雑談の達人

初対面の人と下らないことで適当に話を合わせるという軽薄な技術―これがコミュニケーション能力とよばれるものらしい―を求めて

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民間にイノベーションができて政府にできないのは、民間が優秀で政府がバカだからではない。

2014年02月03日 | ビジネスの雑談

どうも最近は「政府部門より民間部門」、簡単に言えば「官より民」のような風潮が強いようで、お上主導の産業政策がまるでダメなのは、「民」が優秀で「官」がバカなのに、「民」の知見や活力を生かそうとしないからだ、みたいな乱暴な議論を平然とのたまう人々が方々にいらっしゃるようである。

実際には、日本の場合で言えば「民」が特段に優秀などということは全くない。かと言って、何も「官」の肩を持つ訳ではない。日本では「民」も「官」と同様に十分にバカである。だいたいこの失われた20年有余年、日本の「民」がどんなイノベーションを生んだというのか。バカな「官」の規制を突き破れないようでは、そもそも「民」にイノベーションを起こす力などないということに他ならない。

「民」が極まれにイノベーションを起こせるのは、無数の失敗の上にわずかな成功例があるに過ぎない。一つの優れたイノベーションの上には、無数の失敗例という屍が累々と横たわっているのである。諸外国の「民」も粗方バカには違いないが、失敗がそれなりに許容されている点が日本とは違うのである。わが国では如何なる失敗も冒険もせず、何十年も無難に勤め上げて一生涯のキャリアを終えるのが「民」のあらまほしき姿であって、そうしたカルチャーではイノベーションなど生まれようもない。

基本的に「官」も同様の状況だが、もう一つ「官」には失敗してはならない理由がある。彼らは国民の税金で働いているのである。ウン千億突っ込んでおいて、おっとすみません失敗しちゃいましたごめんなさいねアハハハハ、で済まされない。「民」であれば、失敗すれば事業に大枚を叩いて投資した株主が損を被り、事業に携わった経営者がキッチリ責任を取らされる。他方、「官」は不特定多数の国民から強制的に金を分捕っている以上、まあ失敗してもやむを得ませんね、というような案件に莫大な資金を投入することは許されないのである。

ところが、日本の「官」が更にバカなのは、こうした己の役割の限界をわきまえず、「イノベーションを起こせていない」とか「産業政策に効果がない」などと批判されて頭に血が上り、次々とクソ同然の「成長戦略」を立ち上げ、税金を元手に言わば他人のカネで大ばくちを打ち続け、「民」顔負けの失敗を重ねていることである。おそらくわが国の「官」様は、「民」をとことん見下しているから、「優秀な俺たちに不可能はない」的な発想になるのだろうが、自分がバカだと気付かないのが最悪のバカであることは間違いなかろう。


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当店より安い価格で販売しているお店がありましたらお知らせください!・・・って気楽な商売だなw

2013年09月03日 | ビジネスの雑談
家電量販店やスーパーなどの大手小売りに行くと、「当店より安い価格で販売しているお店がありましたらお知らせください!」みたいなことを堂々と掲げているケースが散見される。先日もとある店で同様の文句がデカデカと張り出されていて、その陳腐な宣伝を見て、思わずため息が出てしまった。

なんとまぁ、気楽な商売をしていることか。

これって、客にマーケティングさせているってことですよね。しかも、そのお客様に対する報酬は、他店の商品価格との差額だけというわけですな。わざわざ他店の動向を探ってきて、貴重な情報提供をしていただいたお客様には、10万円ぐらい謝金を出すのがスジってもんではないですかね?(当然そんなつもりはないんだろうが…)他店の動向を徹底調査したうえで、品質やアフターサービスを含めてあらゆる観点で自信をもって「ベストプライス」を出すのが、本当の商売ってもんじゃないんですか。

おそらくこういう小売は、自分の店に来る客がこの程度にあしらっておけば十分喜ぶほど心底バカで無能な消費者だと思っているから、こんな傲慢な商売ができるのだろう。一般の消費者ではなくて、会社(プロの購買・調達)相手の商売だったら確実に取引を切られる。こんなやりとりが想定される。

営業「…これがお見積りになります。相当品を弊社よりも安い価格で販売している代理店がございましたら、ぜひお知らせください!」
客先「もっと安いところを見つけたら、いちいちお前んところになんか連絡するかボケ。最初から全力で他の店に絶対負けない価格を持って出直してこいやドアホ」
営業「ぎゃふん」

まあ、冒頭に挙げたような小売店がバカにしているはずの客は、物だけ確認してアマゾンなんかで買ってますけどね、いちいち怠惰な小売のマーケティングの手伝いなどするわけもなくwww ご愁傷様です。

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経営不振に悩むヘボ企業は「おじいさんのランプ」を読め!

