雑談の達人

初対面の人と下らないことで適当に話を合わせるという軽薄な技術―これがコミュニケーション能力とよばれるものらしい―を求めて

日本人は皆で不幸になりたい。

2010年05月24日 | その他の雑談
すっかりブログをほったらかしにしていた。

気づいたら、既に10万PVを超えていた。ブログ立ち上げから1年2ヶ月ぐらいか。ささやかであるが、文字ばかりの無名の匿名個人のブログとしては、まずまずではないかと思う。アクセスをいただき、読者の皆様には感謝感謝である。

さて、ブログ更新を怠っていた間、何か日本が劇的に変化する兆しでもあればよかったのだが、世の中とは面白いことは起きないもので、どうやら目だったことは何も起きなかったようだ。相変わらずの閉塞ぶりである。しかし最近、筆者個人は、この閉塞感も、実はそんなに深刻な問題ではないのではないか、という気がしてきた。

無意味な受験勉強、空虚な就職活動、無慈悲なサービス残業、年功序列の果ての、やがて哀しき部下なし管理職と、このまま同じことを続けていても未来はないとわかっていても、ガチガチの型にはまったコースでしか、多くの人が生きられない。

かといって、お決まりのレールからこぼれ落ちたら、もうおしまいである。負け犬として生きるか、引きこもるか、最悪自殺するしかない。そんな事情もあって、日本中の学校と職場で、国民総ガマン大会を毎日開催している。

しかし、こんなに死ぬほどガマンして頑張っているのに、これまでの常識を打ち破るような新しい発明、製品、サービス、思想、政策などというものは、日本発では一切でてこない。若者は無気力で、年長者は既得権に汲汲としている。

それはそれは優秀な多くの有識者や言論人がそれを憂いて見せるが、一向に事態は変わりそうにない。

なぜか?

筆者が思うに、心優しい日本国民はバブル崩壊後の失われた20年を経て、「全員が幸せになれっこない」という、至極当たり前の現実にやっと気がついた。そこから導き出される結論は、「幸せになれる人だけでも幸せになる」しかないのだが、それはそれは心やさしい日本国民はもう一つの選択肢、諸外国では類例を見ない選択をしたのではないか。

つまり、「皆一緒に不幸になりたい」のではないか。

ごく一部の人間が、幸せになるのは許せない。訳のわからないITや金融を駆使したベンチャーや投資家が、不労所得を得るのは絶対に許さないので、検察やマスコミを総動員して徹底的に叩き潰す。かといって、自分だけ不幸になるのも絶対に受け入れられない。ところが、他人を蹴落として自分だけ幸せになるのも、これまた寂しすぎて耐えられない。

そこで、皆で足を引っ張り合って、壮大な国民的スケールで不幸のどん底に落ちることを決断したのではないか。そういえば、皆が貧乏だった戦後の混乱は、実は結構幸せではなかったか?などと、戦争を知らない現代人が昭和30年代を懐かしがったりしている。

これは歴史的な実験となる。「最大多数の最大不幸」が、隠れた国家目標である。国民を等しく不幸にするために、官民挙げてあらゆる努力が傾注されるだろう。近頃耳にする「格差の是正」は、つまるところ上の方の人たちを下の方に合わせることを目指すものである。下の方の人に少しでも這い上がってきてもらうことは全く眼中にはない。

そう考えると、結構合点がいくことが多い。国民を挙げて相も変わらずバカなことを繰り返しているのも、皆で不幸を共有したいのだから、それは当たり前だ。どんどんと国富を浪費し、借金を積み上げ、人材を使いつぶし、無駄に無駄を重ねて、最後は国家デフォルトとハイパーインフレという大団円で、カタルシスを迎えるのだろう。きっと。

「イヤだ! 他人がどうだろうと、オレはオレだ! オレだけは不幸になりたくない」と思っている人は、現代日本では危険思想の持ち主だ。絶対にそのことを他人に知られないように注意しよう。あなたの「不届きな願望」がバレたら、きっと抹殺されるに違いないから。

え、私? ワ、ワタクシは不幸ですよ。モチロン! 多分皆さんと同じぐらい。ええ。

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