雑談の達人

初対面の人と下らないことで適当に話を合わせるという軽薄な技術―これがコミュニケーション能力とよばれるものらしい―を求めて

「復興税」って名前にすると、政府への文句は封じ込められても、陰で被災地の敵を作っちゃうかもよって話

2014年03月05日 | 政治の雑談

確定申告の季節であるが、所得に対して0.2%ちょいの「復興特別税」なるものが課されている。国税庁のHPによると、平成49年まで取り立てるらしい

被災地の支援にはカネがかかるのは当然だが、国民から税金を巻き上げることほど不人気な政策はない。そこで「復興」という大義名分を税金の名前に冠することで、愚かな国民の文句を予め封じてしまおうという訳である。「被災地の復興に協力しない奴は非国民だ」と言わんばかりの空気がムンムンな中、選挙が怖い政治家の先生方もこれを利用しない手はない。

しかし、世の中にはいろんな人がいる。被災者ではないが元より日々の生活のやりくりに精一杯なのに、納税という形で復興支援に強制的に参加させられることに不満を持ってはいるものの、非国民として吊し上げられたくないので押し黙っている人もきっと少なくないはずだ。こういう人たちの目に見えない、行き場のない怒りは、政府を素通りして被災地に向かうおそれがある。

「復興のための増税」ということを謳わずに、限られた財源の中、数ある支出先の中で敢えて被災地の復興に優先順位を置くとするなら、これは政府の判断であり、復興のために増税したことに対する不満があったとしてもそれは政府に向かうのが筋というものだ。ところが、「これはあくまで被災者支援のための税金だからな、お前ら文句言うなよ」といって取り立てたらどうなるか。政府は狙いどおり批判を回避できるだろうが、不満は被災地に向かうしかないだろう。

既に消費税に対して「社会保障費の財源として増税する」という似たようなロジックを使って国民の文句を封じた結果、生活保護や年金の受給者に対する目に見えないドス黒い悪意が日本社会に渦巻いている。福祉とて、すべての人がもろ手を挙げて賛成するとは限らないのである。これから平成49年まで「復興税」なるものを取り立てれば、震災のことなど何も知らない人間、更にはまだ生まれてさえいない人間からも取り立てることになり、確実に不満を持つ層は累積されていく。こうした人間からの不満については、政府も国会議員も自ら責任を以て被災者の盾となることなくスルーするつもりである。今後四半世紀もの間、同じ日本国民同士のいがみ合いと敵愾心の土壌を強固なものして、きっと将来に禍根を残すだろう。


アメリカ様はシリア開戦前に日本に事前通報してくださるだろうか?

2013年09月01日 | 政治の雑談
アメリカが近々シリアに戦争をけしかけるようだが、アメリカ様の属国の日本政府は早々に支持表明する以外に選択肢はない。「大歓迎でアメリカ様を支持します。アサド政権はクソです!やっちゃってください!」という内容を堅苦しい文面にした声明案が、もうとっくに準備ずみだろう。

そこで日本政府が今気にかけていることはただ一つだろうと容易に推測される。戦争をおっぱじめる前にアメリカ様から、「あのよ、今から数時間後にシリアへミサイルぶち込むからよ、せいぜい応援よろしくな」と、お声掛けいただけるかどうかである。これほどお慕い申し上げているアメリカ様からシカトされ、世界が注目する一大イベントを単なる傍観者として見つめるしかない屈辱に晒されるのが、安倍政権にとって一番打撃となるだろう。

事前通報があるか、ないか。2つに1つだが、筆者はここは通報がない方に賭けてみたい。理由は単純で、そんな面倒くさいことをしてもアメリカに何の利点もないからである。

この件で日本は出る幕がない。中東では何の存在感もない。この戦争でもビタ一文戦費を負担できるはずもない。自衛隊派遣など120%あり得ない。そんな無能の役立たずに事前通報するなどむしろ有害である。環境省の某役人の如く、無料のクラウドサービスもまともに使えず外交情報をダダ漏れさせた事件が起きるなど、緊張感の欠片もない低レベルの役人がウヨウヨしているのが日本である。守るべき機密も守れないおそれがある。

そもそも、オバマは日本に何の関心もない。彼の中で日本はもう終わった国である(まあその認識は正しい)。鳩山と菅を心底嫌っていたし、安倍などは就任早々訪米を熱望していたのに、まったくつれない態度だった。どうしてもオバマ様に求愛したい安倍はお土産に米国産牛肉の輸入制限全面解除と、子どもの連れ去りに関するナントカ条約の批准を手土産に持って行ったが、「粗末なものですが」と恭しく差し出したチンケな土産を、アメリカ様は「本当に粗末だな」と言わんばかりに不愛想に受け取っただけだった。

さて、どうでるか。結果はこうご期待。まぁ、はずしてもどうこうという訳ではありませんが。

明るい選挙と、明るい家族計画

2010年11月15日 | 政治の雑談
選挙とかけまして、家族計画ととく。
その心は?
どちらも、「明るく」なくては困りますw

明るい選挙って何?(「明るい選挙推進委員会」)
明るい選挙運動が「確実な廃止」 仕分け第3弾

どういう意味で、「明るく」なくては困るのか、まったく意味不明な点だけでなく、ほかにも次のような共通点がある。

避妊も投票も、やるべき時には、やらなければならない。しかし、めんどくさい。わずらわしい。サボったからといって、すぐに困るわけではない。ついつい、サボってしまったりする。しかし、サボったことによる結果は重大である。どんな結果になっても、腹をくくって受け入れる覚悟ができていればいいが、そうでないと、あとで取り返しのつかないことになるw