2012年12月30日 | ビジネスの雑談
世間では、愚にもつかぬビジネス書が溢れかえっている。全く嘆かわしい。明日にも用済みとなるだろう下らぬ商売であぶく銭を稼ぎ出した連中が、得意げに「イノベーション」について語っている。まったく世も末である。

イノベーションとは何か? それを本当に知りたいなら、リンゴ印の某企業のサルまねをするより、この不朽の名作を読むべきである。

おじいさんのランプ (フォア文庫 B)
新美南吉
岩崎書店


時は文明開化。暗い夜を明るく照らす「ランプ」なる文明の利器にいち早く目をつけた「おじいさん」は、村人相手のランプ・ビジネスで起業し、大いに利益を上げる。

ところが、おじいさんのビジネス・モデルを完膚なきまでに葬り去る恐るべきイノベーションが起こる。他でもなく、それは電気である。まばゆい電気の光を前に、おじいさんは「脳天に一撃を食らったような」衝撃を受ける。しかし、過去の成功体験にしがみつき、既得権を死守せんとするおじいさんは電気に対する非合理なネガティブ・キャンペーンを展開する。

「電気というものは、長い線で山の奥からひっぱって来るもんだでのイ、その線をば夜中に狐や狸がつたって来て、この近辺の田畠を荒らすことはうけあいだね」

商売を失いかけ「頭の調子が狂ってしまった」おじいさんは、電気推進派の区長宅の放火を決行する。ところが、出がけにマッチが見付からず、しかたなく火打石を持ってきてしまったため、そのどうしようもない不便さに悪戦苦闘する。

「古くせえもなア、いざというとき間に合わねえ・・・」

この言葉とともに、ついにおじいさんは正気にめざめるのである。

「…日本のお国の人間なら、日本がこれだけ進んだことを喜んでいいはずなのだ。古い自分のしょうばいが失われるからとて、世の中の進むのにじゃましようとしたり、何の怨みもない人を怨んで火をつけようとしたのは、男として何という見苦しいざまであったことか…」

自宅に戻ったおじいさんは、在庫のランプを、涙ながらにことごとく叩き壊してしまうのである。

松下幸之助を神とあがめるそこのバカ役員ども、井深大、盛田昭夫を心の師と仰ぐクソ経営者ども、何でアンタラの会社でさっぱり利益がでないのか知りたいか? 
いや、既得権にしがみつき、痛みを伴う一切の改革の芽を踏み潰し続ける、日本のあらゆる業界のクソ社畜ども、何がお前らに欠けているか教えてやろうか? このおじいさんの珠玉の金言を心して味わうがいい。

「わしのやり方は少し馬鹿だったが、わしのしょうばいのやめ方は、自分でいうのもなんだが、なかなかりっぱだったと思うよ。(中略)いつまでもきたなく古いしょうばいにかじりついていたり、自分のしょうばいがはやっていた昔の方がよかったといったり、世の中のすすんだことをうらんだり、そんな意気地のねえことは決してしないということだ」

ちなみにこの「おじいさん」、ランプ商売を廃業後は本屋になった。もしこの名作に続編があったなら、孫とともにタブレット端末を駆使した電子書籍ビジネスでも展開していることだろう。

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レストランでメニューに載っているものを黙って食べようとしない外人に、日本的サービスの限界を見た

2012年01月04日 | ビジネスの雑談

日本を訪れた外国人ビジネスマンたちに同行し、ご関心のある訪問先に同行して、紹介やら場合によっては通訳までする仕事を仰せつかった時のことである。

彼ら3人は中東の某国出身だが、ヨーロッパやアメリカにも頻繁に出かけ、グローバルなビジネスを展開しているバリバリのやり手たちで、最近は東アジアにも手を広げようとしている。で、筆者が仕事上の付き合いで手助けしてやったというわけだが、まるでガイドか部下のようにコキ使われて多少辟易した…

ある日、道中ランチをとることにした。既にあちこちでもてなしを受けて、もう日本食にも飽きたということなので、イタリアンに連れて行った。内二人は世俗的だったが、割と真面目なイスラム教徒が一人いたので、食事に制限が多かった。そこで、シーフードの多いイタリアンなら無難だろうと思ったわけである。高級店ではないが、某百貨店のテナントに入っているような、そこそこの店である。

筆者は典型的な日本のサラリーマンの如く、おあつらえ向きの「ナントカランチセット」というありきたりなものをそそくさと頼んだ。メニューには、一応申し訳程度に英語の表記が添えてあった。そして問題が起こった。外人どもは、注文を取りに来た店員に延々とメニューの内容に関する質問をぶつけだしたのである。

「~には、どんな具材が入っているのか」
「具体的には、どんな味なのか」
「どうやって調理するのか」
「写真のこの赤いかけらは何なのか?」
「ボリュームはどの程度なのか」
「このソースは、何をベースにしているのか」

……などなど。宗教的に禁じられているものは入ってないようだから安心していいぞと教えてやっても、それが質問の理由ではないようである。単に納得してウマイものを食いたいだけらしい。

当然、店員は英語など出来ない。しかたなく、全部通訳する。が、ゆとり世代のバイトと思しき店員殿は、マニュアルにない対応など不可能で、答えはあまり要領を得ない。「ちょっと聞いてきます」などといって、なかなか戻ってこない。やっと別の店員が来ても、状況は変わらない。

