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映画「マレフィセント」

ーーーーーーーーーーーディズニー「眠りの森の美女」1959よりーーーーーーーーーー

2014 米 97分 島根SATY東宝にて鑑賞 監督 ロバート・ストロンバーグ
出演 アンジェリーナ・ジョリー エル・ファニング イメルダ・スタウントン

「眠り姫」はヨーロッパの古い民話。ペローやグリムの童話にもある。チャイコフスキーのバレエにもなり、ラファエル前派のバーン・ジョーンズも描いている。女性にとって眠り姫となることは、安らぎに身をゆだねる=努力せずに親に愛され、何もせずに寝ているだけで目が覚めれば理想の恋人が腕に抱いてくれること。しかし、そんな受身の人生は退屈、魔女のほうがずっと魅力的だと思う女性、それがアンジェリーナ・ジョリーである。

ある国の姫の誕生祝で、招かれないのに腹を立て、姫に永遠の眠りという呪いをかけた魔女、ディズニーアニメではマレフィセントという名がついていた。悪人が一定の役割を果すのが米国映画の常道だが、このところ特に、悪役が脚光を浴びている。「ノア」しかり。
なぜ彼女は、そんな呪いをかけたのか?たかが招待客リストに漏れただけで、と言うわけで、彼女の少女時代の失恋・喪失体験が語られる。

妖精の国の指導者だったのに、人間の男と恋し、彼の野心のために翼をもがれた。

現代アメリカのフェミニズム思想にのっとり、女性は国を統治し軍隊を指揮する能力もあるが、男と関わることでその能力が損なわれると言わんばかり。

また、3人の良い妖精は、善意に満ちているが、子育てに関しては無知で無能、トランプなどして遊んでいるうち、赤ん坊が泣くと「エサをやらなきゃ」と人参を(兎じゃないと言うのだ)ドサッと与えたり。悪気はないのだがー。一方マレフィセントは悪意の主だが、知恵と能力がある。結局何とか子供を育てあげたのは悪い魔女とお供のカラスだった。(カラスが人の子どもを育てる話もアイヌにある。)この例を見て、無知な善意と知的な悪意、どちらを選ぶかと考えさせられる。

もっとも映画としては面白く、良くできていた。戦争シーンがあるのは気になるが、米国では欠かせないらしい。
妖精の一人イメルダ・スタウントンは、「恋に落ちたシェイクスピア」以来、乳母の役ならお任せとばかり活躍していた。
主役のアンジェリーナ・ジョリーは角を生やし大きな翼を翻して空を飛ぶ姿は恰好よく、翼を亡くした後の憂愁に満ちた表情に気品があった。「醜い子だ」と言いつつ赤ん坊になつかれて戸惑うのがユーモラス。女性の心は複雑で母性と魔性のどちらをも備えている。また、1度かけた呪いは、後で解こうとしても、かけた本人にも解けない。親の虐待で育った子供も親による育てなおしが必要だと言われる。ここでは幸いにも魔女が真実の愛に目覚めたわけだが、実際にそうなる例は多くはないだろう。

しかしあの無限の夢を誘う美しい民話はそのままにしておきたかったなあ。
突然の災害で大切な人が死んだり病気になったりする悲劇に直面した人々は、それを何か不条理な大きい力のせいにして、あきらめ、妖精や、天使などを想像した。不条理なものを無理に理屈づけても、あまり意味がないと思う。魔女のひねくれたのは彼女の少女時代男にだまされ傷つけられたから?だから男は悪い?信じられるのは女性のつながりだけ?国の指導者も女性に限る?つまり大昔の女性主導時代にもどれというのか?

ハリウッドもネタ不足で、流行の思想に支配されているが、似たような映画が続くのもどうかなあ、自由な創造を望む。

評価 ★★★(60点)

イメルダ・スタウントン
 →「家族の庭」12-7-17
アンジェリーナ・ジョリー
 →「チェンジリング」11-2-13

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