親愛なる日記

僕が 日々見つめていたいもの。詩・感情の機微等。言葉は装い。音楽遊泳。時よ、止まれ!

美人は怖いぞお

2008年08月28日 | 好きな映画や本など
最近、妙に気になってしまっているのが、河鍋 暁斎さん。

『太陽』の特集をたまたま見つけてすっかりはまってしまった。

先日、母さんが東京見物に出かけた際に訪れた湯島の旧岩崎邸を建てたジョサイア・コンドルさんが弟子入りまでして学んだという日本画家の暁斎は、葛飾北斎同様に現代で言うイラストレーターでして、またその画力が半端でない。

しかも、描いているものが蛙を眺める美人画とか、おちゃらける一休さんとか、妖怪変化とか変なものばかり。素敵。

そして、そんな日本画繋がりで最近知ったのが、松井冬子さんでした。

この日記の冒頭に勝手ながら写真を載せてしまいました。

私、この絵をある美術館兼カフェのオーナーさんに見せて頂きまして、なんとも恐ろしい絵を描くものだと思っていたのでありますが、よくよく後から調べてみるとこの方、、、、、、、




めちゃくちゃ、美人です。

美人に反応してしまった方、どうぞググッて見てください。期待を裏切りません。


で、こんな美人が描いている絵が、恐ろしい、実に恐ろしい絵を描くんですね。

なんでしょう、昔から思うんですが、幽霊っていうと女の人ですよね、サダコの映画にしたってそうですが、キャスティングされている幽霊役の方は大抵美人です。

美人だから怖いんです。

怖いのは美人です。

これがモリサンチュウみたいな幽霊だと、、なんか駄目ですよね。


…、まあ、とにかく美人は怖いよね、というお話。です。






酒とバラの日々

2008年08月26日 | ことばの森
美酒とバラに彩られた日々は

遊びに興じる子供たちのように

草原を抜け、閉じかけた扉にむかって

笑い声を残して走り去っていく。

その見覚えのない扉には

「もう終わった」と記されている。


孤独な夜が運び来るのは

あなたの微笑みの記憶を孕んだ

一陣の夜風でしかない。

美酒とバラとあなたの日々に

私を導いてくれた

あの輝かしい微笑みであったのに。



               村上春樹・和田誠著『村上ソングス』より
                -The Days Of Wine And Roses-村上氏訳



この詩に出遭ったとき、思わず息を飲みこんだ。

なんでだろう、僕がこの詩を理解するにはきっとまだ早すぎるだろうし、

それほど何かを諦めてしまったつもりもない。

ただ、この詩の情景があまりに美しく、儚い。

そこに思いをはせて歌う主もまた、儚い。

いつでも、自分が読み返せるように、ここに書き留める。

バスと距離を-あるいはテキーラ-4章

2008年08月25日 | 物語
秋=つまりAutumnという文字をI podの検索にかけて出てきた音楽を聴いてみる。

最近、自分で音楽を選ぶのが面倒になったときには、そんな風にタイトルから音楽を絞り込んでみる。

blue、moon、love、sunset、beautiful、summer、nightとか、タイトルにつきそうな、それでいて音楽の方向性が絞られるような検索をしてみると、思わぬ曲に出くわしたり、そうでもない曲が好きになったりすることがあるから面白い。

ちなみにautumnだと、僕は8曲しかヒットしなかった。「枯葉」が違うテイクで3曲ほど入っていたのでBill Evansの「What's New With Jeremy Steig」というアルバムからのものを聴いてみる。

さる人から頂いたこの曲は、ビルエヴァンスが少し苦手だった僕の意識を大きく変えることになりました。フルート奏者だろうか、エヴァンスともう一人のセッション。

『Autumn In New York』が聞きたくて検索したのだけれど、僕のIpodにはModern Jazz Quartetのややゆるめの歌なしのものしかなかったので諦め。