そしてしまいには、外人どもは次々と無理難題なリクエストを繰り出した。

「この野菜は苦手なので、のぞいてくれないか」
「その代わりにブロッコリーを入れてほしい」
「グリルした肉の上にクリームソースをかけてもらえないか」

などなど、言いたい放題である。当然ながら、店側の回答はほぼすべてNOであった。メニューにのっている品のレシピを勝手に変えたりすることは許されないのである。まぁ、当たり前といえば当たり前である。

不満顔を炸裂させ、全く納得できそうにない外人たちは、どうにか決めた注文の品がやってくると、今度は次々と調味料を持ってこいと要求しだした。

「オリーブオイルが足りない」
「すでに挽いてある胡椒じゃなくて、ミルに入っているのをもってきてくれ」
「無塩バターはないのか」

もう勘弁してくれ、と言いたいのは店員だけでなく、通訳をさせられた筆者も同じであった。まぁ、機嫌を損ねてはまずい方々なので、精一杯誠意を見せるしかなかった。

すこし嫌味っぽく、いつもこんなことをしているのかとワガママトリオに聞いてやったところ、悪びれる様子もなく「そうだ」という。アメリカでも、ヨーロッパでも、メニューの具材や調理法を聞いて、自分たちの好みに合いそうなアレンジを加えてもらうという。大体どこの国のレストランでも気軽に応じてくれるらしい。

そりゃ、欧米や中東だけだろう。と言ってやったら、外人たち曰く、上海や香港、シンガポールでも問題なかったという。ところが日本のレストランはどこも、ほとんど全く客のリクエストに応じようとしない。そもそも、日本人の客がそろいもそろって、店が出したものを文句ひとつ言わず黙って食べているのはおかしい。出来あいのレシピに100%満足できるわけがないだろう。日本の食文化やサービスはすごいと聞かされてきたが、いったい何がすごいと言うのか…

結局、このある意味失礼な外人ゲストたちに対して、筆者は的確に反論できなかった(筆者の英語力の問題もあるかとは思うがw)。確かに、「日本の飯はウマイ! サービスは極上! 世界一だ!」と誇らしげに言う日本人は多い。だが実のところ、客の側が自分の細かな希望を相手に伝えるコミュニケーション能力を欠いているのと、店の側も柔軟に応じることの責任と面倒くささを回避して、求められてもいない過剰サービスに走っているだけではないか、という気がしてきたのである。つまり、海外で食う飯が日本の飯よりマズイのではなくて、海外でウマイ飯を食う技術が日本人にはないだけなのだ。

製造業が新興国の前に完敗した日本が、だから今度はサービス立国だというのも、お気楽な幻想にすぎないのかもしれない。このようなブログを書き、新年早々に日本の将来に改めて幻滅し、暗澹たる気分になった。今年もよろしくお願いします。

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内定がもらえないのは、あなたが人並みだからです。

2010年11月22日 | ビジネスの雑談
超就職氷河期がやってきているらしい。未だに内定がもらえない哀れな就活生の苦悩ぶりが報じられている。しかし、内定がもらえないことに、どうしてそこまで苦悩するのだろう。要は厳しい競争を前に敗れ去りそう、それだけのことだ。そんなことなら、世界のどこにでもある日常の風景だ。

就職を目の前に、ようやく社会の厳しさを目の当たりにして打ちのめされたりするのは、それまでの人生の処世術が全く通用しないからである。そうして、価値観が根底から覆されるからこそ、深い苦悩の底に叩き落とされるのだ。この日本で幼稚園から大学生までを生き抜く最も強力な処世術とは何か、それは「人並み」である。

日本では「人並み」であることが、最も有効な戦略である。とにかく周りといっしょ。同じような連中があつまる学校に通い、陳腐なカリキュラムに従順に従って学び、似たような友だちと付き合い、ありきたりなクラブ活動に打ち込み、変わり映えのしない塾に通う。そうして、それなりに幸せな学生時代を謳歌してきたのだろう。

ところが、学校を卒業して以降突入せざるをえないビジネスの現場は、最早「人並み」な人材は不要である。無論、日本の会社組織の現場は今でもクソつまらない仕事であふれかえっているので、人並みな人材に対してもある程度の需要はある。ところが、今の就活生より上の世代に、大量の人並みな人たちが溢れかえっているので、これ以上、役立たずの人並みな人材は不要なのである。かくして、「人並み外れた」学生から、内定を勝ち得ていく。

更に言うと、もともと人並みから外れてしまっているような人たちは、別に就職で苦戦したからといって苦悩したりはしない。人並みになれないことで、既に学生時代までで散々辛酸をなめてきているからだ。場合によっては、他人と違うという理不尽な理由だけで、凄惨なイジメにも見舞われただろう。だが、こういう規格外の人たちは、自分に甘えた幻想も抱いていないので、最初から大手有名企業など狙ったりせず、大人になってからの社会参加に向けて周到な準備をしていたりする。

内定をもらえない哀れな学生が、延々と何十社もエントリーし続けるとか、新卒カードを維持するため留年するとか、いつまでたっても右往左往し、悲劇のヒーロ&ヒロインを演じているのは、トコトン人並みだからだ。そして本当の悲劇は、人並みな人材は、もう必要とされないという現実である。

