親愛なる日記

僕が 日々見つめていたいもの。詩・感情の機微等。言葉は装い。音楽遊泳。時よ、止まれ!

すっかり年末

2004年12月28日 | ことばの避難所
今日はネットでユニコーンのベリーラストが落ちていたので久方ぶりに聴いてみた。

僕が以前書いた『開店休業』が偶然にも収まっていたので、日記に歌詞を加えてみた。

これを書いた頃、特に歌詞や歌を思い返したわけじゃないけど、聴きなおしてみると気分的な部分はやっぱりついているんだな、面白いものだ。

改めて聴いてみると、ユニコーンはビートルズの影響ってすごい受けてますよ。あ、みんな知ってるか。

『開店休業』はホワイトアルバムのブラックバードから影響を受けてる上に、名前のダラケタ空気や、歌詞から伺えるその適当さに心休まります。

朝から君が泣きじゃくってたら熱海どころじゃないけど、行っちゃおうって気になりますよね。

『開店休業』って、本当は休みじゃないけど休みと言っていいぐらい人も入ってないし、要するに天気がいいからもう、休んじゃおうかな、駄目かな、ま、いいや。てことですね。

年末はみんな休んでるから、この歌は季節はずれかもしれないな。季節的には『雪の降る町』なんかで、ああ、もう今年も終わりだなって感慨にふけるべきなんだろうけど…。

僕はまだまだやること残ってますから。いいかな、駄目かな。駄目だよな。


あらあら、本当に雪が降ってきました。

アイロンのある風景

2004年12月27日 | ことばの森
まあ、気を取り直し、今回も一つ僕の好きな短編の一節を紹介してみる。

僕は懲りない性分なのです。




順子はいつものようにジャック・ロンドンの『たき火』のことを思った。

アラスカの奥地の雪の中で、一人で旅をする男が火をおこそうとする話だ。火がつかなければ、彼は確実に凍死してしまう。日は暮れようとしている。

彼女は小説なんてほとんど読んだことがない。でも高校一年生の夏休みに、読書感想文の課題として与えられたその短編小説だけは、何度も何度も読んだ。

物語の情景はとても自然にいきいきと彼女の頭に浮かんできた。死の瀬戸際にいる男の心臓の鼓動や、恐怖や希望や絶望を、自分自身のことのように切実に感じることができた。

でもその物語の中で、何よりも重要だったのは、―基本的には―その男が死を求めているという事実だった。彼女にはそれがわかった。うまく理由を説明することはできない。ただ最初から理解できたのだ。

この旅人はほんとうは死を求めている。

それが自分にふさわしい結末だと―知っている―。

それにもかかわらず、彼は全力を尽くして闘わなくてはならない。

生き残ることを目的として、圧倒的なるものを相手に闘わなくてはならないのだ。

順子を深いところで揺さぶったのは、物語の中心にあるそのような根源的ともいえる矛盾だった。

教師は彼女の意見を笑い飛ばした。

この主人公は実は死を求めている?教師はあきれたように言った。そんな不思議な感想を聞いたのは初めてだな。それはずいぶん独創的な意見みたいに聞こえるねえ。

彼が順子の感想文の一部を読み上げると、クラスのみんなも笑った。



                              『アイロンのある風景』村上春樹

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)
村上 春樹
新潮社

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これは茨城県のとある海岸で、たき火を囲む男と女の話です。

男は何らかの事情で家庭を捨て、茨城に住みつき変な絵を書いて暮らしている。

この男に親しみを覚えた主人公順子が、男のたき火に付き合い、冬の寒い夜、たき火を見ながら会話をするというそれだけの短編です。

読書感想文の課題にジャック・ロンドンが出されること自体ありえない話ではありますが、そんなことはどうでもいいのです。

この短編の主題は、―基本的に―死を求める人間が、全力で生きようとする矛盾にあります。

このことを感じ取った順子が、深い傷を負った男とたき火を見ながら語りあうのです。


時として僕達は、若い人々が死を望んでいることを軽薄に捉えてしまいがちです。

君にはまだ知らない未来がある、とか、そんなことで絶望するのは甘いよ、だとかね。

でも、そんな教科書通りのお説教なんてたいした意味をもたないんであって、あなたにとっては何でもないことかもしれないけれど、私にとっては生きるか死ぬかの問題なんですって言われてしまうのがオチです。

