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雑談の達人

初対面の人と下らないことで適当に話を合わせるという軽薄な技術―これがコミュニケーション能力とよばれるものらしい―を求めて

「嫌われ役」と「嫌われ者」の違い

2009年08月28日 | ビジネスの雑談
筆者の会社に、「社の嫌われ役」を自称している人が居る。

要は、「会社の発展や従業員全体の生活を守るという大きな目標のため、たとえ嫌われても覚悟の上で、面倒で辛くてもやらねばならないことを、無理にでもやらせるため口うるさく言う」、というのをポリシーにしておられる。

「嫌われ役」には、どことなくヒロイズムが漂う。何となくかっこいい。たとえ自分は犠牲になろうとも、組織全体のためなら、あえて汚れ役を買って出る、みたいな。そして、遂には、その甲斐あって会社が輝かしい成果を成し遂げた時、「これも嫌われ役を担ってくれたあの人のおかげだ!」と、愚かな社員どもがやっと気付き、尊敬のまなざしを一身に浴び、伝説となる…

で、わが社の「嫌われ役」殿であるが、確かに嫌われている。非常に細かく、どうでもいいことに特に口うるさい。しかも、粘着質で陰険である。果たして、「嫌われ役」として機能しているかと言うと、全くそんなことはない。単なる「嫌われ者」にしかなっていない。本人は嫌われ役を買って出ているつもりだが、経営層から末端の従業員含め、だれもそのように認識していない。この自称嫌われ役殿に何を言われても、自分の利益しか考えていないように聞こえてしまう。

「嫌われ役」は、実のところ難しい。あくまで「役」であるということがポイントだ。本当のところは、嫌われていないのである。つまり、人徳や憎めないキャラクターや、日ごろの何気ない気配りなど、他の理由で十分に好かれているからこそ、ビジネスの上での嫌われ「役」が務まるのである。

もともと、大して好かれてもおらず、気の利いたフォローもしておらず、人徳に欠けるような人間に、やっかいなことを命令されて、

「あの人の言うことだ。それなりの事情があるに違いない。ここは我慢して従おう。」

などと、普通は誰も考えない。そのように感じさせるには、嫌われるレベル以上に、好かれていることが条件となってくる。

「嫌われ役」は、下手に買って出ないほうがいい。誰にでもできるようなことではない。自分がどの程度好かれているかに応じて、嫌われることのできるレベルが自ずと決まってくる。己の分際をわきまえず、嫌われ役のヒロイズムに陶酔しているようだと、ただの嫌われ者として扱われる羽目に陥るだろう。


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