味噌クソにこき下ろし、企画書を全面書き直しさせておいて、ところがそれを一個上の上司に却下されると、また一個上の上司の意向に沿うように書き直しさせられることもざらにあった。

こんなこともあった。なかなか有力だが、所によってはあまり評判の良くない取引先候補の会社があった。取引を始めれば、大きな商売につながるかもしれないが、その取引先と関係の良くない方面との摩擦を引き起こす可能性がある。

いろいろ考えた結果、その取引先候補とは付き合うべきでないとの意見を上司に伝えたが、この上司殿の判断には本当にあきれた。正確には、「判断しない」というのが、上司殿の判断であった。何のことはない。取引しないと決断することで、商機を逃したという責任が発生するのもイヤ、かといって、問題のある取引先と商売を始めて、もしトラブルが起こったらその責任をとるのもイヤ。結局出てくるのが、「その取引先に対しどういう付き合いをしているか、同業他社の動向を調べろ」という指示である。調べても調べても、「もっと詳しく」と重箱の隅をつつくようなことまで調べさせる。延々と不毛な調査をしている間に、その上司殿は目論見通り異動していった。

そんなこんなで、良きリーダーシップに飢えていた。このまま会社にいても、ああいう上司に生涯コキ使われ続けるか、またはそういう上司になるしかなさそうだったので、結局退社することにした。それでは、今の会社では、理想の上司にめぐり合えたのか、というと、必ずしもそうではない。が、商社の営業として、いろいろな人と出会う機会に恵まれ、リーダーシップに対する考え方がすっかり変わってしまった。人がリーダーシップを身につけるには、単に高いポジションに就くだけでは不十分で、ある条件が必須ではないかと思うようになったのだ。すなわち、自身の手で組織を成長、拡大させた経験が必要なのではないかと。次回は、そのことについて書いてみようと思う。


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