死にたいやつは勝手に死ねばいいんだ、とかいう怖い声もあがりそうですけど、それも間違いです。

なぜなら、そんなことを言っている人に限って「死」とろくに向き合ったこともないと思えてしまうからです。

これを読んでいるあなたは少なくとも生きているはずです。

ということは「死」を知りません。

間接的事実以外の「死」を、あなたや私は「経験する」ことができないのです。それだけは間違いありません。

そんな人類にとって永遠の「未経験」である「死」について、

僕やあなたが偉そうに言うことはできないのですよ。


なんてね。そんなことを僕が言うことがイチバン間違ってますよね、出過ぎました。

まあなんにせよ、この短編。

実に味わい深いお話です。



追記:

ジャック・ロンドンの『たき火』ですが、柴田元幸氏によって『火を熾す』というタイトルで訳されたものを読みました

もちろん、期待を裏切らない素晴らしい作品でしたが、この日記に書いたような「本質的には死を求めている」という主題は、あくまで村上さんが設定している順子の持論です。

それが絶対に正しいという明確なところは何一つありません。

でもでも、ジャック・ロンドンという人間をよくよく知った上で、そういう主題が含まれているのかもしれない、という考えを否定したり、ましてや笑い飛ばす理由もまたありません。


死に抗う人間の本性を、そして死にあっけなく屈してしまう人間の脆さを、息もつかさぬスピードで刻んでゆくリズム、そのステップを、是非とも読んで体感してみて下さい。

カナダ鴨のように

2004年12月26日 | 男と女
それは頭に最初に浮かんだたとえだった。

というのも、なにしろ彼はそのころしょっちゅう鴨たちのことを考えていたからだ。


鴨たちは一生に一度だけ結婚するんだ。

人生の最初の頃に伴侶を選んで、そのままいつもいつも一緒にいるんだ。

もしどっちかが先に死んだりしたら、その相手は二度と再婚したりしないんだ。

その鴨はどこかで一人きりで生きていくんだ。

あるいは群れの中で暮らしていくことだってある。

でも、その鴨は、たとえ仲間たちと一緒に行動したとしても、ずっと独身のままひとりぼっちで生きていくんだ。



哀しい話しね、と少女は言った。

そんな風に仲間たちと一緒にいながら、一人孤独に生きていくということの方がきっとずっと哀しいでしょうね。

自分一人きりで生きていくよりもね。


哀しいことだよ、と少年は言った。でもそれが自然というものなんだ。


                    『隔たり』レイモンド・カーバーより
ファイアズ(炎) (村上春樹翻訳ライブラリー)
レイモンド カーヴァー
中央公論新社

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この短編はある父親が娘と対話するシーンから始まる。

娘はもう大きくなり、物事の分別もつくようになり、一人の大人の女性になった。

そんな娘が父親に尋ねのは、昔の父と母との物語だった。

どうして二人の間に隔たりが生まれたのか、それを娘は知りたがっていた。

男が話し始めたのは、まだ二人が若く、愛し合っていた頃のある夜の出来事だった。

話が終った後でも、娘はしばらく自分の疑問が煙に巻かれてしまったような気分になる。

しかし、しかるべき後、娘はある了解を経て、自分の疑問をしまい込むことになる。

男の話の中に見いだした、夫婦の隔たり。

僕は夫婦という二文字を思うとき、いつでもこの『隔たり』が頭をよぎる。※

過去を美しく再構築することは誰にでも必要なものではあるが、過去は厳然として変わりえない。

娘が本当に知りたかったことは、自分がきちんと愛されていたという証明だったのかもしれない。

機会があればあなたも一度読んでみて下さい。


※ちなみに夫婦に関する言説は勝手な僕の思い込みですので、結婚されている方はたわごとだと思ってください。結婚生活を云々かんぬん言いたいわけではないのです。。









サンタからの贈り物

2004年12月25日 | 物語
朝目が覚めて、テーブルを見やるとなんと!完成した卒論の原稿が!!

