後藤健二氏がイスラム国に斬首されてはや2か月超が過ぎた。もう氏を思い出す人もなかろう。
今回の事件で明らかになったのは、「戦場ジャーナリスト」という職業の終わりである。
かつて、巨大な国家機構や抑圧的な権力機関と戦う反政府勢力やゲリラ組織、少数民族などは、自前のメディアを持つことができない時代があった。国家の弾圧に晒される彼らの主張を外部の世界に伝えてくれるのは、フリーランスの「戦場ジャーナリスト」たちだけだった。戦場ジャーナリストは一定の敬意を払われ、彼らの言い分も聞くことを条件に戦場の取材を許された。
ところが、今はネット時代である。反政府勢力の側も、安いスマートホン1個で驚くほど鮮明な動画を撮影し、あとはPCが1台あれば適当に編集し、ウェブ上にアップすることで瞬く間に全世界へと拡散できる。
「戦地のカワイソウな子どもたち」という安っぽいメロドラマを仕入れて商売にするしか能のない「戦場ジャーナリスト」などという無責任な輩に、飯のタネを与える必要など全くなくなってしまったのである。
状況の変化を理解せず、危険地帯の戦地にノコノコとあらわれる「戦場ジャーナリスト」を、人質として拘束し、身代金を要求、返答がなければ斬首するのは全く合理的である。
IT社会の到来とともに、「戦場ジャーナリスト」「戦場カメラマン」は、既に用済みとなった。だが悲劇なのは、プライドが高く奇妙な使命感の呪縛から逃れられない彼らに、その自覚が全くないことである。これからも戦場にネタを仕入れに行き、自身がネタとなり続けるのだろう。
合掌