goo blog サービス終了のお知らせ 

親愛なる日記

僕が 日々見つめていたいもの。詩・感情の機微等。言葉は装い。音楽遊泳。時よ、止まれ!

if

2008年05月12日 | ことばの避難所
今は一つの指針に沿って歩んでいる。

誰がなんと言おうと。

たとえ人生の後半が、何かを失い続ける長い旅だとしても

僕はまだその折り返し地点に立ってはいない、と仮に信じよう。

年老いたジョニー・ミッチェルが叫び続けるように、僕も戦い続けなくてはならない。

if は疑いもあれば希望もあり、「~だとしても」と打ち消すことで覚悟が生まれる不思議な言葉。


言葉の逃げ場所

2008年03月12日 | ことばの避難所
会社を去るに際し、上司や同僚や取引先の人々とああだこうだしゃべることが正直面倒くさい最近、送別会とかやらないでくれオーラを出しつつ帰宅。

空気読めないというか、その空気に嫌気がね、さしているから辞めるわけですよ。


会社に入ったせいかどうかわからないけれど、上手に笑えなくなったことがなにより哀しい。僕は演技派だとずっと思っていたけれど、それは演技を支える素の自分があってこそで、長く働けば働くほど僕自身が薄まっていくのがわかり、おちおち笑っている場合でなくなってくる。


大人の世界って、といってる自分はまだまだ子供だけど、しゃべっていることの大半が裏の意味を持っていて、その暗喩というかシニカルなジョークを楽しむ余裕もなくなり、ただただ馬鹿みたいに傷ついたりしている。


それは、きっと僕自身がここに立っていないせいだからだと思う。


ここに立っていれば、僕は、それが演技する自分であっても全力で立ち向かうはずだろうと思う。それは理想かもしれないけれど。


たった一人、僕は横浜の倉庫で商品を包装している。

外は雪が降ろうかという曇り空。

背中と足の裏に張ったホッカイロの温度を支えに広い倉庫の端っこに置かれた120個のパッキンに埋もれて商品を包装していく。

そんな作業も別にやってみればやれるものだけれど、それを支えるのは人間の気持ち次第なんだよな。

どんな辛いと思われることも、やればできないことはなく、我慢もできるけれど、我慢できないのはそんなことを笑い話として語る相手もいなけりゃ、支えてくれる理想も持ち合わせていないこと。

そこにはっきりと気付いてしまった。







休題

2007年08月01日 | ことばの避難所
そろそろいいだろうか。

もうそろそろそろ話し始めてもいいだろうか。

この親愛なる日記は私とあなたのためにある日記だから、ひっそりと話さなくてはいけない。

内緒話のようなもの。

ごにょごにょごにょ と 静かに 聞き取れるかどうか ぎりぎりの

そんな言葉で話すもの。

そろそろ話し始めてもいいだろうか。


でも、あと少しのお酒と孤独と時間をくれないか。

そうしたら話し始める。


そんな種類の話を。


眠そうな顔をした君に。


へそを曲げている君に。


何かを待ち続けた君に。


もう少しだけ待ってはくれないか。

あと少しだけのお酒と孤独を


あともう少しだけのね。

風邪をひいた夜にはジャズが沁みる

2006年11月07日 | ことばの避難所
日ごろ音楽にはさまざまな効用があると感じるが、今夜のジャズはまた格別だ。

その日の気分や体調によって聴きたい曲はずいぶん違ってくるものだろうけど、体調を崩した夜にはジャズが沁みる。

キースのピアノ、ニーナのしゃがれた声も。

ウッドベースが下っ腹を打ち、ホーンが頭の上の方で反響している…。


恐怖

2006年11月05日 | ことばの避難所
突然湧き出た不安と恐怖。気付いただけですでにそこにあったもの。僕の背後にぴたりと張り付いていたもの。

嫌な夜。

僕を闇の中に誘い込む。ああ。

いつからだろうか、自分を自分が支えきれなくなってきた。確固たる自己の揺らぎ。

変節

2006年10月21日 | ことばの避難所
だんだんと気温が下がって、町並みが白けて見えるこの季節。一年のうちで結構好きな時期だなあ。

はたと、立ち止まってこんな気分になったことが前にもあったな、などと思い返すのは決まって季節の変わり目のこんな日の昼間。

だいたいわかっていることには、こういう日の夜はなんとなく人恋しくなって鍋でもつつきませんかと友人を誘い、うまくいけば宴が組み込まれ、またうまくいかなければ一人ウィスキーでも飲んで悪酔いをするのも悪くない。




