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親愛なる日記

僕が 日々見つめていたいもの。詩・感情の機微等。言葉は装い。音楽遊泳。時よ、止まれ!

脳内トリップ

2010年06月18日 | ことばの避難所
脳内トリップ、略して脳トリをすることがある。

本を読んでいて、引き込まれ、読み終わった後上手に現実に馴染めなくなる経験ありませんか。それが脳トリ。

そんなとき、大切な人と話していてもうまく会話が紡げず、ぼんやりしているせいで相手に無用な心配を与えてしまったりすると大変申し訳ない気持ちになるのだが、

その申し訳ない気持ちって、

例えて言うと所謂トリップ状態によく似ている。


目の前にいる人が、まるで百万光年も遠いところに小さく光り、蝋燭のようにゆらゆらと存在している。

言葉は、音に感じられ、

意味が響かない。

僕の言葉も音になり、

意味を反芻しない。


そんな状態はもちろん長くは続かない。

しかるべき後に帰還し、脳はきちんと機能し、言葉は意味を取り戻す。


大丈夫。

もう僕はここにいる。

そう確認する。



A.A.O.

2010年06月07日 | ことばの避難所



なかなかお疲れの日々。

やや風邪ぎみのため早々に寝ることにする。

体がなにより大事。

いたわっていかないと、自分。


てめえを大切にできないやつに、何を語る資格もないさね。

エイ。エイ。オー!

Nujabes追悼

2010年03月18日 | ことばの避難所


ヌジャベスが…、死んだ。

なんてことだ。なんてことだ。

瓦が落ちてきたって人は死んでしまうとはよく言うものの、こんなにあっけなく、静かにフェイドアウトされてしまうとは。

今日は格別しみいる。


今日、少しだけしゃべった中学生の女の子は、沈みがちな顔をあげて僕に言った。私が出会ったものはみんな、何かしらの不幸にあってしまうの。そういう運命なの。と。


僕は、それに対して。君が通った後だっただけましじゃないか、君がいる前で不幸ばかり起こったら、それこそ大変だ。と言った。

けど、本当のことを言えば、君は正しいのだ。


人は通った後に、ただただ屍を残していくものなのかもしれない。

まあ、そんなのは君だけではないけれど。


携帯電話の裏側に死神のきらきらシールを張ってみたとしても、おそらく君はその呪いからは脱することはできないだろう。

大事なことは見ることではなく、「正しく見ない」方法をとることなのだ。


言い換えれば、後ろを振り返らないことなんだ。



たまにはぐったり哀しみに浸ろう。大好きでした、セバさん。

詳しくは、Shing02による追悼ページをご覧下さい。

あすなろ時間

2010年02月16日 | ことばの避難所


一人の時間。

今日は、あすなろ白書の最終巻を読み返して、ああ、やっぱり柴門さんの視点はボク好みだなあ。いいこと言うなあ、と感心してしまう。


怒ったときの掛居くんが好きです。


掛居くんが怒るとき、けして目の前の相手に対して怒っているわけではない。

相手のおでこの中にいる、何かわからないものに向けて怒っている。

みらい検索

2010年01月05日 | ことばの避難所


目的を持って検索をしないと、とんでもないミライについてしまうこともある。

僕らは可能性という無限の輪のなかで。迷うこともある。

それでも、これからの子どもたちは、検索の森へと進むのだろう。


正月早々にして、あまり元気がでない。

やれやれ。


もう一度考える

2009年12月26日 | ことばの避難所


今やダフトパンクの名前を知らない人はいないと思う。でも、10年前、僕が彼らの名前を初めて知った当時。ダフトパンクは本当にダフトなパンクであり、もっと言えば豚さんだった。ブー。