なんてこと、ないか…。

最近、僕自身追い込まれているせいもあるけど、物欲ってものがとんと無くなってしまった。

循環型環境社会なんて本を読むうちに、ああつまりは僕等がモノを大事にして、モノを買わなくなって、モノを捨てなくなればいいのだろうな、なんて思ってしまうと、新しく何かを欲しがることが何だかめっぽう悪いような気持ちになってしまうんですな、これが。

物欲の塊のような僕がそんなことを思うのはかなり珍しいし、あまり説得力はない。

とくに衣類を買わなくなったな、ここ何年か。

前も友人と話したけれど、物欲って見れば刺激されるんだもの。売る側も必死になってるから、見たら欲しくなるような努力をしているわけだしね。当たり前な話だ。

僕が大学に入ってすぐ、第一期物欲放棄時代が訪れた。

それは単純に金がない(まあ、その金のない原因はベスパを買ってしまったことにあるのだけど)ってこともあったけど、衣装にあれこれ工夫したところで自分の価値は変わらんよ、なんて冷めた気持ちでいたりしたのだ。


そんな生活が一年ほど過ぎ、塾講師や家庭教師、焼き鳥屋のバイトを掛け持ちでやるようになって割に金に余裕が出てくると、それまでもっていたシニカルな心持ちはどこ吹く風、僕は好きな服やレコードを迷わず買うようになる。


消費は一度始めるととまらない。

そもそも計画性ゼロな僕は―今ある金はすべて使いきる―という馬鹿げた信念を貫き通した。財を散らす日々が続いた。高い酒もこのころはたくさん飲んだものだな、今思えば。

輝かしい世界に憧れていたんだと思う。

キラキラしてまぶしい夜の都会にね。

それらを幻想だなんて言うつもりはないし、それはそれで素敵なものだと思う。

金が続けば、の話だが。

僕はその後、いくつかの決定的な要因で生活に困窮した。

そうしてここ何年かはずいぶん地味な生活をキープしている。

僕は環境適応という意味ではたぶんなかなか優れた力をもっている気がする。金があればあったなりの生活をするし、なければないなりの生活をするのだ。そこでたいした葛藤を覚えたりはしない。

たぶん、そこが計画的な人にはあきれられもするところなんだろうな。

自分を持続的にある環境状態におきたいとはあまり思わないんだ。

ただし、このような僕の生き方は誉められたものでもないし、文字通り不安定だろうな。

そんなことは大昔からわかっていたからこそ、なるべく個人主義をとって生きてきたのだけど、どうもそうはいかないこともわかり始めた昨今。

いやはや。


昨夜、家を間違えてサンタが家にやってきた。同居人の郵便物の配達かと思いきや、髭の爺さんだった。


「メリー・クリスマス☆片平さん!」と、サンタ。

「…。いや、あの、お爺さん、僕は片平じゃないですけど…。」と私。宗教勧誘かなとか思ってしまった。

「ありゃ、こりゃ…。間違えたかのう。」と困る爺。どうも勧誘でもないようだし、僕は気を取り直した。

「そうですね。でも、これもなにかの縁です。貰いましょう。」と、玄関越しに手を差し出す僕。

「…。」訳がわからないという顔のサンタ。

「え?何って、プレゼントですよ、プレゼント。あるんでしょう、僕にも。」

「…、ないんじゃ。」渋い顔をするサンタ。サンタのくせにプレゼントもないなんてふてぶてしいなあ、などと思いながら僕は続けた。

「え、だって、サンタなんでしょう、あなた。僕にプレゼントをくれたっていいじゃないですか。」

サンタは押し黙り、哀しい顔をして僕に言った。

「お前さん、サンタのことを何にも知らんようじゃから教えるがのう。サンタはお願いごとをしないとプレゼントを届けないということになっとるんじゃ。お前さん、何も望んどらんじゃろ。たいていの人は心の中に何かしらお願い事をもっとるもんじゃがのう、今見た限りあんたさん、なにも望んどらんじゃろが。」