最近「できちゃった婚」が増えているらしい。選挙と家族計画が大いに似ているとするならば、「うっかり当選しちゃった議員」が、めっぽう増えているのかもしれない。(こういう議員を「××チルドレン」と呼んだりするw)

こうした「無責任な有権者」どもによる「うっかり当選しちゃった議員」の誕生を減らし、国民の不幸を防止するためなら、「明るい選挙推進費」も、大いに使っていただきたいものだ。

ああ、そうなると困るので、これを必死で仕分けしたいんですね、うっかり出来ちゃった国会議員の先生方はw

消費税に対抗するなら、財やサービスを「消費」せずに入手すれば良いだけの話。

2010年08月01日 | 政治の雑談
日本の財政が破たんの危機だと言われている。いつか消費税を20%ぐらいにしないと国が持たないらしい。偉そうな自称有識者の方々は、増税の是非ばかりを論じているが、本当に重要なのは、筆者のような低所得者層が、如何にして来るべき消費税20%時代を乗り越えられるのか、である。同じような低所得者層の皆さんに、そのノウハウを大公開しよう。

ドアホ政治家と腐れ役人どもが仕掛けてくる消費税に打ち勝つためには、「消費税」という言葉に注目せねばなるまい。諸外国では「付加価値税」と呼んだりするが、わが国では「消費税」である。要は、消費さえしなければ税金を取られないのである。この一見単純極まる事実、当たり前すぎて、何だそんなことかと読者のお怒りを招いてしまいそうな発見であるが、徹底して「消費」を排除するという生活スタイルこそが、金勘定一つできない浪費癖の深刻な政府に絞殺されることから逃れる最強の手段なのである。以下、具体的方法論に入ろう。

①消費せず、生産する。
自分の手で作れるもの、他人に頼らなくてもできる作業、とにかくできることは何でもまずは自分自身でやってみること。これだけで相当消費しなくて済むはずである。食事は極力自炊。外食産業にはこの際全滅してもらう。できれば家庭菜園で野菜とか作ってしまうのがよい。種子や肥料まで自前で用意できれば最高だが、出来るところまででよい。原料と言うのは、上流へ遡れば遡るほど安く手に入るものである。自販機の飲料など意地でも買わず、お茶を沸かして水筒持参。これだけで毎日数百円の消費を回避だ。ちょっとした修理などは自分で頑張る。以外に自分の手で生み出そうと思えば生み出せるものは、意外に多いのである。

②消費せず、交換する。
物々交換こそが、低所得者層の生きる道になる気がする。それぞれ、人々には独自の職能があるはずだ。パンやうどんを作ったり、勉強やスポーツなどの特技を教えたり、機械を修理したり、そうした財やサービスを直接交換する仕組みを、ネットの力で実現するのである。そうした仲介役を担うNPO法人の出現を期待したい。間に通貨が介在していないのだから、間抜けな政府は税金を取りようがないはずだ。まさにザマア見ろである。

③消費せず、消費させる。
要は自分が消費しなければよいのであって、他人の消費に便乗すればよいのである。いわゆるタダ乗りというやつである。最近「カーシェアリング」というのが流行り出したが、要はあんな感じである。親や兄弟が車を持っていて近所に住んでいるなら、バンバン借りればいい。他にも、病院に頻繁に行く知人とかいれば、必ず飲みきれない薬が大量に家庭内不良在庫になっているはずである。買えばバカ高い。タダでもらうか、激安処分価格で売ってもらえばよい。実際、医療制度の未整備の中国では「中古」の薬の売買がかなり活発である。傍から見ていると、なかなかにたくましい。これらはほんの一例で、まだまだ他人の無駄な消費を有効活用する方法は沢山あるはずだ。

どうでしょう。国民の皆さん。消費税に本当の意味で抵抗するとは、選挙で馬鹿丸出しの演説をしている政治家に一票いれることではなく、こうした実際的な手段で立ち向かうことなのです。国民が徹底的に消費しなくなった時の、彼らの青ざめる顔を夢想すると、本当にワクワクしませんか!

2012年5月6日追記
エリート知識人の先生方が今頃になって、筆者が2年も前に述べた方法で、貧乏人どもが「消費」税を回避するんじゃないかと、アゴラに大層ご立派な論説をご開陳しておられます。低能ど素人筆者の言説が正しかったことがココに証明されましたので、記念に記しておきましょう。
どてらい先生のご意見その1
どてらい先生のご意見その2
まぁ、だからといって、だれも筆者の意見に耳を傾けるとは思いませんが。
偉そうに上から目線で講釈垂れているセンセイ方が、無名のゴミブロガーと同レベルだという証拠ぐらいにはなるのかなとw