参考リンク

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営業の究極の目標は、「営業をしなくても売れる」状態にもっていくこと。

2010年09月08日 | ビジネスの雑談
営業職は頭も体も使わず、気ばかり使って疲弊する仕事というイメージで、とかく人気がない。しかし、営業職の真骨頂とは、そうした苦労は馬鹿げたものだと割り切った上で、如何にそういう馬鹿な営業をしないですませるかなのだ。

企業にとって最高の商売のあり方とは、宣伝も営業もしなくても、勝手に商品が売れて行く状態である。こういう状態に持ち込めば、新たに宣伝費もかからないし、営業費用もいらないので、利益率は格段に向上する。願わくは、新規開発すら必要なく、ただ単に同じものを作り続けていれば延々と売れて行くのが理想だ。わざわざ時間を割いて出向いて行き、ごまをすったり、媚びへつらったり、接待したりするのは、もちろん無駄以外の何物でもない。肝心なのは、そういう無駄を如何に省くか、なのである。

具体的に説明するため、筆者の身近な人物を取り上げよう。筆者の直接の上司である営業部長は、パワハラ一歩手前の剛腕上司で、部下を徹底的に怒鳴り散らし、こき使う嫌な奴なのだが、営業としての手腕はさすがだと認めざるを得ないので、皆よく言うことを聞く。どういうことかと言うと、彼はまさに「営業をしない天才」なのである。

ある商品をめぐり、競争入札があったとしよう。わが社の部長殿は、競合他社の情報を集めた上で入札価格にあたりをつけると、敢えて1位を狙わず、微妙なところで2位を狙うのである。このため、1位の価格よりも、3位の価格を何とか調べ出すという、ちょっと変わった調査を行うのである。営業活動も、購買の責任者に直接取り入ろうとするのではなく、その責任者の社内のライバルに接触したりする。1位をめぐる攻防に関する情報は極秘でも、3位以下の動向だと、以外に別の筋から漏れてきたりするのである。

何故2位を狙うのか。1位というのは、何かと風当たりが強い。相手の購買責任者にも大きな借りができるので、念入りな接待やアフターサービスを提供し続けねばならなくなる。後々のコストダウン要求などもキツイものをぶつけられる。もし不良品でも納入しようものなら、多額の賠償が発生するリスクも背負いこむ。

一方、2位だと全く仕事がとれないかというと、そんなことはない。サプライヤーを1社に絞ってしまうと、そのサプライヤーに何かあった時に供給の全てがとまってしまう。また、不良が見つかった時には、大変なことになる。そのため、どんな会社の購買部門でも、2社ないし3社から同レベルのものを購入できるような体制をとることが通常である。コンペで2位だったとしても、万が一の保険として、全体の2割程度はシェアをもらえたりするのである。

2位だと貰えるシェアは小さいが、その商売を後々まで維持していくコストを考えれば、部長殿のやり方は極めて狡猾だ。あくまで保険という位置づけなので、購買から無茶な要求を突きつけられることが遥かに少ない。品質改善やコストダウンについても、特段やり玉にあがらないまま、細く長く売り続けることができるのだ。これこそまさに、まともに大手とぶつかってはひとたまりもない中小企業が生き残っていく上で、最も有効なビジネスだろう。

コンペの結果発表の前日、相手先の購買責任者から「あとちょっと値下げしたら、おたくをメイン・サプライヤーにするが、どうか。」という電話連絡がコッソリ入ってきたりすると、部長殿はニヤ~とイヤらしい笑みを浮かべ、「申し訳ありません、品質重視のウチでは、今の価格が限界でして……」と、丁重な断りをいれ、敢えて「釣り」をスルーする。そして目論見通り二位のポジションを得るのである。

この部長殿、今は以前よりも現場から離れているが、かつて若手の頃は、何と一人で他の営業マン5~6人分の担当を受け持っていたという。結局、ほとんどの客先と細かい「営業」をしなくとも良い状態に持ち込みつつ、そうして空いた時間を別の新たな客先とのビジネスに次々と当てていたのだった。「最重要の客先」や「お得意様」を作らないことにより、「営業活動」を省き、最小限のコストで薄く広く商売を拡大する。これほど凄い「営業」はない。

いかがだろう。「営業はツライ」とぼやいている営業マンは、ダメ営業マンなのである。営業を辛くするのも超楽勝の仕事にするのも、自分次第なのだ。


※参考リンク
ソルジャー(営業職)採用は負け組みなのか?