「だから、ないんじゃ。」と言い、お爺さんはトナカイの鼻をくいっとひねって飛ぼうとした。僕は慌てて引き止めて言った。

「ちょっと待ってください、お爺さん。僕は確かになんにも望んでないかもしれません。でも、それはモノは欲しくないっていう話なんです。だけど、プレゼントは欲しいんです。僕だって。」

お爺さんは少しやさしい顔をして言った。「モノじゃないプレゼントが欲しいというんじゃな。」

「では、さらばじゃ。」と言うとお爺さんはトナカイの鼻をくいっとひねって空高く舞い上がった。「おいおい、プレゼントはどうなったんだよ。」と僕は叫ぶ。

僕のうちの狭いマンションの玄関からはその姿はすぐに見えなくなった。僕はサンダルのまま、階段を下り、おもての道路に飛び出してサンタを探したが、その姿はもうどこにもなかった。

呆然と部屋に戻り、僕はその夜一人で思いにふける。

そもそも「モノでないプレゼント」ってなんなのか、と。

今朝、目が覚めて、現実はあきれ返るくらいになにも変わらず、僕はまたばたばたと一日を始める。

しかし、僕は昨夜、サンタにモノではないプレゼントを貰った。はずだ。

それが一体なんだったのかは、見えないけれど、きっといつかわかる日がくると祈っている。

手短に

2004年12月20日 | ことばの避難所
先のことはだれにもわからない。

さまざまな期待や不安材料を胸に人は何とか生きていくしかないんじゃないかしら。

ただし、それを誰かに伝えることができるのであれば、それは幸いなことなんだね。

決定して前に進むという実存的な生き方は、とても合理的で誰にも否定はできないけれど、悩めるうちは悩んだ方がいい。

それでもいつの日か僕やあなたも決定して、前やら後ろやら、右やら左に進んでいくのだからね。

「…せねばならない」というマストな感覚に、なるたけ捕われずに生きていきたいと僕は願う。

というのは、実際のところそうしなければならない理由なんてたいしたことじゃないからなんだ。

僕等は自分に関して様々なコンプレックスや、理想を抱き、また他人もそう思っているんじゃないかという思い込みを背負って生きている。それはもちろん重要なことではあるんだけど、「こうでなくてはならない」という強迫観念でくたびれてしまうくらいなら、そんなものは捨てちゃえばいい。

あなたがニコニコ笑っていれる時間が長くなれば、それが一番いいんじゃないのかな。











これが私の優しさです

2004年12月17日 | ことばの森
窓の外の若葉について考えてもいいですか

その向こうの青空について考えても?

永遠と虚無について考えていいですか

あなたが死にかけているときに


あなたが死にかけているときに

あなたについて考えなくてもいいですか

あなたから遠く遠くはなれて

生きている恋人のことを考えても?


それがあなたを考えることにつながる

とそう信じてもいいですか

それほど強くなっていいですか

あなたのおかげで




                 谷川俊太郎『これが私の優しさです』より
これが私の優しさです―谷川俊太郎詩集 (集英社文庫)
谷川 俊太郎
集英社

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僕はこの詩を何度も読み返しながらも、この優しさがいかようにして優しさなのか、悩む。

しかし、この詩はいつも僕の中でどこか収まりよく響く。

あなたを考えないという辛さは、あなたを考えることにつながる、とそういうことなのかしら。

その身勝手さに耐える強さを持つこと、それもまたやさしさなのかしら。

僕はこの詩を様々に解釈してもいいと思う。

もしあなたが旅に出て、飢餓に苦しむ難民の子どもに出会うとする。それは写真展だとしても構わない。

あなたはその衝撃に対して、いったい何を思います?


もしくは、あなたが危篤状態の母を看病する息子だとしたらどうでしょう?毎日の看病にほとほと疲れた病院の部屋から眺める空を見たって構わないでしょう?