世代格差どころか、実は食い物にされる老人

2010年07月31日 | 政治の雑談
いつのまにやら、35歳になっていた。世間的に言うと、めでたく若者卒業である。
心身ともに既に老成していたが、やっと年齢が追いついたという感じだ。
若者の証である流行とか友情とかが、最近頓にどうでもいいように思われつつある。階段を若い頃の勢いで駆け下りると、足がもつれそうになり危険である。
さて、我々団塊ジュニアは恵まれない世代という論調もようやく世間に浸透しつつあるようなので、ひねくれものの筆者としてはお年寄りフォローの論陣を無意味に張ってみようかと思う。

で、世代間格差の最たるものとして非難轟々のわが国年金制度なんだけど、結局のところ、出来の悪い子供や孫に食い物にされてるんじゃないかと。
「最高齢男性」長年姿見せず ”千住の七不思議”
「111歳」ミイラ男性 認定していた足立区職員も仰天
年金受給問題 住基ネットで生存なら200歳でも

ミイラになっても年金を食い物にするほどひどくはなくても、けっきょくジジババ世代に延々とぶらさがっている若い連中(言ってやったw)は、途方もない数だと思う。
いい年になるまで散々好き放題遊び、ジジババや親が立ち上げた家業を何の苦労もなく引き継いで安泰だったりする。ジジババや親のコネで就職したガキどもも同様である。あるいは、独立もせずジジババが立てた家に住み続け、給料をすべて小遣いとして使い果たして道楽三昧。結婚してようやく家を出て行くかと思えば、披露宴の費用の大半を親に払わせる、それだけでは済まず、住宅の購入資金を贈与税の非課税枠ギリギリいっぱいまで親から分捕る。孫どもはお年玉をせびりまくる……

若い連中が世代間格差に対してそれほど強い憤りを社会に示そうとしないのは、結局のところ、いい年こいてもジジババや親におんぶに抱っこのような感じで依存し続け、甘えているからである。老人の利益のおこぼれで生きているから、何も言えないのである。そんな若者をこれ以上甘やかす必要はない。

うーん、筆者もおっさんが板についてきたかな。

このまま日本にビンボー人が増え続けても、困るのは金持ちエリートだけというパラドックス。

2010年07月27日 | 政治の雑談
日本の凋落を憂いている人たちの偽善を突いた内容のシリアスなエントリが続いてしまって恐縮だが、他にも思い当たることがある。

日本がビンボー人で溢れかえるようになると、本当に困るのは金持ちエリート層だけなのである。

ビンボー人は、周りにビンボー人が増えようと増えまいと、別段困ることはない。むしろ、日本人の場合、同類の友達候補が増えてうれしいとさえ感じるのではないか。

他方で、金持ちエリート層だが、衣食住足りるようになると、これ決まって名誉が欲しくなる。そして俄か愛国心に目覚め、オラが国は素晴らしい歴史と伝統をもった偉大な国だっぺ(=そんな国籍をもったオラは素晴らしい=そしてそんな素晴らしい国で金持ちになったオラはもっと素晴らしい)と主張するようになる。

ところが、足元の御国がボロボロだと、そういう手前勝手な自己満足に浸ることができなくなってしまう。特に海外に出たりすると馬鹿にされ放題である。発展途上国の資源成金が、全く尊敬されないのがいい例である。世界のセレブに、「Oh! 哀レナ自国ノ貧乏人ヲ搾取シテ、金持チニナッタノデスネ。少シハ恥ヲ知リナサイ!」という冷たい視線を浴びせられる。

日本がたいして豊かでもなく、世界に通用する文化も生み出せず、世界経済の足を引っ張りつづけていると、衣食住足りて名誉が欲しい金持ちエリートの方々にとっては、非常に都合が悪いのである。とるに足らない三流国家で成功したに過ぎないというのは、彼らのプライドを甚く傷つけてしまうのだ。今でこそ日本のパスポートを持っていればビザなしでほとんどの国々を旅行できるが、その内招かれざる客になるかもしれない。

「世界第二位の経済大国としての責任」という使い古されてきた看板を、来年にも下ろさざるを得なくなり、極々ささやかな成功であるサブカルチャーの健闘に望みを託すしか打つ手のない、政府関係の方々は本当に痛々しい。「多額の国連分担金を払っているから、安保理の常任理事国にしてくれ」と言ったら、「でも、御国は借金まみれで、国民は皆困窮してるって話じゃない? もう、無理な背伸びはしないほうがいいんじゃないの?」ってツッコミが返ってきそうだ。どうするつもりなんでしょう?

そんなわけで、日本が没落して困るのは極々一部の人たちなので、我々一般庶民には全く関係のないことなのである。こういう金持ちエリート偽善階級の人たちが哀れなビンボー人を煽る決め台詞は、「このままでは日本は世界から取り残されてしまう!」である。こういうもっともらしいセリフを聞かされたからといって、決して浮足立ってはいけない。取り残されて困るのは、彼らだけである。

コンゴやトリニダード・トバゴやブータンやパプア・ニューギニアのフツー人たちが、世界から取り残されているからって、特段困っているだろうか。別にビンボー人はビンボーなりに幸せに暮らしているはずである。そりゃ、多少なりとも豊かな方が良いに決まっているが、金持ちエリート偽善階級の皆様の自尊心を満たすために、我々ビンボー人が必要以上に奮闘する必要は全くないのである。