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日本は「サービス」過剰だが、「ホスピタリティ」はない。

2010年09月01日 | ビジネスの雑談
何を隠そう、筆者は営業マンにして接待が苦手である。日本に居たころは、接待好きな上司や同僚の支援があったが、海外駐在になり自分で仕切る場面が増え、ホントにつらい。そんな中、接待のノウハウ本として手に取ったこの本に、別の意味で衝撃を受けた。

接待の一流 おもてなしは技術です (光文社新書)
田崎 真也
光文社

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日本を代表するソムリエである著者によれば、接待の真髄とは「ホスピタリティ」、すなわち、「おもてなしの心」であるという。つまり、金を払って得られる「サービス」とは全く異なる、相手に対する細やかな無償の思いやりこそが大事だというのである。

このような「ホスピタリティ」は、一朝一夕に身につくものではない。家庭の中でも、奥さんや子どもにさりげない気遣いができるかどうか。親戚や友人、会社の部下たちに対しても、見返りを特に求めない配慮を、目立たず自然にさりげなくできるかどうか。これは、人生全般における他人との向き合い方によって鍛錬されるレベルのものだ。

翻って、現代日本人の周りは「サービス」ばかりで溢れかえっている。世界中の接待の現場を数多く見てきた著者によれば、多くの日本人はガイドブックを見ただけで馴染みのない高い店を予約し、横柄な態度で従業員や同席した部下をアゴで使い、出てきた料理に偉そうに講釈をたれるケースが多いらしい。接待相手をもてなす主役は、店の従業員ではないのだが、「金を払っているのだから」自分もゲストのように楽しんで当然という日本人ばかりだという。

「金さえ払えば、しかるべきサービスを受けて当然。」現代の日本は、こんな発想ばっかりである。正直に言えば、本書を読むまでは筆者も接待は日ごろの営業サービスの一環のように考えていた。だが、「サービス」ばかりを追求し、「ホスピタリティ」を考えないビジネスは、企業の社会的存在意義を見失うばかりか、目に見えない顧客の潜在的要望にも鈍感になり、際限のない価格競争へと陥る危険性があると思う(というか、既にそんな日本企業ばっかりだがorz)。

そういえば以前、筆者の奥さんが、「週末の「家族サービス」という言い方はおかしい」と言っていたのを思い出した。その時はピンとこなかったのだが、今にして思えば奥さんは正しい。家族への奉仕は、何かの見返りにおこなうべき性質のものではないのだ。営業マンの筆者より、専業主婦の奥さんの方が、遥かに接待の真髄とも言うべき「おもてなし」の精神をもっていたのだった(ごめんなさいね)。

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香港で働きだすと、7年以上居たくなる理由。

2010年08月26日 | ビジネスの雑談
城繁幸氏が、香港で働くエリート・ビジネスマンの充実した暮らしぶりに触れておられた。確かに、駐在員の間でも香港勤務は非常に人気がある。ところで、首尾よく香港勤務になると、何とか7年間継続して駐在出来ないか策をめぐらしたりする人がいる。

筆者も香港で頑張る友人に聞いた話なのだが、7年以上継続して香港に居住し、キチンと納税している外国人には、何と無条件で永久ビザがもらえるという(ただし、少なくとも年1回更新のため香港に来る必要はあるらしい)。

日系企業の現地法人で働くその友人は、もともと香港要員として中途採用された経緯もあり、異動命令を受けることなく、この度めでたく滞在7年を超え、遂に永久ビザをゲットしたらしい。仮に日本が破綻し大混乱に陥ったとしても、とりあえずの避難先をまんまと確保してしまったというのは、物価高の香港とは言え微妙にうらやましい。

ただ、終身雇用と年功序列のせいで、本人の意向や適材適所は一切無視して、数年ごとに機械的に人事ローテーションを回すのが日本企業の宿命なので、普通の駐在員で彼のような役得を得られる人は少数派だろう。結局、抜け駆けや一人だけ美味しい思いをすることを絶対容認せず、あらゆる逃げ道を塞ぎ、皆で苦労を分かち合うことをモットーするのが日本社会なのである。

参考リンク:たまに遊びに来るくらいがちょうどいい国、日本

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新卒一括採用は企業にとり最高の制度。

2010年08月07日 | ビジネスの雑談
企業の新卒一括採用に批判が浴びせられている。だが断言しよう。新卒一括採用は企業にとって最高の制度である。すべての日本企業が新卒をこよなく愛するのは、新卒ほど都合のいい存在がないからだ。何の経験もない真っさらで、馬鹿でウブな新卒ほど、便利で使いやすい人材があるだろうか。

ノー天気な脳科学者などは、新卒一括採用では多様で例外的な人材が入らないなどと戯言をほざいて盛り上がっているが。企業の活動において、個性や独創性など全く必要のない部門が大半を占めるということが、学者先生には全く見えていない。企業活動において圧倒的に求められるのは、経営側の理不尽な命令に文句ひとつ言わず黙って従う奴隷の如き社畜である。会社の労務管理に個性は必要なく、会社のためならサービス残業や過労死を隠ぺいする忠誠心こそが求められる。飛び込み営業マンに創造性など必要ない。会社のためなら他人の迷惑顧みず金の匂いのするところへ飛び込む気合いとガッツだけが求められる。経理、人事、庶務、配送、クレーム処理…いずれの仕事にしても、創造性のかけらもない、ひたすら根気と忍耐だけの業務の繰り返しが大半を占めるのが現実である。

そういう意味で、新卒は極めて都合のよい存在だ。何しろ社会経験がなく真っ白なのだから、簡単に洗脳できる。変な知恵や技術をつけさせないまま、精神力と忠誠心だけ叩きこんでおけば、他所では通用しなくなり、もう逃げ出すことも出来なくなる。社会全体で年功序列制度を敷いて退路を塞いでおけば、会社を辞めた後は非正規雇用の地獄しか待っていないので、自殺するほど追い込まれても辞めない。いずれにしても他に生き方を知らないのだから、とにかく社畜を続ける他ない。