または、生きているのか死んでいるのかわからない恋人のことを思う詩なのかもしれません。

読み返す時期により、別の解釈をする噛みごたえのある作品だと僕は思います。


追記

このころは、まだ人の作品にコメント残す余裕があったのだな。

なんて、昔の記事に書き連ねているのは、RSSがどこまで拾うのか確認作業というわけです。


性的アナーキズム

2004年12月13日 | うたかたの日々
今朝は早起きをして学校に行った。

朝っぱらから高校生の性意識についての講義を受けるためだ。

教授曰く、人の性に対する認識はいくつかのカテゴリーがあると。

1、伝統的禁欲主義…かなり厳しい。セックスは子どもをつくるためにのみ行うもの。避妊を前提としたセックスは例え夫婦間であっても認められない。

2、修正禁欲主義…さすがに夫婦間での楽しむセックスぐらいは認めよう。婚前交渉なんか絶対だめ。

3、人道的自由主義…結婚を前提とすればしてもいいのではないか。

4、人道的急進主義…愛があればしてもいいのでは。

ここからがすごい。

5、快楽追求主義…楽しければしてもいいんじゃない。

6、性的アナーキズム…愛でも快楽でもないもののために性を明け渡すことを厭わない。強姦等の迷惑をかける行為でなければ、別になんでもありなんじゃん。結婚とか、そもそも制度がいらないよ。

らしい。

ちなみに現代の高校生の性意識はおおよそ4~6の間にあるらしい。例えば売春したりする女子高生なんかは第6段階に入るんだろう。

ところで男性諸君に問いたい。

男にとって、第五段階と第六段階との差ってなんだろう。

例えばホストとかになって気持ちの悪い人と寝ることができるのが第六段階?好きでもない同性愛者と寝てしまうこと?


昔、友人と据え膳を食う、食わぬの論議になった。でも、これは第四段階と第五段階の境にあるように思う。

愛でも快楽でもないもののために性を明け渡す―っていう想定自体、男にとってあまりにリアリティーがないように思われる。

この理由は極めて簡単で、

男性の性には女性の性ほどの商品価値が認められていないということ。

そしてもう一つ。

男はセックスによって喪失感を味わうことがない、ということだ。

つまり、感情に反して寝たとしても、それを自分の快楽として処理してしまえれば、それは女性ほどの痛手ではないという考え方だ。



これで納得できますか?



■■■僕はできません。



そして、今、性的アナーキズムにふさわしい人物を思いつきました。

小説『ノルウェーの森』に出てくる、永沢さんです。

彼は快楽のために女と寝るのではなく、するべきこととして女と寝ます。彼はそれを紳士たる為とし、自分の宿命のように捉えています。そして彼はこう言います。

「知らない女と寝てまわって得るものなんて何もない。疲れて、自分が嫌になるだけだ。」と。

永沢さんはたくさんの女性と寝ることによって疲れ、確実に何かを消費していきます。ところが、可能性がそこにある限り、彼はその行為を止めることはできないのです。

これってかなり悲劇だと思いませんか?■■■


と、言う訳で、ここであえて捉えなおしてみたい。


―男もまたセックスによって喪失する存在であるのだ―

と。

ここに気がつかないと、知らず知らずのうちに男もまた性的アナーキズムという深い穴に落ち込むことになる。

それは、セックスという行為がそもそもアンビバレンスなものだからだと僕は思っている。

『「恋する身体」の人間学』のなかで小浜逸郎が語っているように、性愛という領域は、すばらしい(陶酔)と、いやらしい(卑猥)という二面性を持っているのでしょう。美醜という正反対の価値観の中で置き場に非常に困った概念だと思う。
  
男の喪失というものはなかなか可視化されない。認知もされない。しかし、確実に存在する。そしてその喪失感というものは美醜を、その矛盾をそのまま飲み込むコトにあると思っています。

僕はこの第五段階と六段階との境目が個人に与える影響力を重く捉えています。

この矛盾に気づきながらもそこから逃れられなくなった人のことを、性的アナーキストと呼べるのだと思うのです。

まず愛を捨て、次に自己を消してしまう、その先にあるのです。


この話、全然わからない人には全く余計なお世話だけれど、実際のところ見えない性的アナーキストって案外多いのではないかと思ってついつい長話になってしまいましたが。

あなたはどうでしょう?