老人vs.若者の世代間対立を考える前に。

2010年07月22日 | 政治の雑談
老人と若者の世代間の利害対立という構図が、ようやく人口に膾炙しつつあるのかなと。

文芸春秋8月号「今こそ老若男女雇用機会均等法を制定せよ」
ニコ生トークセッション 城繁幸×ひろゆき 「若者よ、団結せよ! “世代間格差”を考える」
消費税の増税は世代間の不公平是正に必要だ

で、ちょっと気になるのは、我々団塊ジュニア・就職氷河期世代は、その下の世代にとって良き世代と言えるのかっていうことだ。我々にしたって、いずれは老人になるということを忘れて、老人叩きをするのはちょっとフェアじゃないような気がしまして。

んで、反省も込めて振り返ってみると、我々団塊ジュニアって、更に下の世代から見て反面教師にしかなってない気がするんだよね。

●元祖就職氷河期、フリーター、派遣世代だが、中年に差しかかっても貧困生活から抜け出せず。起業の成功者も上の世代より遙かに少ない(未だにホリエモンがカリスマだ…)
→更に若い衆の安易な超安定思考が益々先鋭化。潰れかけであっても大企業への就職希望者が殺到。アニマル・スピリットの完全消滅。日本郵政が人気ランキング上位に。

●元祖自分探し世代。行き詰ると旅に出て放浪したりするが、自分探しは終わらない。疲れたサッカー選手とか、イラクに行って世間を騒がせた人たちが代表例。
→更に若い衆の内向き思考が益々先鋭化。自分探しをすると自分を見失いがちなことに気づき、海外に興味を失う。海外旅行者数は激減。青年海外協力隊の志願者も激減。海外赴任を極力拒む。ハーバードの日本人学生も激減。引きこもりが加速。

●昭和的価値観引きずり最終世代。もう右肩上がりの成長はとっくの昔に終わっていたのに、車、結婚、出産、住宅ローン、教育といったサラリーマン人生の不良債権フルコースを出されるがままに食べて行く人生を歩んでしまったが、梯子を外されていたことに漸く気付いた。
→更に若い衆は金銭感覚を先鋭化。徹底的な人生の事業仕分けで、身の丈に合った生活をよしとし、消費は低迷。晩婚化と少子化が加速。 

…てな感じで、ろくな影響を与えてないんじゃないかと。このままだと20代の若い衆に、「いっしょに老人と戦おう!」と言っても、全然ついてきてくれないんじゃないかというのが、筆者の杞憂であればいいのだけれど。

日本の将来を憂う人々の白々しさ

2010年07月19日 | 政治の雑談
誰が言い始めたのか、日本は未曽有の危機らしい。日本企業の競争力喪失。巨額の財政赤字。止まらぬ少子化と高齢化。若者の失業。自殺の増加。世代間格差。

で、日本の将来を憂いて、天下国家を論じる方々は多い。評論家、ニュースキャスター、作家、政治家、学者、専門家、果てはお笑い芸人まで。

テレビ、新聞、雑誌、新書、ネット… 日本改革の処方箋を唱える声は百家争鳴だが、筆者はこれらに触れるたび、何とも言えぬ違和感を感じてきた。それは、こうした人々の言説の内容や真偽云々の問題でない。理由を超えたところで感じられる白々しさ。煽り文句の向こうに透けて見える危機感のなさ。具体的実行になると、やれ政府は何をやっている、企業はこうしろ、某国はずるいと、ひたすら他力本願となる無責任さ…

結局のところ、日本の将来を憂いてみせる人々は、全く本気でないのである。何故か。彼ら自身は、この沈没しつつある日本でも運よく安定的なポジションを確保し、とりあえず生活の不安のない人々なのだ。安全な所から上から目線で、「今の日本の××はケシカラン」と言うことを商売にしているだけなのである。

本物の危機に直面している人たちは、天下国家を憂いたりしない。カッコよく憂いて見せる前に、生き残りを掛けて目の前の危機と全力で闘うほかない。例えどんな手段をつかってもだ。一刻の猶予もない。ブログやメールマガジンで、自分こそは問題の本質に気付いている正義の使者だと主張する暇など勿論ない。喰うか喰われるか、殺すか殺されるかの真剣勝負をする時に、上から目線の他人事的姿勢はあり得ない。

そういう意味で、天下国家論じて飯を食っている輩が溢れかえり、そういう輩の書いたものが売れて商売になっているような内は、本物の危機はまだ訪れていない証拠と言える。そういうくだらない言説が影をひそめ、日本人の大多数が現実の危機に直面しないかぎり、現在の状況がタラタラっと続いて行くのは間違いない。

逆にいえば、日本の将来を呑気に憂う奇特な方々がたくさんいる内は、安心して惰眠をむさぼっていて良いのである。彼らの商売に協力してやる必要は全くない。煽る方も釣られる方も同罪である。

本当のところ、日本はまだまだ現状のままで十分過ぎるほど安泰なのだ。残念だけど。

日本破綻後の身の振り方

2010年07月14日 | 政治の雑談
5月24日付エントリ日本人は皆で不幸になりたい。で、「最早皆が幸せになれない」とやっと気付いた日本人は、「幸せになれる人だけでも幸せになる」のではなく、「皆で不幸になる」ことを選んだのだと筆者は書いた。本気半分、ネタ半分ぐらいである。