感慨

2006年09月04日 | ことばの避難所
哀しみの似合わない歳になってきた。そう感じる。

誰だって歳をとっていくけれども、歳とともに感情も似つかわしくなくなっていくんだな、とふと思う。

時間は脳を衰退化させ、喜びも哀しみもすべて飲み込んでいくのだなあ。

もう一度、自分を見つめ返さないといけない時期に入ってきている。それももうずいぶん前から。

わかっているくせにこの怠惰。

僕は自分が情けない。


僕は自分を見捨てている。


誇りを捨てている。


友人も、恋人も、家族も、社会的なつきあいも、すべてないがしろにしてしまっていると重々感じる。


情けない。ふがいない。

あらゆることは僕の無責任から始まって、無計画さに終始した。


笑顔がない毎日。いらいらした日常。

こんなものは僕の望んでいた僕の暮らしからはかけ離れている。

いくら時間があっても、時間を使えないでいる。

いくらお金があっても、なにも欲しくないから。



僕は何がしたい?

僕は夢中になれるものが欲しい。自分をかけて勝負できるものが欲しい。

それがないのならば僕が守るべきものが欲しい。


あるいはそれは自分の子供だったりするのだろうか。

あるいはそれは自分の家族だったりするのだろうか。


僕は生まれてこのかた、生まれてきて良かったと思ったことは一度もない。

生きてて良かったと思ったことは何度もあるけど、それは単なる生きているという安堵に過ぎない。

僕を投企するところのもの。

それを探している。

いや、今はそれを探すこともせず欲しがっている。


ムーブメント。あがき。もがき。行動する必要があるよな。

何をすればいいのだろうか。何をしなければいいのだろうか。


ああ、さらばこそ

2006年06月01日 | ことばの避難所
まあるい時間

とうめいの時間

物語る、あなたへ。

時間に耳をすますと、見えてくる奇妙な音が…。

騒がしい風景がやがてうねりを生み、風化した時を一瞬にした。

ああ、さらばこそ音楽は我らのものとなり

ああ、さらばこそ時は我らと共にあるのだ。ーーー





ほぼ壊れかけた

2005年10月03日 | ことばの避難所
言葉ががらがらと苦い音をたてて頭の後ろで鳴りだし、

疲れた僕をもう嫌と言うくらいなじる。

そうそう、それでいいんだ。

そのくらいあなたはあなたを責めるべきだし、そうなる運命なのよ。

ああ。

そうだね。

僕は苦しみ。

僕は偽り。

僕は牛の糞。

僕は…。

なんでもいい。



しばらく僕はいなくなる。

おいしい水☆

2005年09月19日 | ことばの避難所
やっと下界に帰って来た。

もう嫌と言うくらい静かな時と、落ちてきそうな星空が、まだ瞼を離れない。

普段の生活では味わうことのない暗闇。

おいしい水。

それらがすべて嘘だったかのように、蒸し暑くテラテラと明るいこの町。

まずい水。

音楽の粒は、快適な空気が振動している時、ひとりでに踊りだすものだが。

この町の音楽はどこか毒されている。

そこまでは言い過ぎとしても、やはりなにか物足りないのだ。

なーんてね。

別段どうだっていいんだ。そんなこと…。

僕がいいたいことは、この休日はなかなか悪くなかったということ。

それだけ。


愛において

2005年08月30日 | ことばの避難所
恋愛において、この人はなんて残酷なことをするんだろうなと思う時。

その残酷は「なぜこんなにも私の心を傷つけることをするのか」という度合いの強さであってして、客観的にみれば「相手は私を愛してはいないのだ。」と結論づけさせるだけの事象であったりはしまいか。