ところが、留学経験とか、一定のキャリアとか、専門知識などが多少あったりすると、こうはいかない。社畜に洗脳しようとしても、今までの経験を盾に生意気に反論してきたりする。全く使い勝手が悪い。命令を聞かない雑魚に対しては、軍隊なら軍法会議で処刑できるが、企業ではそうはいかないので、言うことを聞かせるだけでも一苦労である。

実際のところ、会社に有能な人材は多数必要ない。アップルにスティーブ・ジョブスは二人も必要ないのである。個性的で独創的な判断をする人材が必要な部門など、極僅かである。もし、そういう人材が必要なら、ヘッドハンティングでも何でもして、海外から引っ張ってくればいい。あとは新卒一括採用した社畜どもがひたすら従って働く。

浮世離れした学者先生の奇麗事に騙されてはいけない。結局のところ、「迂闊にも大学で一生懸命勉強してしまった君たち学生は、結局就職できなかったかもしれないけど、本当は君たちの方が正しいんだ!」などと、自分の指導力不足を棚に上げて職にあぶれた哀れな学生に向けて言い訳しているだけなのである。これをポジション・トークと言わずに何と言おうか。

参考リンク
大卒は何故職にあぶれるのか

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生命保険に未加入は「死に損」?

2010年07月15日 | ビジネスの雑談
7月9日付エントリ「貧困ビジネスでないビジネスとは何か?」で、保険の類も貧困ビジネスではないか、と書いたが、そういえば、こんなことを思い出した。

筆者が今の会社に転職して間もないころである。年末調整のため、経理部長に呼び出された。そして、下のようなようなやり取りがあった。

部「キミも生命保険に入っているだろう。控除があるから証書を用意しといて。」
筆「いえ、何も入ってないです。」
部「え? 生命保険にも入ってないのか? 何だ、死に損か。」
筆「……」
(他の同僚たち失笑)

筆者は「死に損」という単語の意味がわからなかった。死に損があるということは、「死に得」もあるはずだが、「死に得」って何だ? 死んで得することがあるのか。どんな形にせよ、死んだら損だと思っていたのだが、どうも周りの同僚の反応をみても、筆者の方がおかしいというような空気が流れていた。

そう。武士道の国、日本には「死に得」「死に損」という考え方が未だ存在するのである。これはなかなか恐ろしいことだと思う。生命保険の契約が発動して、「死に得」を受け取るのは配偶者とか子どもであるが、身近な第三者が得をすれば、自分は死んでも自分の所属する共同体トータルで見れば得をするのでOKということだ。結局、個人の生死よりも集団の利益が優先されているのである。

もちろん、「自分に何かあった時、残された妻子が困窮するのを避けよう」ということで、無理のない費用の生命保険に加入するのは自然な感情である。しかし、生命保険に加入していない人間に「死に損」という言葉を何気なくぶつけてくるのは、何の権力もない末端の平社員である筆者にだからこそ安心して潜在意識下の本音を口走ったのであり、大和魂の片りんを見せつけられたような気がする。

そう考えると、借金やリストラや生活苦如きで安易に自殺する日本人が後を絶たないのも、むべなるかなという感じである。一神教の国々のように生死は神の領域ではなく、損得で決めるのが日本人である。だとすると、収入、資産、仕事、家族関係、交友関係、年齢、健康状態などの詳細な個人データをインプットしておくと、コンピューターが「そろそろ死んだ方がお得です! キャンペーン中の今死んでいただきますと、天国へのフライト300マイルたまります(?)」などとお知らせしてくれるサービスなども、その内でてくるかもしれない。

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貧困ビジネスでないビジネスとは何か?

2010年07月09日 | ビジネスの雑談
「貧困ビジネス」という言葉が流行っている。明確な定義があるのかどうか知らないが、困窮者の生活保護やなけなしの金を食い物にする犯罪的なものから、社会的・経済的弱者を守ったり助ける振りをして、実のところそうした弱者にターゲットを絞り込んだ緻密なマーケティングに基づいて利益を上げるような、犯罪とは言えないが狡猾な商法まで、結構範囲は広い。

そう、考えてみると、範囲がどんどん広がる。例えば、期間35年の住宅ローンは、家やマンションを購入するためのまとまった資金のない哀れなサラリーマンをターゲットにした貧困ビジネスと言えなくもない。保険なども、不測の事態に備えるための潤沢な預金のない貧乏人の不安感を巧みに突いた貧困ビジネスのように思える。パチンコや宝くじも、儲かる確率などほとんどないのに、貧乏人に束の間の「夢」を売って利潤をあげる貧困ビジネスである。