ところで参議院選挙が終わって、大御所ブログで同じような主張がでてきて、筆者は困惑している。

こっそりとビルトインされた秘密の破滅願望 ―参院選の結果を振り返って

参院選で示された「暗黙の民意」

一介の平サラリーマンに過ぎない筆者の雑談ぐらいだったらともかく、ネット言論界を牽引するような活躍をされている方々からも「一旦焼け野原になる以外、日本復活の道はなさそうだ。」みたいな主張が出てくると、さすがに不安になってきた。

もはや、本当に最後の審判を迎える以外に道がないのなら、どうやってその衝撃波をやり過ごすノアの箱舟に乗るのかということになる。ハイパーインフレが来たり、円が暴落したり、会社がバタバタとつぶれ、政治も経済も大混乱になり、それが落ち着くまでの一時、どう身を振るべきかを考えておくこと。それが人々の新たな関心事項になるのではないか。

そういえば、筆者の知り合いの知り合いに資産家の御令嬢がいるのだが、最近シンガポールに行ったらしい。「旅行?、いいねぇ」見たいに適当に話を振ってみたら、「もう日本は危ないから、とりあえず、あちらに口座を開こうと思って」と言われたらしい。

そうした、「Xデー」を如何に乗り越えるか、といったマニュアル本、資産運用指南本などが、これから売れるようになるかもしれない。どこの国の銀行なら安心で、日本人として資産管理がしやすいのか。どの外貨、あるいは金融商品に避難しておけば、安心なのか。Xデー第一波の兆候はどうやって読み取るのか。ローンは、年金は、株は、不動産はどうなるのか。こうしたことを、池上彰氏辺りが「そうだったのか! 日本破産。こうすればもう怖くない!」なんて感じで、分かりやすく解説してくれればと思うのだが、どうだろう。




やっぱり「不幸のレベル設定」が目標だったのか(笑)

2010年06月09日 | 政治の雑談
菅政権が発足した。筆者は就任後初の記者会見での、以下の発言に思わず苦笑いしてしまった。

「政治の役割は国民が不幸になる要素、世界の人々が不幸になる要素をいかに少なくしていくのか。最小不幸の社会を作ることにあると考えている。」

筆者は、5月24日付エントリ「日本人は皆で不幸になりたい」で、日本のこれからの国家目標は「最大多数の最大不幸」であると書いたが、菅総理は「最小不幸」を目指すと記者会見の冒頭で述べた。冒頭である。これが新総理のトップ・プライオリティーだ。

筆者の主張と菅総理の発言は、真逆のようだが実は意味するところは全く同じでである。結局は、幸福のレベルを少しでも高めようということではなくて、「どの程度の不幸なら、やむを得ない落とし所として国民が納得するか」を、これから模索するということだ。眼中には、不幸しかないらしい。幸福については、政治の役割ではないともうあきらめたようだ。筆者如きのしがないサラリーマンが本気半分ネタ半分で書いたことを、一国の総理が大真面目に施政方針のど真ん中に据えるとは…

さらに、この総理ったら、世界の人たちの不幸についてまで何とかしようと言っている。ちょっとちょっと、総理。世界の人たちは、自分たちが不幸だなんて普通思ってませんよ。そりゃ、世界の人々は貧困や紛争など、厳しい生活環境にあるかもしれないけど、わずかでもより良い明日を夢見て、そんな苦しい中でも一生懸命努力して、ちょっとでも幸福をつかもうとしているんです。「あんたたちの不幸を何とかしてあげます」って、そりゃ余計なおせっかいですよ。皆でどれぐらいの不幸を共有するかが一大事の日本人には、それでいいのかもしれませんけど。

こんな総理では、やっぱり日本国民は一億玉砕しかなさそうですな。さぁ、失われた30年の始まりです!

どうせバラまくなら、在留邦人にもバラまいてくれないか?

2009年11月27日 | 政治の雑談
民主党政権の不況政策が、成長戦略の欠如したバラ撒きに過ぎないと、所によって批判されている。バラまき政策は一時しのぎに過ぎず、雇用の流動化など、抜本的な成長戦略がないと問題の根本的な解決にならないという。

頭脳明晰でない筆者には、その真偽の程はよくわからない。転職して全く筋違いの仕事に適応することがものすごく大変だった個人的経験からすると、雇用の流動化などしてみても、物事はそんなにうまくいかないのではないか。単に不良正社員の首を切って終わるだけではないかと思うが。

それはさておき、中国で暮らしている一在留邦人として言わしてもらうと、輸出産業でしか生きられないお国のために、不慣れな外国暮らしに堪えて懸命に頑張っているのに、こうしたばら撒きのおこぼれにすら与れないのが現状である。

自民党時代の定額給付金も、民主党の子ども手当も、日本国内に住所があることが前提である。高速道路無料化など、勿論まったく関係ない。

海外で暮らすと、何かと費用がかかるが、所属先の会社に頼るしかないのが現状だ。家賃、医療費、交通費、教育費・・・大手ならその辺りのフォローも完璧なのだろうが、中小だと厳しい。

