雑談の達人

初対面の人と下らないことで適当に話を合わせるという軽薄な技術―これがコミュニケーション能力とよばれるものらしい―を求めて

日本は「サービス」過剰だが、「ホスピタリティ」はない。

2010年09月01日 | ビジネスの雑談
何を隠そう、筆者は営業マンにして接待が苦手である。日本に居たころは、接待好きな上司や同僚の支援があったが、海外駐在になり自分で仕切る場面が増え、ホントにつらい。そんな中、接待のノウハウ本として手に取ったこの本に、別の意味で衝撃を受けた。

接待の一流 おもてなしは技術です (光文社新書)
田崎 真也
光文社

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日本を代表するソムリエである著者によれば、接待の真髄とは「ホスピタリティ」、すなわち、「おもてなしの心」であるという。つまり、金を払って得られる「サービス」とは全く異なる、相手に対する細やかな無償の思いやりこそが大事だというのである。

このような「ホスピタリティ」は、一朝一夕に身につくものではない。家庭の中でも、奥さんや子どもにさりげない気遣いができるかどうか。親戚や友人、会社の部下たちに対しても、見返りを特に求めない配慮を、目立たず自然にさりげなくできるかどうか。これは、人生全般における他人との向き合い方によって鍛錬されるレベルのものだ。

翻って、現代日本人の周りは「サービス」ばかりで溢れかえっている。世界中の接待の現場を数多く見てきた著者によれば、多くの日本人はガイドブックを見ただけで馴染みのない高い店を予約し、横柄な態度で従業員や同席した部下をアゴで使い、出てきた料理に偉そうに講釈をたれるケースが多いらしい。接待相手をもてなす主役は、店の従業員ではないのだが、「金を払っているのだから」自分もゲストのように楽しんで当然という日本人ばかりだという。

「金さえ払えば、しかるべきサービスを受けて当然。」現代の日本は、こんな発想ばっかりである。正直に言えば、本書を読むまでは筆者も接待は日ごろの営業サービスの一環のように考えていた。だが、「サービス」ばかりを追求し、「ホスピタリティ」を考えないビジネスは、企業の社会的存在意義を見失うばかりか、目に見えない顧客の潜在的要望にも鈍感になり、際限のない価格競争へと陥る危険性があると思う(というか、既にそんな日本企業ばっかりだがorz)。

そういえば以前、筆者の奥さんが、「週末の「家族サービス」という言い方はおかしい」と言っていたのを思い出した。その時はピンとこなかったのだが、今にして思えば奥さんは正しい。家族への奉仕は、何かの見返りにおこなうべき性質のものではないのだ。営業マンの筆者より、専業主婦の奥さんの方が、遥かに接待の真髄とも言うべき「おもてなし」の精神をもっていたのだった(ごめんなさいね)。

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