その「ああ、相手は自分を愛してはいない」という実感が持てない(というか基本的に持ちたくない)為に「残酷だ」という表現で相手をなじってみたくなるだけなのではないだろうか。

ということは、その残酷さはつまり「わたし」だけにとって残酷であって一般的に残酷にはならず、結果相手の人にとっては残酷なことをしたという思いすらないのかもれない。

私がかつて「残酷だなあ」と思った何人かの人は皆、ハッキリ言ってその「残酷さ」というものにまったく気がついていなかった。

そうなると結局のところー私はことごとく愛されていなかった。と結論づけられるではないか。


これは至極くやしい、というかやるせない。もちろん、私としては納得がゆかない。

だから別の感情の選択肢をつくる。

あの人は「残酷な人」なんだ、そうだ、そもそも残酷な人なのだと。

あるいは「彼は可哀想な人なのだ。」人を受け入れることが難しく、それを他者への攻撃としてしか表現できないのだ、と。

と、考えていくとその愛における「残酷性」なんてものはあまり論理的でないとは思いませんか。

まあ、別に感情が論理的である必要なんかないわけだけど、結構勝手なことを思っているなあ、とと我ながらよく思ったものだ。



そんな風な身勝手な感情に縛られて生きるのもつまらないと思った私は、事前に「相手は私を愛してやしない。」という結論を下すことに慣れ親しんでいった。

すると、なんと哀しいことだろう。なにもかもが色褪せ、世界がとたんにつまらないものに思えてくる。



おい、じゃあ、私はどうしたらいいんだ!


という問いには誰も答えない。


ある人は盲目になり、ある人は孤独になる。そのどちらも嫌だという人には何があるのだ?

すると君は言う。

「あなたは何を根拠に愛を計っているの?」

と。

「あなたを傷つけながら、なおかつあなたを愛しているかもしれないのよ。」


底で僕はまた考え込む。

あなたこそ何で愛を計っているのか?



「簡単さそんなものフィーリングだもの」





















八分目な生活

2005年05月16日 | ことばの避難所
あくせくせず、毎日きちんと生きている。

そう感じる。

朝も必ず7時には起きるし、夜は12時前には寝てしまう。

そうなるとこの9時から11時までの一人の時間がたまらなくリラックスできて気持ちがいいし、大切にしている。

なんだか自分にしてはうまくやり過ぎているようでこそばゆいほどだ。

なにかあれば足をすくわれる人生だと思っていたのだけれど…。

まあ、人生こういう時があってもいいのではないかとしみじみ感ずる。


長い通勤電車も、実はじっくり音楽を観賞するにはもってこいで、流れる景色とともに…行きはHIGHで帰りはLOWで…。

てな、日々を送りながら思うことには、だれか交換日記ならぬ、交換CDーRをしませんか?

現在考えていることとして、「○○の時ーこんな30分」みたいな区切りでシチュエーションコンピを作成したいのですが、そのお題やそれに見合う曲の流れを無期限募集致します。


例えば、「朝目覚ましに起こされ、ああ…うう…って時に流れてきたら、ああ…うう…言いながらもなんとか起きましょうか、て気分になる30分」

例えば、

ルーリード、レディオヘッド、から始まり、後にディオヌアーウィッグ、キャロルキングーーー


落として、落として、さわやか、さわやかみたいなね。


人それぞれ朝の体調も日々のテンションも違うだろうし、聞いてみるとおもしろいんではないでしょうか?