一例を挙げると、子どもの予防接種代が結構馬鹿にならない。あくまで任意なので、海外医療保険も利かない。病院の受付の方に「領収書の宛名は?」と聞かれ、「あぁ、会社負担でなくて、自己負担なので、いらないです。」と答えたら絶句され、ものすごく同情された。大手の日系企業は、どこも会社が負担してくれるらしい。

まだ子どもが小さいので、今はいいが、仮に幼稚園に行くようになると、かなりキツい。ローカルの幼稚園に行けばいいのかもしれないが、純粋な日本人の両親の間に生まれたわが子を、バリバリ中国人にしてしまうのもどうかと思うので、日系とか、インターにいれようとすると、日本の数倍は費用がかかる。

結局、このあたりの事情もあるのか、中小企業だと、単身赴任の方が多い。あるいは、日本の会社に籍をおいたまま、年間180日ぐらい出張する方もいる(これ以上中国に出張滞在すると、中国で所得税を払う必要が出てくるらしい)。家族はバラバラで生活することを余儀なくされる。そりゃ、少子化もすすむわけだ。

どうせ内需拡大などありえない日本が生き残るには、海外に打って出るしかないはず。「在留邦人支援手当」なんて、バラまいてみてはどうですかね。案外、これまで海外進出を躊躇していた会社や従業員も、果敢に海外に挑むようになって、成長戦略になるかもしれませんよ。どうでしょう、民主党のみなさん?

隙間がなければ閉塞は当然だ

2009年09月16日 | 政治の雑談
隙間という隙間をすべて埋め尽くした社会。それが日本だと筆者は思っている。

唐突に何だ、と思われるかもしれないが。日本の抱える閉塞感の正体について、あれこれ考えていて、ふと思いついた。閉塞とは、隙間がないことではないか、と。

隙間産業とか、ニッチ市場と呼ばれるものがある。弱者である中小企業や個人事業主は、大手とまともに競争してはひとたまりもないので、誰も目を向けない、地味な市場ニーズを狙って、生き残りを図ることが多い。また、リストラや、進学で失敗し、社会のレールから外れても、小さな自営業の店を経営するとか、特技を教えて授業料で細々と稼ぐとか、付加価値は低いが比較的簡単な仕事をするとか、社会で居場所となる隙間を見つけられれば、何とか生き残れる。

ところが、もはや新たな成長の余地が全くない日本では、そんなわずかな金を稼ぐための隙間探しが国を挙げての関心事となっており、国内の隙間という隙間がすべて産業化される勢いである。まずは、大規模スーパーが個人商店が生き残る隙間を埋めつくした。ネットスーパーの登場で、御用聞きすら葬り去るだろう。その後、コンビニが酒屋、雑貨屋、タバコ屋などが生き残る隙間を埋めた。巨大チェーンのカフェが喫茶店を駆逐しつつある。ドラッグストア・チェーンがコンビニの如く乱立し、小さな薬局も見かけなくなった。コイン・パーキングが、駐車場の料金係を不要にした。ハイテク防犯システムが、警備員にとって代わりつつある。それほど特殊な技能を持たない個人が、思いつき程度で始められるビジネス、仕事は、いずれ皆無になりそうな気がする。

年金をもらえない老人が、空き缶拾いで食いつないでいるというドキュメンタリー番組を見た記憶があるが、その内「リサイクル産業の発展」で、資源ごみは一片のこらず自動回収されるように高度産業化され、そんな老人が生きる隙間すら奪いとるだろう。

利潤を最大化するのが企業の至上命題である以上、自由競争の末、弱者が敗れ去るのは当たり前だとの声が聞こえてきそうだ。だが、日本を代表する大企業であっても、リスクが高く成功への道のりが険しいチャレンジングな新規事業に乗り出すよりも、閉塞しきった国内の隙間食いの方がお好きらしい。国内チャンピオンになっても、海外の強敵に果敢に戦いを挑まず、国内で弱い者叩きを続けて連勝記録を誇っているかのようで、何やらみっともなくはないか。

個人がささやかに生きるための余地である社会の隙間が、ほとんど埋め尽くされ酸欠になりつつある中、更に小さな隙間を求めて、老いも若きも、強者も弱者も、皆が懸命に争っている。それが日本の風景である。

恵まれた者の転落を心待ちにする社会

2009年08月30日 | 政治の雑談
選挙である。どうやら、民主党が優勢らしい。前回の総選挙の時とは逆に、無名の民主党候補が続々当選し、自民党の大物議員が次々落選するのだろう。

で、民主党の勝因であるが、さまざまなことが言われている。総理の失言とブレ、景気の低迷、格差の拡大、年金・医療・子育てなど、将来への不安… 筆者は、どれも違うと思っている。もちろん、いつもの如く根拠はない。敢えて根拠を挙げるとすれば、底辺を這いつくばって生きる者の肌感覚、とでも言っておこう。

要は、恵まれた人間の転落を、皆見たいだけではないかと感じている。前回の総選挙のときもそうだった。郵政民営化の是非など、どうでもよかった。大して苦労もせず、既得権からさんざん甘い汁を吸ってきた「抵抗勢力」の皆さんが、自民党の公認から外され、刺客を送りこまれ、あたふたするのを見たかっただけだ。今時、安定度バツグンの仕事についている幸運な郵便局員たちが、民間のサラリーマンと同じような悲哀を味わう危機感に、恐れ慄く姿を見て、留飲を下げたかっただけだ。