Yo La Tengoの「I Can Hear the Heart Beating As One」から『Autumn Sweater』を選択。


やっぱりいいなあ、ヨラ。夏の終わりから秋にかけて、この人達のゆらゆらしたベース音には、ほら、夏はもうすぐ終わってしまうんだよ、と声をかけられているようで、物悲しくも力瘤。

そんなことを考えながら、A地点に到着した僕は、雨がさらさらと降り続ける路上に放り出された。

家に電話をして迎えに来てもらいたいのだけれど、出発前にかけた時も、途中のパーキングからも電話は不在をお知らせしていて、どうにも混乱するのだ。

家に誰もいないなんてな、日曜日だというのに。

やや、諦めながらとぼとぼ暗い夜道を歩いていると、交差点の脇に見慣れないバーの灯りが見える。

ほう、これは渡りに舟とばかり、飛び込んでみる。

店内は、南海キャンディースのような男がカウンター内に一人。と、妙に目がぎょろぎょろとした不思議な感じの中年女性がカウンターの端でスパゲッティを食べている。

僕はやや迷って、カウンターに腰掛け、ジントニックを頼んだ。まあ、普通の味のジントニックだった。少なくともライムが入っている。

しばらくして僕は店の入り口に置かれたピアノについて山ちゃんに尋ねてみる。

すると山ちゃん、実はブルースが大好きで自分はギター奏者だが、最近はピアノを独学で練習しているのだと語る。ほう、なんと似つかわしくないことをするもんだ、山ちゃんのくせに。と思いながら興味深げにしばらく話していたところ、是非聞いてみてくれ、と山ちゃん自らピアノを弾き始めた。

突然のライブパフォーマンスに驚きつつも、なかなか悪くないそのスモーキーなピアノの音を聞いているうちに少し気分が良くなって、僕の体も少しゆらゆらとリズムを刻み始めてしまった。

そういう空気を感じとったのか、奥のカウンターでしばらくスパゲッティを食んでいた女も、私も特別に弾いてあげるわ、あなたは初めてだから特別にリクエストを受け付けてあげる、何がいいか。と頼んでもないのにリクエストをすることになる僕。

「それなら『Autumn In New York』なんてどうでしょうか、季節柄」と、僕が答えると、女はまだそんな季節じゃないわね、とか、もぞもぞいいながらも『Autumn In New York』を弾いてくれた。しかも、予想に反して歌までついていた。

歌はあまり上手ではなかった。でも、ピアノはまずまずでなかなか味がある感じだったので僕はジントニックを思わず一息に飲み干してしまった。

それが、どうもいけなかったのか、女が僕に酒を奢ると言い出した。いえいえ、そういう訳にはといいながらも、酒のすすめを断るのも礼儀に反するのでありがたく頂戴します、なんなら僕は最近バーボンばかりなので、バーボンであれば嬉しいな、というと、山ちゃん嬉々としてロックグラスいっぱいにフォアローゼスをついでしまい、わあ、嬉しいなと思う反面、俺帰れんのかな、と心配になってきまして、まあ、いいや、なすがまま、と思って居直りぐいっとやりました。


すると、女が、なにやらお前面白いからこれも飲んでみろ、と差し出されたのが「テキーラ」でありまして、ストレートテキーラにライムと、塩までご丁寧につけて飲めというので、ええ、飲みましたさ、いっきにね。口にライムをギュと搾って、えいや、とばかりに飲み干してやりました。

よくないですね、テキーラ。基本的に味わいのないお酒は飲まないようにしてるんです。酔いたいから飲むわけじゃないんです。お酒の味が好きなのです。

そんな僕の叫びもむなしく、酔いは急激に回ってくるんです。

電話貸して下さい、と言って借りた黒電話、黒電話?いまどき。

も、不在通知。

どうなってる家は??

