親愛なる日記

僕が 日々見つめていたいもの。詩・感情の機微等。言葉は装い。音楽遊泳。時よ、止まれ!

羊男の動物園

2004年11月24日 | 物語
なにを思ったのか、昔書いた文章など日記に載せてしまった。

後悔してすぐに消したものの、痕跡は残ってしまうな。痛い、痛い。


言葉には賞味期限ってものがあるんだよね。

それは感情にも賞味期限があるからなんだ。

だからかつて書いた言葉には、かつて託していた思いが乗せられており、それは今の僕にとってリアルではないんだ。


気を取り直そう。

ややもすると僕は何を語りだすかしれない。



なんの話をしようか、うん、じゃあ羊男の話。

知っている人は知っているだろうけど、あの羊男。

あれはもう4年くらい前のよく晴れた日曜日。僕はその当時付き合っていた女の子と動物園へ行くことになっていた。パンダを見たことがないと言うので、じゃあパンダを見に行こうかという運びだった。

僕はパンダを見たことがない。実際に見ると意外に凶暴な目をしているだとか、薄汚いよとか、見た人の話を聞くにつけ、見るまでもないだろうと勝手に結論付けてあえて見ようとはしていない。

当時もそんな考え方だったから、案の定待ち合わせの時間に遅れてしまった。

遅刻する人はたいていそうだけど、遅刻したことはとても申し訳なく思っている。

しかもとりたてて遅れた理由もないものだから、より申し訳なくなった。

「結局さ、動物園になんか行きたくなかったんでしょ。」と冷たく言われるのが目に見えていたから、僕は対策を考えてみた。

そしてだいたいこんなたぐいのメールを送った―




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大変申し訳ないんだけど、待ち合わせの時間には間に合いそうもないんだ。

というのも出かけようとしたら僕の部屋に羊男がいたんだ。

うん、あの毛むくじゃらのやつだよ。どこから入ったんだ、て聞いてもニヤニヤして答えないし、おまけにパンダの悪口を並べ立てて僕が出かけるのを邪魔するんだ。

いや、怒ったんだよ、それで羊男をつまみ出してドアを閉めたんだけど、なぜだかまた中にいるんだ。それにあいつときたら勝手に珈琲までいれだす始末。

僕はほとほと困ってこう言ったんだ。

なあ、それなら君も一緒に見にいかないか、そんなに悪口をいうほどのこともないかもしれないし、僕と行くんなら構わないだろ、てさ。

そしたらほいほい承諾して今一緒に向かってるんだ。

そんなわけで今は中野を過ぎた辺りで、着くにはあと20分はかかりそうだよ。

待たせてしまって本当にごめんなさい。

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―待ち合わせの場所に着くと、彼女はかなりあきれた顔をして、「で、羊男はどうしたの?」と聞いてきたので、

「うん、君が怒っているといったら隠れちゃったんだよ、ここに。」と言って僕は自分の胸を指さした。


今思い返すと、これはどう考えても怒られるなと思う。

でも彼女は戦意を消失して、じゃあもう怒ってないから出てきてね、と行って入り口に歩き出してくれた。

僕はほっとして彼女の後について行った。



だが、入り口に着くとどうも彼女の雲行きが怪しい。よく見ると、ぎりぎり開園時間が終わっているのだ。

彼女を見ると、みるみる顔色が変わっていく、こりゃあまずいと思った。が、時すでに遅くパンダを見れないのはあなたのせいよとさっそく怒りだした。

こうなるともう羊男どころの話ではない。



そこで、僕は考えた。そして念を押して「ねえ、君はパンダさえ見られればいいんだよね、それだけでいいんだよね。」とたずねると彼女はそうよと言ったので、僕はわかったよ、といって入り口向かった。