豚の被りものをして、ファンキーで重いビートを奏でる彼らを、僕は限られた友人とひそひそと語り、行き場のないエモーションを確認し合っていた。


ワンモアタイムの一撃は、今みたいな年の瀬で、友人は僕の部屋に急ぎ足で飛び込んできたのを今でもよく覚えている。

「おい、とんでもないことが起こったぜ」って、あの衝撃は9.11なんかめじゃなかった。


エモーション。


なんだろう。このエモーション。もう一度考えてみよう。

どうしたものだろう。


立ち止まってしまうなら、潔くこっぱみじんになるほうがまだましだ。

とはいえ荒野をゆこうよ。たとい業火に焼かれても。。


フジファブリックの志村さん。ご冥福を祈ります。

でも残されたものは、いつでも無念でしかたがないんだぜ。

なあおい。


男をおとすのに肉じゃがはいらない

2009年12月19日 | ことばの避難所
撮っておいた「ブラタモ」横浜編をみていたら、

元祖すき焼きを食べるシーンでタモリがふと言った。

「男は肉じゃがって、別に好きじゃないんですよ」


アナウンサーのとぼけた静岡出身の女が尋ねる。「え?そうなんですか?」

タモリは続ける。

「俺の周りの男たちにいろいろ聞いてまわったけど、肉じゃがが本当に好きな男は少なくとも俺のまわりにはあまりいない。あれは、肉じゃが的雰囲気に飲まれて流れで認めてるだけで、本当に好きなわけじゃない。嘘のイメージだ。」




「男が女に作ってもらって、本当に嬉しいのは 味噌汁だ。」




その通りだと、僕も思う。タモリに一票。

ま、自分で作るからいいけどね~。

でも、本当にそう思う。

日本の男は味噌が好き。いや、それが言い過ぎだとすれば、私は味噌が好き。

酒のみは、きゅうりと味噌があればそれでいい。


一方で、味噌汁がすごく好きな女の人って、僕の周りにはあまりいない。

僕の彼女など、あんなの別になくていいじゃない、と言う。


ちなみに、うちの母ちゃんもまた、「実はあんまり好きじゃないのよね~」と言って残したりしている…。

え~、これまでの何十年、あなたは好きでもない味噌汁を作り続けてきたのか…。

と衝撃を受ける。


そんなことを言われたら、とてもかなしい。


あってもなくてもいいような味噌汁こそ、大切なのだ。

と、小さく叫ぶ、09冬下旬。


追記、

さらに言えば、私はダシ男。つまり、ダシがダイスキ。

実家で料理を作るようになって以来、味噌汁をカツオダシでしっかりとるようになったのだけど、とりあえず何はともあれダシとるかぁ、という感じで水を入れた鍋を火にかける瞬間はなんとも言えず、よい。






マッシブな文体

2009年12月11日 | ことばの避難所
「家族というのは不思議なものですね」と彼は言った。


「家族というのは、それ自体が前提でなくてはならないんです。そうじゃないと、システムとしてうまく機能しない。

そういう意味では、僕の動かない脚は、僕の家族にとってのひとつの旗じるしのようになっています。

多くのものごとが、僕の死んだ脚を中心にして動いています」


                  「ハンティング・ナイフ」より抜粋


子どもをつくるかどうかを話し合うため、ひっそりとした海辺にバカンスで訪れた若い夫婦。

短い休暇を終えて、明日はもう東京へ戻らなければならないという、その夜に、

私は寝苦しさを覚えて深夜目が覚める。


目はすっかり冴えてしまい、ウイスキーを抱えて夜中のホテルを徘徊するうちに、静まり返ったビーチを眺める脚の悪い少年に出会う。

少年は言う。

僕の周りには、いわゆるうまく立ち回れる人がたくさんいて、そのおかげで僕はここにいる訳なんですが、それは「おかげ」でもありつつ、彼らの「ために」ここにいることでもあるのだ、と。


私は「ある」をうむ存在ではなく、「ない」を行使するためここにいるのだ、と。


僕は話を聞いていて、それほど意味がわかりはしなかったけど、彼の言わんとすることはなんとなく、わからないでもないと思う。

そして、そんな時にはウイスキーをちびりとやるのが相応しい。

こんな短編って、僕は素敵だと思うのだけどな。


回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)
村上 春樹
講談社

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あれ?本当に読んだっけなあ?となるのもなるほど、かなり古いもの。このころの短編は印刷の字体もばらばらで、そのおかげで印象もばらつきがある。