やれやれ、と思っているうちになんだか客が一人増え、二人増え、僕は近所の水商売系のお姉さんと、ジャズボーカリストだと言う小太りなマダムと、フルモンティのガズ役をしたロバート・カーライルそっくりなカントリーミュージシャン三人の席に同席させられ、まあ、話は面白いけれど、僕は今日はゆっくりしたいんだと思うもむなしく、帰宅したのが深夜一時。


家には車も両親もいる。

一体、何だって電話にでないんだ、と僕が愚痴をこぼしたところ、いやいや、そんなはずはない、私達もお前からの電話をずっと待っていたのに連絡一つよこさないでどうなっているんだ、と返答され。



おかしい、おかしい、と思いながら電話をみると、

受話器が少しだけ外れてました。





という、僕の間抜けな数日間のお話でした。

長いことお付き合いありがとうございました。

では、また、いつか。

バスと距離を-あるいはテキーラ-3章

2008年08月25日 | 物語
                 3章

地中に潜る。

薄暗い照明、そしてややカビ臭い店内の奥に進むと、階段があって今度は上る。

ロフト上の座敷は天井が低く、そこに男が10人ばかり卓を囲む。

式の余韻は、なんだかよそよそしい二次会の空気に消え、どこか疲れきった男どもが惰性という名のビールを飲み飲み語り合う。

また、俯瞰する、池袋。

僕は学生の頃、この池袋につながる私鉄の沿線に住んでいた。

僕が暇で金がなく、悲しいほど自由だった頃。あれ?今はここから何がなくなり、何が増えたんだろう。と、ふと思う。

でもそれを今は答えない。

夜に昼の光を、昼に夜の月を探してもそれは見えてこないのと同様に、物事にはしかるべき時がこないとわからないことがあるし、それは往々にしていづれ見えてくることなのだと思う。
日はまた昇るのだ。

脱線した、池袋。

僕はこの東口に立ちつくし、三時間ばかりぼーと景色を眺めていたことがある。

何でそんなことをしたのかはよく覚えていない。暇だったんだ。

誰を待つわけでもなく、ここに立っていると、今まで風景だった人が実にリアルに迫ってきて面白い。人を待つ人、待たせる人、客を引く人、引かれる人。幸福そうな恋人たち。一人ぼっちの人。二人ぼっちの人。

たくさんの人が交錯していく池袋東口の風景を僕はただただ眺めていた。

人が恋しかったのだと思う。

今、思えば。

僕は孤独に耐えかねて、池袋東口に立っていた。そして、人混みの中こそ、最も孤独な場所なんだと知る。

あるいは、知っていたのかもしれない。

孤独に憧れていたのかもしれない。そうして自分に酔いたかったのかもしれない。

でも、こんな事はもう止そう。そう思った。

そうしてしばらく後に、僕は今の友人達と出会った。

人とコミットするか、否か。それはある時期までやはり大きな問題ではあったのだという回想。

それで、池袋。僕にとっては好まざる街。孤独を知った街。

そんな街の地下深くで、とりとめもなくビールを飲むのが僕は本当は嫌だった。

途中、耐えかねてツッカケを履いて外に出た。酒の酔いがややこめかみに残る。潮時だな。

外は雨降り鼠雨。ここの外灯はやたら白々しく、僕は煙草も吸いたくなかった。

諦めて店に戻ろうとすると、どうやら宴会は幕引きのようで、そぞろ仲間達は外に出て、これ幸いと僕も出る。

さらば池袋。僕と君とは結局分かり合えないままだったね。


私鉄を乗り、また、別の友人宅へと数人で向かう。

彼の家に着く。

予定調和的な夜が過ぎ、朝になり、昼になる。途中、お決まりのビール。

そして夕刻。

同郷の友人も急遽、僕と一緒にバスに乗って帰りたいということで、彼とは新宿のバス乗り場で待ち合わせることにして途中で分かれる。

さざ雨の振る東新宿に降り立った僕は、一瞬前後不覚になってみる。ここはいったいどこだ?