僕も思いつきしだい報告してみます。





新社会人のつぶやき

2005年04月02日 | ことばの避難所
新人研修と入社式のために京都に行ってきました。

研修ったってどうせお遊び合宿やろーと、高をくくっていたら意外にハードな研修でしたよ。

というのも研修を行うのは会社が委託した海千山千の髭親父コンサルマンで、学生を徹底していびり倒すというコンセプトの意地の悪い3日間。

まあ、僕はコンサルマン慣れしていたので適当にやり過ごしましたけど‥同期の何人かは初日からこっぴどく人格否定され文字通り泣かされてました。

そんなわけで緊張して向かった入社式ですが、それまで研修で言われてきた厳しいビジネス教育とはうって変わってアットホームそのもの。

難しい顔した上司もいないし、意味のないプレッシャーを与えようとするようなこともなく、社員みんなでわっさわっさやっていきましょう!というかなり雰囲気のよいところでした。

そんなわけで少し安心したわけですけど、ま、これからですね。

不良社会人としてきちんと一人前になる所存でございます。


再び―ある若僧

2005年02月01日 | ことばの避難所
決して交わらない人へ。

今ここで話したいことは 何故か 揺らぐ物についてだ。

君は聞く気ももたないかもしれないが、この微妙な感覚を何かしらの形に残さなければならないのです。

僕が僕であることをよりよく考えるためにも。

また君に僕という人間をうまく伝える為にも。

書くことは―少なくとも今は―辛いことです。

恐怖という一言に尽きる。人に正直に話すことはとても大変なことだよ。たかが感情一つがね。

一度言葉にしてしまえば、急速に実体を失いゆくことだ。つまり、僕は君のことが好きだ。傍に居たい。君と寝たい。君と朝苦い珈琲を飲みたい。光に包まれた幸福を味わいたい。できるのならば。

君と…。

だが、君とは誰だ?

どこのどいつだ。

とたんに全てが逃げていき、多くの風が通り過ぎていく。

あなたではない。

あなたでもない。

僕は顔の抜け落ちた誰かを愛している。

それとも僕は顔のある誰かを意図的に愛さないようにしているのか?

対象不在の愛情の虚しさは、僕を乾かす。

季節は変わるし、僕は21になる。




「眠れない」 書き直し

2005年01月28日 | ことばの避難所
正直言ってあまり気分が優れない。

おまけに眠ることもできない。

こういう夜は、ただ筆を持ち、気の済むまで書き続けようと思う。


『八月の願い』として僕が挙げたのは、早く寝て早く起きる、というごくごく当たり前なことであったが、こんな夜はそれがつくづく難しいことだと思い知らされる。

眠りたいのに眠れないという悩みに、考えてみればここ半年、いや一年近く振り回されている気がする。



深夜二時を過ぎたホテルのロビーは、その全てが眠ってしまったように静かだった。

ソファーも、ローテーブルも、置かれた灰皿までもが深い深い眠りについている。

時折、カウンター横の自動販売機が大きないびきをかき、中に眠る小さな飲み物達の安眠を脅かす。

その音が余計にもロビーの静けさを物語った。

皆、正確な眠りについている。

時計の針も夜に合わせてゆっくりと時を刻む。

そんな暗闇の中、僕だけがぜんたい間違ったように起きていたのだ。

それがひどく不自然で、居心地の悪さを感じる。


まあもちろん、この瞬間起きているのは僕だけではないだろう。

単純に考えても地球の裏側には昼間が存在しているはずだし、日本に限定してみたところで深夜働く人は数多くいる。

それに新宿にでも行けば眠っている人の数の方が少ないかもしれない。


だが、ここは地球の裏側でもなければ、新宿でもない。

ここは新宿から300kmは確実に離れた海岸沿いの小さなホテルだ。


残念なコトに、このロビーという空間だけはまったくもって完全な眠りに包まれていた。

それは紛れもない事実だった。

よくよく見れば、ソファーは昼間よりも幾分か強張っていたし、ローテーブルは腰を低く落とし、灰皿に至ってはもはや灰を受け取る気力を無くしてしまっているじゃないか。

そのどれもが、機能を少しずつだが欠いている。


薄暗いロビー真ん中で、僕は置き去られた黒鞄のように座り込んでいる。

それは実際、みじめな姿だった。

―君はそこにいるべきではない―

そこにある全てのもの達が、僕に向かってそう語りかけているように思えた。