ちなみに、池田信夫氏によると、自己啓発や宗教なども貧困ビジネスだそうで、城繁幸氏は「日本共産党は日本一の貧困ビジネス」と主張している。

そう考えて行くと、今日本で繁盛しているほとんどの商売は、貧乏人をターゲットにしているのだと気づかされる。日本の目下の成長産業は、環境でも医療でも福祉でもなく、貧困ビジネスである。この言葉を生みだした湯浅誠氏を内閣府参与にしている民主党は、成長分野になぜ「貧困ビジネス」を堂々と掲げないのか、不思議なくらいである。

それでは、貧困ビジネスでないビジネスとは、どのようなものだろうか。貧困ビジネスの逆を目指すビジネスだとすると、それは、社会的・経済的強者をターゲットとするビジネスである。

ということは、富裕層に高価なサービスや贅沢品を売りつけるようなビジネスモデルだろうか? 否。筆者の考えでは、そうしたビジネスは、本当は「富裕層」でもなんでもない階層の人々に、「自分たちはセレブなのだ」という偽りの優越感に浸ることを可能にするための仕掛けで商売しているのに過ぎず、「貧困ビジネス」の亜種とでもいうべきものである。

例えば、ファーストクラスの座席というのは、プライベート・ジェットを買えない貧乏人が、ビジネスやエコノミークラスの更なる貧乏人に対して優越感を得るためのものである。そもそも、本物の「富裕層」は数えるほどなので、そうしたビジネスでは成功しにくい。

「逆貧困ビジネス」とは、日本の真の特権階級、すなわち、1400兆円の金融資産をほぼ独占している高齢者世代をターゲットにし、彼らのメンタリティを巧みに突いたマーケティング商法にほかならない。

賢明な読者はもうおわかりだろう。そう、「オレオレ詐欺」「振り込め詐欺」といった犯罪行為から、効果が疑わしい健康食品や運動器具の販売、俳句の新聞掲載や書画の展覧、自費出版などの勧誘といった、暇と金を持て余しているが体力や判断能力が低下しつつある高齢者をターゲットにしたビジネスが、逆貧困ビジネスである。

目下の日本で「新手のベンチャー企業」が次々と生まれているのは、この「貧困ビジネス」と「逆貧困ビジネス」の2つの業界(?)だけである。起業を目指す大志に溢れる皆さんは、是非ともこのことを念頭に置きながら果敢にチャレンジしてみると、成功の可能性が高まるかもしれない。

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孫正義のスピーチ、中国では見れません。

2010年04月06日 | ビジネスの雑談
ソフトバンクの孫正義のスピーチが、あちこち有名ブログ話題になっているが、検閲大国の中国では、残念ながら見られない。中国では動画サイトは、中国民族系のサイトか、ニコニコ動画ぐらいしかアクセスできない。

「ツイッター総研」とやらがまとめた、スピーチの起こし原稿さえ見られない。
そもそも、ツイッターへのアクセスが遮断されている。

グーグルがあきれて出て行くのも、むべなるかなという感じである。

で、ちきりんのメモ経由ぐらいでしか、そのスピーチの骨子を知りようもないのだが、孫正義氏の超人的な活躍ぶりと、ケタはずれの志の崇高さの秘密は、実は↓が理由ではないかな、と。筆者のただの推測に過ぎないのだけど。

以下、ちきりんのメモ引用。

<病気> 起業した直後、26歳の時に病気が見つかる。その後29歳まで重い慢性肝炎の治療のため、3年以上入退院を繰り返す。すべてを失う。当時「もってあと5年」と言われている。

健康であったとしても、いつか死ぬ。命に限りがあることは、皆平等だ。そんなことは当たり前だ。だが、私たちは、明日も明後日も、来月も来年も、今日と変わらない日(あるいは、今日と少しだけ違うことが起こるが、まぁほぼ想定内な日々)が来てくれると信じて生きている。まずは、平均寿命ぐらいまでは生きられるだろうという前提(根拠なし)で、のほほんと凡庸極まる将来設計をたてている。

でも、実のところ、そんな保証はどこにもない。明日、交通事故でいきなり死ぬかもしれないし、くだらない通り魔に刺されて死ぬかもしれない。孫正義のように不治の病を宣告されるかもしれない。そんなふうに、人生の終わりが突然やってきても、与えられた時間の限り、やれるだけはやったんだと言えるほど、私たちは日々懸命に生きているといえるだろうか?

明日出来そうな面倒なことは今日やらないのが、弱い弱い人間のサガである。筆者も無論、例外ではない。だが、孫正義は病気ゆえに、「今すべきことを完全にやりきる」生き方しか残されていなかったのではなかろうか。(孫正義自身、アメリカ留学を前に高校を中退して、敢えて退路を断っており、自分の弱さを認めている。)寿命にタイムリミットを宣告されたことが、孫正義をして、一層自分の人生を猪突猛進せしめたのではないか。

と、肝心のスピーチも見ていない筆者は、時間を浪費して、ツラツラと駄文を書き連ねるのであった。

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サラリーマンが「ワーク・ライフ・バランス」などと言ったら負け

2010年04月01日 | ビジネスの雑談
「ワーク・ライフ・バランス」という言葉が流行っている。要は、働きすぎでイカレてしまい、生活も家庭も崩壊するサラリーマンが後をたたないので、無理のない程度に仕事をしましょうね、ということだ。