「ハンティング・ナイフ」は、読んだことすら忘れていたけど、味わい深い。


「責任はとるから」

2009年12月02日 | ことばの避難所
「服従の心理」という本のコラムになるほど…。と思う。

責任なんていうものは、本来誰にもとれやしない。

責任ってのは、自発的に背負うものだし、個人的なものだもの。


システムの怖いところは、いつのまにか個人がいなくなってしまうところか。

用心しましょう。



服従の心理
スタンレー ミルグラム
河出書房新社

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噛めば噛むほど

2009年11月22日 | ことばの避難所


いいんです。

あなたが何を言いたいか、など。


こういうチェケラッチョノリについてこれないことも、ボニーがアイドル風なところも、認める。甘んじて認める。

しかし、もう、好きですねえ。こういうたる~いノリを、今、むしょうに求めてしまう。

そんな週末もたまにはあり?だと思います。

様にならないダンスがいい。


そう。格好つかない感じが、とてもいい。

ダサ格好よくないところ。なんだか、とてもここちいい。


カイリーの黒い下着

2009年11月05日 | ことばの避難所
カイリーの黒い下着がニュースになっている。

動画はまあいいとして、このサイト。カイリーのセクシャルなイメージに近い、確かに。


僕は下着そのものには正直言ってあまり興味がなく、

むしろ、下着というのは中身があって初めて意味を為す、と固く信じておるわけです。


にしても、いいじゃないの。お尻が若干透けているのが二重丸。

って、朝から何言ってるんだか…。(まったく)


いや、そうじゃないんですよ、下着はフリでして、本題は

カイリーのPVの話です。

突然寒さが増してきまして、冬の到来を感じているわけですが、

カイリーの『Wow』は元気が出ますよ!という話。

銀色のロボットが踊るところが好き。

さあ、テンション上げて参りましょうか!!

ハロウィン

2009年10月26日 | ことばの避難所
ハロウィン。

それほど日本に浸透しているとは思えないお祭ですね。

眼鏡や帽子など、何かと顔を隠すことが好きなわたくし。。

シャイなんですよ。本当は。


というわけで、せっかく仮装デイがあるならば、

細身のスーツに身を包み、

ベネチアンマスクで顔を覆い、

手には革のグローブ、

足もとは蛇柄のぎらぎらした先の細いブーツを履いて、

外に出たなら…。



捕まるな、こりゃ。

という妄想。

野暮とぼや

2009年10月12日 | ことばの避難所
「野暮」は当て字で、一説によると、見通しの悪い「藪(やぶ)」に由来する語とも。

また、「粋(いき)」の逆をいく鈍重さ、あか抜けない感じを指す。

相手の気持ちや場の雰囲気、つまり「間(ま)」をとらえることが下手で、

あまり洗練された美意識をもっておらず、そのため、抽象的な気分や感覚よりも、具体的な物や金銭を重視する傾向がある。

            ◆ ◆ ◆


とはいえ、野暮も粋も、時代や地域、諸所の条件に左右される価値判断であって、明確に定義することはできない。

社会の内部でその社会の価値観に従い(あるいはそれを鵜呑みにし)、地に足の着いた実直な生活を営む人が「野暮」であるとも言える。

つまり、既存の意識(とりわけ美意識や快楽の追求)にのっとって、予測可能な行動をする人、


言ってみれば「マニュアル化」された人々だが、社会が維持されているのは、こうした無数の「野暮」の存在によってである。


政治経済が成り立つのは、それを地道に支える「野暮」のおかげにほかならず、また、流行を追う「野暮」がいて初めてマーケティングも可能になる。


            ◆ ◆ ◆



「粋」と「野暮」とは、夢と現(うつつ)のように、

あるいみ相互補完によってなりたっている言葉であり、

どちらが良いとは一概には言えない。

            ◆ ◆ ◆


ちなみに、このいずれにも腰を据えず、中途半端なところで往生際悪く「粋」を気取る人のことを、


「気障(きざ」と呼ぶ。



そして、僕は冷や汗を拭くのである。