カンを頼りに最初の友人宅に無事到着。

バスの予約に向かっていた先ほど分かれた友人から、目の前の友人に電話があり、バスは予約でいっぱいで一緒には帰れないよ、と告げられる。

しかたがない、目の前の友人に、この度のお礼を申し上げ、そそくさとあの青白い箱の待つ新宿駅へ向かう。

箱に乗り込む。

順調だ。珈琲も買ったし、お腹がすいた時のためにナビスコチップスターも買った。完璧だ。


そう思っていたのだが、、、

後ろの席辺りで女の子二人組みがひそひそ話しをしている。

「えー、やっぱり、これ言ったほうがいいんじゃないかな。」
「どうしよう、やっぱ、言おうかー。」

「すいませーん、ちょっとー。」と、バスの乗務員さんを呼んだ二人。

「はい。」と乗務員さん来る。

「私の席に人が座ってるんですけど。」と女の子。

おや、誰か席を間違えたかな、いや、俺かもしれない。そういうことはよくある。やっちゃったかな。それとも隣のおばさんか。と僕は口に出さず思うてみる。

「すいません、ちょっと、切符を見せてもらえませんか」と、乗務員さん。これは俺に言ってる。

「あ、はい。」と僕。ああ、やっぱり席を間違えてたのかなと思いながら、指定の席の6Cを確認し、自分の切符を見る。いやいや、間違えてない。6Cだもん。俺じゃない。

そう、思いながら腹立まぎれに切符を渡した。


「これ、昨日の切符ですね。」そう、やつは大きな声で言った。

「…。」はあ?

「日付が昨日になってます、ほら。」そういって、確かに昨日の日付が刻印された切符を僕に見せる彼。

いや、参りましたよ。どうしようかなと思いましたよ。

だってこのバス最終だし、別のバスなんて今からとるの難しそうだし、「ごめん、帰ってきちゃった。」なんつって、友人の家に戻ったらまた、なんて言われるかわかったもんじゃないし。

とりあえず。

「じゃあ、どうしたらいいんですか。」と、彼に聞き返してみた。

自分でもこりゃあないなと思ってはいたけど、どうしていいかわからないときには、素直にどうしたらいいんでしょう。と、判断をゆだねてみるのもまた、一興。



「ま、いいですけど」と、彼は言った。

そして、運転席へと帰っていった。

え?いいの?ほんとにいいの?予約いっぱいで友人は乗れなかったこのバスに、日付間違いの俺が乗っててもいいの?



僕の頭の中のクエスチョンマークをかき消すように、バスは勢いよく出発した。

そして、C地点からA地点へとバスは何事もなく到着した。

バスと距離を-あるいはテキーラ-2章

2008年08月25日 | 物語
               2章

-さよならを言うことは、少しだけ死ぬことだ。-

というレイモンド・チャンドラーの言葉を思うたび、では一体自分はどれだけ死んでしまったのかということを考えない訳にはいかない。新宿三丁目の端にある黒豚の旨い居酒屋で舌鼓を打ちながら、久方ぶりに会った友人と酒を交わしながら、ふとそんなことを考えてみたりもする。

まだ、異国病が抜けない。どうも、この変に心地よいaway観が僕に変なことを考えさせる。俯瞰される都会の町並み、その中の小さな一角、地下の、このどこでもない場所で。友人は相変わらずで、変わらずとりとめもない話ができる。その取り止めのなさもまた、俯瞰されこの新宿の暗いアスファルトに吸い込まれていくのではないか、とほろ酔いの足取りで地面を眺めながら、彼の家に向かう。

彼の部屋は、新宿のど真ん中に掘り当てられた洞窟に作られた横穴式住居のようで、その人工的な真っ白い横穴は彼の生活を小さくも、やさしく包みこんでいる繭なんでありまして、そんな繭のような部屋が僕にとって-もちろん彼にとってもーとても居心地の良い寝袋となり僕はすやすやと安心して眠りに就きました。(ま、実際寝袋に寝たのは彼の方で、僕は彼のベットを手際よく略奪し、異論反論を待たずに眠った訳なんです、ごめんなさい。)