だが、こんな言葉に納得した時点で、サラリーマンとしては負けている。スポンサー様のご意向を受け、こんな言葉をせっせと広めているマスコミを見て、世のクソ経営者や厚生労働省のアホ役人どもは、さぞや高笑いしているだろう。

だいたい、「ワーク」と「ライフ」の「バランス」をとれ、というのは、一体どういう神経か? 日本のサラリーマンは、殺人的な「ワーク」を前に、「ライフ」が息も絶え絶えという状況なのに、両者の「バランス」をとれってか…

「ライフ」(人生、あるいは命)の方が「ワーク(クソ仕事)」などとは比べ物にならないほど圧倒的に重要に決まっているだろう。(しかも、このお題目、「ワーク」の方が「ライフ」より先に来てるしw)。

結局、経営者や役人どもの本音は、「民は生かさず殺さず」ということに尽きる。江戸時代の悪代官そのまんまである。そこまで「ワーク・ライフ・バランス」がやりたいなら、既得権に乗っかってるだけの連中や、哀れな平社員をこき使ってムダ飯をくっている管理職連中みたいな、いわゆる「ノン・ワーキング・リッチ層」が自分自身の「ワーク」を増やして、「バランス」をとるように、法律で規制してみたらどうだろう?

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「安定」とは、「大手」ではなく、「競争がないこと」ですよ、就活中の皆さん。

2010年01月17日 | ビジネスの雑談
今年の人気就職ランキングを見た。相変わらずの企業郡が並んでいるが、予想通りJALは下位に沈んだ。それでも100位以内に入っているのは驚きである。無名の会社に入るぐらいだったら、倒産するJALに入りたいということだろうか。

今年の傾向は、「大手安定志向」だそうだ。安定を求めるのは悪くない。冒険ばかりするのが人生ではない。身の程をわきまえ、要らぬ野心を燃やさないのも、人生を渡って行く上では重要だ。

しかし、就活生の皆さんにちょっとアドバイスしたい。「大手」と「安定」は関係がないのですよ。JALの墜落から、何も学んでないのですね。「安定」がほしいのであれば、「競争」がまったくない業界をめざすべきです。具体的には、中小企業だが、その分野でのシェアはほぼ独占しており、ニッチ産業なので利益率はそれほどでもないため、どの会社も新規に参入しようとしてこない。さらに非上場で、創業者がオーナー兼経営者。そういった会社こそが、「超安定企業」なのです。合コンでモテたりということはないかもしれませんが、こういう時代でも、間違いなく定年まで逃げ切れると思いますよ。

超大手だったJALがつぶれたのは、航空業界が、グローバル化時代において最も熾烈な国際競争に晒される業界であったためです。激しい競争があるところでは、会社の規模や官民を問わず、つぶれることがあります。公営であった郵便局や、地方公共団体でさえ、民間の物流会社や、他の有力自治体との競争にさらされ、破たん寸前になったりするわけです。許認可や既得権益に守られ、競争とは無縁に繁栄を謳歌してきたテレビ、新聞等のマスコミも、インターネットという化け物のような競争相手が現れ、青息吐息です。

そういう意味では、人気就職ランキングの企業は、商社、金融、製造などなど、どれもこれも大競争時代に喘いでいる会社ばかりです。わが国を代表する会社でも、外資の巨大多国籍企業の足元にも及ばないのが現状です。就活を勝ち抜いても、人生で勝てるとは限りません。むしろ、就活を含め、如何に極力戦わずに生き延びるかを真剣に考えることこそが、「安定」へのカギなのです。

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「スパイシー&クランチー」と、ミスユニバース代表の衣装

2009年12月12日 | ビジネスの雑談
日経ビジネスのコールド・ジャパンが面白い。筆者の前回のエントリの内容と、重なるところが多い。日本人が、「クール(かっこいい)」などと呼んでいるものは、実のところ「コールド(寒い)」にすぎないケースが多々あるのだ。

世界では、「寿司」ならぬ「SUSHI」が市場を席巻しているという。「スパイシー&クランチー」な味付けのSUSHIに対して、頭の固い日本人は「こんなものは寿司ではない」と見向きもしない。だが、世界がそういったSUSHIを求めているという現実まで、見て見ぬふりをするのだ。自身はSUSHIを好んで食べなくても、海外向けビジネスとして成立すればそれでよい、というダブル・スタンダード的発想が、結局日本からは生まれなかった。

そういえば、ミスユニバース日本代表の「過激」な衣装に、批判が殺到したことがあった。外国人のアドバイザーの意見を取り入れ、近年は日本代表が上位入賞することが多くなっていたようだが、結局、件のデザインの衣装は「こんなものは着物ではない」という非難轟々のため、修正を余儀なくされた。日本では、とかく「カワイイ」が強調されるが、海外では「セクシー」が求められるのだろう。日本の芸能人が海外に出て行ってもほとんど通用しないのは、そのあたりに原因があるのかもしれない。

自身の常識に照らして受け入れがたいものに、最初は抵抗感を持つのはやむを得ないとしても、そういうものが高い評価を受けているという現実まで否定してしまうようでは、何の進歩もありえない。

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