雑談の達人

初対面の人と下らないことで適当に話を合わせるという軽薄な技術―これがコミュニケーション能力とよばれるものらしい―を求めて

民間にイノベーションができて政府にできないのは、民間が優秀で政府がバカだからではない。

2014年02月03日 | ビジネスの雑談

どうも最近は「政府部門より民間部門」、簡単に言えば「官より民」のような風潮が強いようで、お上主導の産業政策がまるでダメなのは、「民」が優秀で「官」がバカなのに、「民」の知見や活力を生かそうとしないからだ、みたいな乱暴な議論を平然とのたまう人々が方々にいらっしゃるようである。

実際には、日本の場合で言えば「民」が特段に優秀などということは全くない。かと言って、何も「官」の肩を持つ訳ではない。日本では「民」も「官」と同様に十分にバカである。だいたいこの失われた20年有余年、日本の「民」がどんなイノベーションを生んだというのか。バカな「官」の規制を突き破れないようでは、そもそも「民」にイノベーションを起こす力などないということに他ならない。

「民」が極まれにイノベーションを起こせるのは、無数の失敗の上にわずかな成功例があるに過ぎない。一つの優れたイノベーションの上には、無数の失敗例という屍が累々と横たわっているのである。諸外国の「民」も粗方バカには違いないが、失敗がそれなりに許容されている点が日本とは違うのである。わが国では如何なる失敗も冒険もせず、何十年も無難に勤め上げて一生涯のキャリアを終えるのが「民」のあらまほしき姿であって、そうしたカルチャーではイノベーションなど生まれようもない。

基本的に「官」も同様の状況だが、もう一つ「官」には失敗してはならない理由がある。彼らは国民の税金で働いているのである。ウン千億突っ込んでおいて、おっとすみません失敗しちゃいましたごめんなさいねアハハハハ、で済まされない。「民」であれば、失敗すれば事業に大枚を叩いて投資した株主が損を被り、事業に携わった経営者がキッチリ責任を取らされる。他方、「官」は不特定多数の国民から強制的に金を分捕っている以上、まあ失敗してもやむを得ませんね、というような案件に莫大な資金を投入することは許されないのである。

ところが、日本の「官」が更にバカなのは、こうした己の役割の限界をわきまえず、「イノベーションを起こせていない」とか「産業政策に効果がない」などと批判されて頭に血が上り、次々とクソ同然の「成長戦略」を立ち上げ、税金を元手に言わば他人のカネで大ばくちを打ち続け、「民」顔負けの失敗を重ねていることである。おそらくわが国の「官」様は、「民」をとことん見下しているから、「優秀な俺たちに不可能はない」的な発想になるのだろうが、自分がバカだと気付かないのが最悪のバカであることは間違いなかろう。


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