翌朝、自分は全然知らないところにいる。しかも、床に大きな男が死んでいる。それも眼鏡をかけたまま…。

と、思ったりはせず、ありがとう、とささやかな感謝を口には出さず、シャワーを浴びて神と彼に祈りをささげる。君に幸あれ。

すっかり、身も、心も、また友人の未来まで洗われ-たことにして、僕は外にサンダルを突っかけて朝食を買いにでかける。朝の新宿はすがすがしい。なんだか以前より下水の臭いが気にならない。東京都下水処理場の皆さん。あなたの影の努力に僕は心より敬意を払います。立派なビルや橋を建てるよりずっと素敵です。

パンと野菜ジュースと、珈琲と、おーいお茶、を購入し、なんだか水分ばっかりだな、と一人ゴチながら、化粧っけのない朝のビルの裾を縫って彼の洞窟へ。

結局、パンを食べる暇もなくなり、あわただしくスーツに着替え、珈琲を流し込み、この旅の目的であるチンザンソウへと出発。余計な荷物はすべて彼の家に置いてきたので、手ぶらで駅へと向かう。身軽だ。やはり、旅は身軽でなくっちゃいけないな。小川のほとりで花でも摘みたいくらい身軽。笹舟を流してもいい。

僕は軽やかな足取りで花園神社の境内を横切り、点滅する大きな横断歩道を足早に渡り駅へと向かう。

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一部割愛、つまり、友人の結婚式に参列しました。

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さて、あと少し続くけど、気力がもつかな。

バスと距離を-あるいはテキーラ-1章

2008年08月25日 | 物語
                 1章

僕がバスに乗り込む際に気づいたことは、携帯電話を持っていないな、ということだった。

東京へ向かう、最終の高速バスに乗り込み、人よりも少しばかりコミュニケーションが断絶された僕と、そんな僕を笑うように軽快に夜の闇を走る高速バスよ。いざ、進め。

薄っすら青い車内の蛍光灯と、流れていくささやかな光と、振動。バスは移動という物理的な感覚を嫌でも人に伝える。A地点からB地点へ。B地点からC地点へ。音楽のトラックを-あるいはDVDのチャプターを飛ばすように人は移動できず、惨めなほどにタイヤを地面に吸いつけ、ガタゴトと移動する。

B地点についた頃、たまたま持ってきたクロード・クロッツの『列車に乗った男』をおおかた読み終えていて-僕はなんでまたこんな本を選んだんだろう?-という疑問を一先ず棚にしまい、バスを降りて大きく深呼吸をする。

夜のサービスエリアは結構好きだ。あの橙のぼんやりした外灯は、周りを照らすことよりもむしろ、灯台のように自らが光を放つことだけが目的のように、足元だけを照らしている。だけどそこがいい。あの下に立って煙草でも吸おうかしら。そう思っていたら、出発の汽笛が鳴った。のですごすご戻る。あの青白い箱の中へ。

C地点に着く頃、辺りの景色は、まるで僕が知っていたそこではない、まるで違った街のように見えた。この感覚って前にもあったな。そうだ、昔、母と一緒にイギリスのリーズ空港からバスでヨークに戻るときに乗った二階建バスから見た外の世界だ。あの時も夜だった。外は見たことのない異国の街。青白い蛍光灯の箱の中から眺めた異国の姿と、今眺めている新宿って、根本的には変わらないのかもしれない。『ロストイントランスレーション』の世界。魅惑的、猥雑で、堆積した夢の土壌から伸びるビルの雑木林。

C地点に降り立つ。

まずは、、、、、、、、、、電話ボックスだ。


新宿伊勢丹の斜め前に構える旧富士銀?の麓の交番に駆け込み、電話ボックスはどこだ。と尋ねる僕。丁寧に向かいの丸井の前にあると答えるお回りさん。カタジケナイと答え、さる電話ボックスに向かい、友人に電話をかける。

彼に、僕ははるばるやってきたのだと、そして僕は携帯を持っておらないのでなんらかの場所で待ち合わせしたいのだと伝えたところ、「お前馬鹿じゃねーの」と冷たく、あるいはやさしく迎え入れられ、僕はとりあえず無事に東京上陸を果たすことができたのである。