城繁幸氏が、7月31日付の記事「ブログを真面目に書き始めた理由」で、「雑誌というのはそれぞれの得意分野ごとに非常に読者が限定されていて、なかなか幅広いピーアールが出来ない(幅広い読者層を持っていた情報誌はいまや絶滅状態)」と述べておられた。
雑誌に限らず、ウェブ以外の従来型メディアは、それぞれターゲットとする視聴者像なり、読者像をかなり絞り込んでいるのではないか、という気がする。コンテンツを作るうえで、ある程度のターゲット層絞込みは必要だろうが、最近はピンポイント化がものすごく進んでいるのではないかと思うのだが、どうだろう。
例えば、広くビジネスマン向けのコンテンツ、というのは成立しないので、「上場企業や名門企業(新興成り上がり系のベンチャー除く)の男性社員で、40代の管理職クラス、自宅・車持ちで、妻子あり」とか、そんな感じである。そういう媒体で、ターゲット外の若者をめぐる状況を扱うときも、メイン・ターゲット層のオッサンの視点に忠実に内容を組み立てたりする。
テレビなんか見てても、「明らかに俺はターゲットにされていないな…」と感じてしまうような作りの番組が多い。見たい人が見れば良いのであって、良さが分からない人は無理して見て貰わなくても結構、と言わんばかりだ。
幅広い層が対象となる最後の砦的コンテンツのはずのニュース番組とか、スポーツ放送でさえ、分かりやすさと面白至上主義が鼻につく。ニュースの場合だと、少しでも睡眠時間を確保したい多忙なサラリーマンが効率よく情報を得るようにはできていない。意味のない演出や印象操作(「もったいぶり」や「繰り返し」)が多く、同じ情報量を得るならネットの方が遥かに効率的で、時間の無駄だなと思ってしまう。
スポーツ放送だと、無理やりに盛り上げようとする番組上の演出が逆にしらける。視聴率稼ぎのため、「オリンピックとか大イベントでもない限り、競技自体にはあまり興味のない層」をターゲットにしているとしか思えない。余談だが、選手にメディアが勝手につけている「ナントカ王子」とか、「ナントカの妖精」とか、「侍ナントカ」とか、あの不可解なキャッチコピーは何とかならないか、と思っていたら、そう思っていたのは筆者だけではなく、当事者の方々も含まれていたようだ。
メディアが商売優先で、専ら「見えているターゲット」を狙いにいくのはいいが、それだけでは先細りである。実際は、見えていないターゲットが膨大にあって、その金脈を掘り当てることに挑戦しなければ未来はないと思う。いわゆる「良き観客」、「声なき声」という最も拾い難い層である。
「良くぞ取り上げてくれた」「これこそが知りたかった。何故今まで誰も扱わなかったんだろう」と、後で感謝されるようなコンテンツ。勿論、ターゲットははっきり見えていない。当たるかどうかわからない。が、発信する側が自分の直感やセンスを信じて、失敗を恐れずやってみるしかない。そういうコンテンツを担うメディアこそが、これまで時代を引っ張ってきたのではないか。かつては文芸誌であり、新聞であったが、やがてテレビや雑誌が取って代わり、いまやウェブの独壇場になりつつある。
雑誌に限らず、ウェブ以外の従来型メディアは、それぞれターゲットとする視聴者像なり、読者像をかなり絞り込んでいるのではないか、という気がする。コンテンツを作るうえで、ある程度のターゲット層絞込みは必要だろうが、最近はピンポイント化がものすごく進んでいるのではないかと思うのだが、どうだろう。
例えば、広くビジネスマン向けのコンテンツ、というのは成立しないので、「上場企業や名門企業(新興成り上がり系のベンチャー除く)の男性社員で、40代の管理職クラス、自宅・車持ちで、妻子あり」とか、そんな感じである。そういう媒体で、ターゲット外の若者をめぐる状況を扱うときも、メイン・ターゲット層のオッサンの視点に忠実に内容を組み立てたりする。
テレビなんか見てても、「明らかに俺はターゲットにされていないな…」と感じてしまうような作りの番組が多い。見たい人が見れば良いのであって、良さが分からない人は無理して見て貰わなくても結構、と言わんばかりだ。
幅広い層が対象となる最後の砦的コンテンツのはずのニュース番組とか、スポーツ放送でさえ、分かりやすさと面白至上主義が鼻につく。ニュースの場合だと、少しでも睡眠時間を確保したい多忙なサラリーマンが効率よく情報を得るようにはできていない。意味のない演出や印象操作(「もったいぶり」や「繰り返し」)が多く、同じ情報量を得るならネットの方が遥かに効率的で、時間の無駄だなと思ってしまう。
スポーツ放送だと、無理やりに盛り上げようとする番組上の演出が逆にしらける。視聴率稼ぎのため、「オリンピックとか大イベントでもない限り、競技自体にはあまり興味のない層」をターゲットにしているとしか思えない。余談だが、選手にメディアが勝手につけている「ナントカ王子」とか、「ナントカの妖精」とか、「侍ナントカ」とか、あの不可解なキャッチコピーは何とかならないか、と思っていたら、そう思っていたのは筆者だけではなく、当事者の方々も含まれていたようだ。
メディアが商売優先で、専ら「見えているターゲット」を狙いにいくのはいいが、それだけでは先細りである。実際は、見えていないターゲットが膨大にあって、その金脈を掘り当てることに挑戦しなければ未来はないと思う。いわゆる「良き観客」、「声なき声」という最も拾い難い層である。
「良くぞ取り上げてくれた」「これこそが知りたかった。何故今まで誰も扱わなかったんだろう」と、後で感謝されるようなコンテンツ。勿論、ターゲットははっきり見えていない。当たるかどうかわからない。が、発信する側が自分の直感やセンスを信じて、失敗を恐れずやってみるしかない。そういうコンテンツを担うメディアこそが、これまで時代を引っ張ってきたのではないか。かつては文芸誌であり、新聞であったが、やがてテレビや雑誌が取って代わり、いまやウェブの独壇場になりつつある。