そしてそばにいる係員にこう持ちかけた。

「すみません、彼女が忘れ物をしちゃったんです。カメラです。たぶん、パンダの辺りだと思うんですが取りに行ってもいいですか?」


こうして彼女だけはパンダを見ることができた。

そして僕は今だパンダを見ていない。


戻ってきた彼女にどうだった?と訊ねると

「うーん、思っていたのと違った…」と少々がっかりしていた。

それを聞いた僕の横で、



な、言った通りだろ、と羊男は笑った。








思考中

2004年11月19日 | うたかたの日々
僕の思考方法は煙草を吸っているようなもので、火をつけて吸っては短くなり、灰皿に押しつけては消し。

たぶん、馬鹿なんじゃないかとよくよく思う。

たまたま投げた矢が刺さり、先に進む。そしてまた煙草に火を点ける。

「あなたはいつだって結論を出さず、可能性をめぐらしてみてはそれを放棄してるだけじゃない。」

そんなことを言われたことがあり、僕もその通りだと思ったのを今思い出した。

世の中には、見えないルールがある。


けれどもそれは暗黙の了解であって、きちんと機能しないこともある。

オセロでいえば―白いコインで挟んだ黒いコインがひっくり返らない―といったことが起こる。起こりえる。

この場合、おいおい、それではルールにならないよと言ったとしても、この声は黙殺される。

そういうことも時にはあるのだよ、と誰かが物知り顔で語り、僕はなるほどそういう世界かと呟く。

白黒が実にはっきりしているくせに、白黒つけるシステムにはほころびがあるんだな、と。

まあどうでもいいことなんだけどね。

その不完全なルールの不完全さを前提としたならばだ、結論なんかだせないじゃないか。

そういいたくもなるさ。

でもだす。

なぜならば、僕はどこかへ行きたいから。

ここではないどこかへ。


壁と自動販売機

2004年11月17日 | ことばの森
自動販売機を思い切り殴ったせいで手から血が出た。

自動販売機は何事も無く、薄笑いを浮かべていた。

僕はバスに揺られながら、10年ほど前にも殴った壁の事を思いかえした。

それは僕の住んでいたアパートのコンクリートの壁で、表面には小さな粒上の凹凸がいくつもあった。だから当然僕の拳はひどい有様になるわけだ。

シャドーボクシングのように構え、僕はその壁にジャブを打つ。

壁は鈍い音で拳を跳ね返し、僕はズシリズシリと痛みを覚える。

なぜそんな事をしなければならなかったのか。

たぶん試練を味わっていたんだと思う。思春期というものは時には明確な痛みを求めることがあるのだ。

何かしら不明確な痛みを、体に刻もうとする行為なのかな。

よく覚えてはいない。

ただ、今度は自動販売機を殴った。

思春期を過ぎた僕は、不明確な痛みを拳の痛みになど還元できない。

となると、そこにはただ二種類の痛みが残り、結果として僕はすごく損をした。

大人になるとそういった不具合が生じるという事を、ようやく僕は理解した。



追われてます。。

2004年11月11日 | ことばの避難所
いやー、今までおよそ学生らしからぬ生活が続いてきたせいかしらんけど、なんか追われてる。卒論に。

彼女に話すと、まあみんなそういうもんだよ。と一蹴され、まあそうなんだろうけど、と思いながらもしぶしぶ机に向かう日々。

家に帰ると洗濯物をたたんだり、夕食のおかずをつくったり、(飯はおにぎりを買ってきたのだ)散々現実逃避をしてみたけど、それってかなり自ら首を締める行為だよな。

とかいいながら日記なんか書いちまったぜ。

がおー、がんばるぞ。

再びジョゼ

2004年11月08日 | ことばの避難所
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なんだかんだ言いながら再びジョゼを観ました。

この映画を観て沸いてくるわだかまりって何か知りたかったし、単純にまた観たいと思えたので。

前回あんだけくだまいておいてなんですが、この映画支持します。

というのもこの映画、すごく断片的で登場人物の心理描写が少なくわかりづらいところはありますが、そこを自分なりに補って観てみると一つ一つが結構理解できるからなんですね。

ただ、この映画のジョゼって理想化され過ぎてて残念なのです。もっとわがままで面倒くさくてずるいでしょ、実際は…と、うがった見方をしてしまいます。

ただ、これは男の回想話なのでしょうがないんですがね。。

ジョゼと虎と魚たち

2004年11月01日 | うたかたの日々
気に入らなかったくせになにかもの申したくなる映画ってありませんか。自分の中でなにか腑に落ちなくて、気がついたら映画の断片やなにかをふと考えてしまうのです。

『ジョゼ…』はそういう種類の映画でした。

そういう映画を観ると非常に困ります。好きではないのに語りたい。違うんだ、これではダメなんだと表明したい、そんな気分になるのです。

個人的には妻夫木聡のさわやか笑顔がむずがゆくて嫌なんだけど、僕が否定したいところはまた別のところにあるんだろうな。

たぶん、自分の好きな女を他の男にとられた上に、その男が彼女とつまらない理由で別れたのを知った時みたいな苦々しい感情なのかしら。

なんにしても池脇千鶴、名演技だなーー。そこに尽きるな。うん。