こんどもまた同じである。実のところ、政権交代などどうでもよいのだ。民主党のマニフェストなど、よくよく読めば、きっとツッコミどころ満載なのだろうが。誰もそんなものマトモに読んでいないだろう。読んでも何が正しいかなど判断できないし、そもそも、そんなヒマなどありはしない。

世襲議員、元首相、元閣僚、ブ厚い地盤と腐れ縁に守られて、長年特権を謳歌してきた連中が、ドブ板選挙をせざるを得ないほど追い込まれるのをみて、ざまあみろ、と皆面白がっている。森元首相をめぐる報道など、まさにその典型だ。

この先、自分たちの人生にロクな未来は待っていない。おそらく努力をしても全くの無駄である。それだったら、幸運にも恵まれた状態にある人間どもが、自分たちのところまで転げ落ちてほしい。自分だけ惨めな暮らしをおくるのは耐えられないが、皆でビンボーになるのは、全く怖くない。それどころか、大歓迎だ。 …これが現代日本人の、一般的な心性ではないかと思っている。

酒井法子の逮捕、大原麗子の孤独死… もはや旬でも何でもないタレントの転落など、そっとしておけばいいものを、マスコミが殊更に連日取り上げるのも、同じ文脈だろう。ああ、あいつも落っこちたか、ざまあないぜ、面白い。調子に乗るから、こうなるんだ、どん底の生活を思い知ったか、と。

民主党は束の間の勝利のあと、恵まれた者の転落を心待ちにしている社会からの要請に応えるべく、次々と新たなスケープゴートを必要とするだろう。とりあえず、次の生贄は決まっている。官僚である。天下り根絶、給与カット、退職金返納、許認可権の廃止、最後は、労働権の付与と引き換えに公務員を自由に解雇できる法律を通して完成だ。官僚は、タダのサラリーマンになる。ざまあみろ、俺たちと同じだぜ…

当面は、何とかそれぐらいで持つだろう。だが、次々と新たな生贄を見出し続けなければ、こんどは民主党自身がターゲットになる。民主党の面々をよくよく見てみれば、大富豪や世襲議員、元エリート官僚、大企業の労組の利益代表者、何だコイツら。庶民の味方ヅラをして、勝ち組の集合体じゃねぇか… 皆がそう気づく日も、そう遠い日ではない。

筆者自身は、こういう現代日本の現実を良しとするわけではない。かといって、それを良くないと言うつもりも全くない。身も蓋もない現実を前に、如何に自分は生き抜くか。それだけである。

賃金カットは巧妙に行うもの

2009年08月27日 | 政治の雑談
選挙である。各党とも、後先考えず大衆ウケしそうな話を連発している。

政治ネタは、トラックバック先も多く、ブログのアクセス・アップにはかなり有効らしいことには、筆者も薄々気が付いている。だが、あまり食指が動かない。はっきり言って、筆者は半ば世捨て人である。日本に明るい未来があるとは全く思っていない。没落は必定だと確信している。たとえ、政治ネタで一時アクセスを集めても、そんな考えの筆者の文章を読んで、楽しい気分になられる方もおりますまい。

軍事、外交はアメリカに完全に封じ込められているが、唯一の拠り所だった経済も中国に封じ込められ、いずれ日本は八方塞がりで沈んでいくだろう。文化芸術(しかもサブカルチャー)と観光で食っていくような、イタリアの様な国になるだろう(1人当たりGDPは、すでにイタリアと同程度だ)。無論、根拠はない。ただ、ヒラの営業マンとして、日々社会の底辺を歩き回っていると、そんな気がするだけのことである。負け組の戯言と思ってもらっても一向にかまわない。

そんな筆者であるが、自民党と民主党が公務員の給料引き下げ競争をしているのには、流石に呆れた。いや、公務員が可哀そうだとか、そんなつもりは全くない。このままでは財政は破たんするか、ハイパー・インフレを起こしてチャラにするかしかないので、日本の没落を1日でも遅らせるために公務員の給料はカットすべきだろう。

問題は、そのやり方である。民間企業だったら、賃金カットはもっと巧妙にやる。例えば、基本給は絞り込む一方、営業手当、役職手当、出張手当、住宅手当など、ナントカ手当を作りまくって、支給額は同じにしていく。これだったら、その過程で大して反発は起こらない。そして知らないうちに、手当の方をジワジワと縮小、廃止していくのである。これだったら、基本給は下がっていない。見かけ、労働者に優しい企業である。他にも、年俸制や成果主義を導入するという大義名分の下、全従業員給与の総額をカットするなんてのは、常套手段である。要は、気づかないうちに、いつの間にやら給料が下がっていた、という状況に持ち込むのである。

ところが、政治家の先生方のやっていることは、

「経費削減のため、従業員の給料を1割カットします!」
「いやいや、それでは不十分です。私なら2割はカットしますよ!」

などと公言している。仮に、従業員が聞いているところで、そのように大っぴらに話している民間企業の経営者がいたら、単なるバカとしか言いようがない。真っ先に優秀な人間から辞めていく。新卒も、給料が減ると分かっているところにわざわざ就職しない。そんなことも分からず、従業員(公務員)の給与引き下げ合戦をしているのは、株主(有権者)の顔色をうかがっているだけで、会社の経営(国家の財政)を本気で立て直す気などサラサラない証拠である。

まぁ、政治家の先生方は、あんなことを言われても大半の公務員の連中はやめるわけがないと、見越しているんでしょうね。実際、辞めて社会に飛び出しても、公務員の経験が役立つ職種なんてあるんですかね?