衝突の深度

2004年12月13日 | ことばの避難所
この間、酔っ払って夜道を歩きながら、気づいたら唐突に大笑いをしていて、そんなことがまあ現実にあるもんなんだなと我ながらあきれてしまった。

これまでもよくよく話し合いつづけていたもう一人の自分ってやつにあきれてしまってね。

人が意識的に人と会わなくなることは、あまりいいことではないなとそう思う。

困ったな、文章が構築されなくなってきた。

いわば、自分を捕らえるために書き始めたが、いよいよ難しいなあ。

なにか、のっぴきならないことを書き逃してはいまいか。

もしくはすでにして大きな誤りをしているのでは。

欲望とは一つの消失点に向かって走り出す孤独ではない。まるで君に向かって語りだすことが間違っているかのように感じる、その欺瞞との衝突なわけだ。

さらり展開をした酒を浴びる饗宴にて、一度殺した自分を再演する。

幾度とない停滞よさらば。










アントニオの夢よ

2004年12月11日 | 物語
そう、あるとき音楽はちりちりと燃え出す。あなたにその音が聞こえるだろうか。

寒空の乾いた空気を通して、波長は耳に細かな粒子となって流れ着き、僕は煙草のようにそれらを耳から吸い込む。

アントニオは何年も前からウィスキーのグラスをからからと回しつづけている。

僕はハシシを吸いすぎてくらくらした頭をもたげ、さっきから暖炉を眺めている。


と、その時だ。

音楽が突如として燃え始めたのだ。始まりは本当に小さく、次第に大きな潮流となって。

体の特に耳の奥底から燃え始めた音楽が、血液と一体となって体中に広がっていく。

瞼の裏側が熱くなる。指先から音楽が鳴り出す。僕はたまらず外に飛び出し、雪の残る階段を下りてバイクに跨った。冷え切ったエンジンは5回のキックで唸りだす。バリバリと音を立てて真っ暗な坂を昇っていった。

道はどこまでも上り坂だ。10分もするとエンジンが真っ赤に燃え出した。でも止まらない。

痛いほどの冷気が頬を刺し鼻を刺す。だが音楽は鳴り止まない。


やがて道は上り坂から下り坂へ。僕は見晴らしのよい場所でバイクを降り、眼下に広がるちらちらと光る町の光を見下ろす。その光の一つに僕達の部屋があり、その中ではアントニオがなおもグラスを回しつづけていた。


口の中には涙が滴り、僕はわけもわからず、さよなら、さよならと大声で叫んだ。


アントニオはグラスを回すのを止め、僕をじっと見つめてにこりと笑ったように見えた。そして一息にそいつを飲み干した。

グラスはテーブルの上に正しく置かれ、しかるべき時を経てアントニオは出ていった。

部屋に戻ると暖炉ではまだ少し音楽が燃え残っている。

真っ黒になった音楽のその奥には、これからの希望を生み出すにふさわしいだけの熱量が詰まっている。少なくともそう願いたい。

僕はアントニオの残したマッカランを乱暴に飲み干し、暖炉に新しいレコードを放り込んだ。























開店休業

2004年12月05日 | 男と女
猫の手さえも貸したいくらい、人は大変忙しいのに、僕の周りは誘惑だらけ嬉しいね。

今日も朝からテレビとビール、君はそれをプー太郎と言うけど、いつも傍にいるだけ君を愛してるよ。

言葉は大切だね。

仲直りの情事、君はとくにきれいさ。

今日はとっても天気がいいよね。

おまけに鳥も泣きじゃくりだし、そんな日には午後からそうね熱海にでも。


たまには休まなきゃね。退屈の向こうで出るものは出るのさ。


大きな雲が流れてゆくよ。小さな声の虫も死んでいく。

いつも傍にいるだけ、だけど愛してるよ。


今日はとっても天気はいいけど、朝から君は泣きじゃくりだし、

そんな日には二人でそうね、熱海にでも。

僕の周りは誘惑だらけ、嬉しいね。



                           『開店休業』ユニコーン