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「明日」と「昨日」

11月15日(火)
★洋画
「俺たちに明日はない」 「Bonnie and Clyde」 
「明日に向かって撃て」 「Butch Cassidy and The Sundance Kid」
「明日に流れる川」  「Broken Branches」
「明日なき十代」   「The Young Savages」
「明日なき野郎ども」  「Run,Angel,Run!」
「明日になれば他人」  「Two Weeks In Another Town」
「明日なき狼たち」    「Jonny 100 Pesos」
「明日に賭ける」    「I'll Never Forget What's Name」
「明日に処刑を」    「Boxcar Bertha」
「明日にむかって」   「The Browning Version」
「明日に別れの接吻を」 「Kiss Tomorrow Goodbye」(1950英)
★邦画
「あしたのジョー」
「明日は明日の風が吹く」
「明日は咲こう花咲こう」
「明日への遺言」
「明日の記憶」
「Tomorrow 明日」
「あした輝く」
「あした晴れるか」
「あしたはきっと」
「あした来る人」

洋画の原題を見ると「tomorrow」とあるのは、1本だけ。別にすべてを調べたわけではないが、ざっとこう並べただけで、日本人が「明日」という語を好むことは明白だ。

どんな絶望的な状況でも、スカーレット・オハラは涙をぬぐい「明日になってから考えよう」と言う。日本人も「明日」に希望をつなぐ民族なのだろう。

一方「昨日」はどうだろうか。
「あなたの過去など知りたくないの」
「ゆうべのことはもう聞かないで」
と、どうも余りこだわらないし、取り上げるのさえ嫌がる傾向がある。英語圏だとビートルズの「イエスタデイ」やカーペンターズの「イエスタデイ・ワンスモア」
など、「昨日」には、幸せな過去への郷愁がこもっている。

ソフィア・ローレン主演の「昨日・今日・明日」「Jeri,Oggi,Domani」庶民の喜劇である。未来にむなしい希望をつなぎもせず、過去ををただ懐かしむのでもなく、長い目で見ながらしたたかに生きるのがイタリア人ということか。

→「明日に向かって撃て」 11-11-10
→「明日への遺言」     8-4-23
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