営業? 今までの真逆で、過剰サービスと平身低頭の毎日ですよ。絶対無理ですね。
企画? 前例のないことを、やったことあるんですか?
広報? 会社に記者クラブはありませんよ。
経理? 予算をどうやったら一円残らず使えるかしか、考えたことないんでしょ?
購買? 同上ですね。
庶務? そんなの全部派遣で間に合ってますよ。

なるほど、あとは、お勉強ができることを生かして、司法試験でも受けるしかなさそうですね。まぁ、株主総会(総選挙)の後にやってくるバカな経営者のもと、せいぜいがんばってください。

同世代の連帯なき団塊ジュニア世代

2009年08月04日 | 政治の雑談
総選挙に向けて、各党ともマニフェストを発表したが、結局は、団塊ジュニア世代以降に将来の負担を押し付けて、中高年票をガッチリ確保しようという戦術らしい。池田信夫氏はブログにおいて、日本最大の格差は世代間格差と述べておられるし、我々団塊ジュニア世代の立場からの発言をされている城繁幸氏に至っては、「現在の各政党は「団塊ジュニア野垂れ死に競争」を競っているようなもの」とまで仰られている。

「ロスト・ジェネレーション」とか呼ばれ、これほどまでに上の世代に食い物にされている我々団塊ジュニアであるが、その割には何だかおとなしいと思うのは、本ブログの筆者だけだろうか。数だけでいうなら、何しろあの団塊のジュニアであるので結構いるはずである。団結して主張をすれば、結構な社会的インパクトがあると思うのだが、そいう事例はあまり聞かない。何だかやられっぱなしのような印象がある。

何となくだが、団塊ジュニア世代は他の世代と比べて、同じ世代同士の横のつながりが最も貧弱な一群ではないかと感じる。そのため、団塊ジュニア共通の利益擁護のために、一丸となることが全然ないような気がする。

一口に団塊ジュニアといっても、その経済状況に鑑みるならば、次のような階層が存在する。

1.勝ち組一流大企業正社員
就職氷河期を乗り越え、見事一流企業に就職した人たち。少数精鋭で採用されているので、社内での評価は高く、競争相手となる同期も余りいないので、将来は割りと安泰。中にはバブル世代を追い越して出世してたりする。ポーズで労働市場の流動化が必要と言ってみたりするが、社内の上の世代にも結構可愛がられてたりするので、内心では終身雇用も年功序列も悪くないかも、と思っている。よって、同世代の負け組などとつるむ必要は全く感じていない。

2.負け組中小企業正社員
就職氷河期で苦戦し、何とか就職したが、不本意な就職先であったりする。自分のあとは新入社員が入ってこず、そのため何年たっても雑用から解放されず、サービス残業で死にそうになるまで働かされたりする。終身雇用&年功序列の制度だけは強制されているが、その恩恵は全く享受していない。ボロボロになるまで我慢するか、やむなく転職市場の荒波に漕ぎ出すかしかない。ただ、日本の労働市場の硬直ぶりは如何ともしがたく、今居る会社を飛び出してしまうと、非正規雇用や無職に転落する虞もあり、結局我慢を強いられる。勤め先は下請けだったりするので、勝ち組とは連帯しようもない。

3.派遣、請負、フリーターなど、非正規雇用者
就職氷河期のあおりを受け、とりあえず生活のため非正規の仕事についたが、なかなか抜け出せない人たち。この層の悪戦苦闘ぶりは、NHKのワーキングプア特集なんかで散々報じられていたので、詳細には立ち入らない。もちろん、正社員との距離は遠いだろう。

4.無職
適当な仕事が見つからず、あきらめてしまった人たち。「ニート」だとか、「引きこもり」だとか、それまでもいたであろうタイプの人に、類型化のための名称(というか、レッテル)が付けられるようになった。それも、上の世代が団塊ジュニアを分断するための策略だと見るのは、穿ちすぎだろうか。当然、勤労者との距離は遠い。

1.~4.まで、同じ年齢層の団塊ジュニア世代であるのに、互いに連帯の切っ掛けさえなく、みんなバラバラである。マクロ的に見れば、上の世代の膨大なツケを、まとめて平等に浴びせられようとしているのであるが、1.~4.のそれぞれが全く違う風景しか見ていないので、団結して対抗しようという動きもない。更に言えば、1.~4.の各グループの内部でさえ、激しい競争の中でみんな孤立しているのではないか。

どうやら、上の世代の分断統治策に完全に嵌められてしまったようだ。バラバラの団塊ジュニア世代が、上の世代からのツケ回しに、有効に対処するのは難しいだろう。しかし、更に下の世代は、そんな我々の弱さを、きっとよく見ている。ひょっとすると、上の世代のツケを我々団塊ジュニアのみでキッチリ払わせて、その後、年老いた団塊ジュニアをきれいさっぱり切り捨てようと狙っているかもしれない。