親愛なる日記

僕が 日々見つめていたいもの。詩・感情の機微等。言葉は装い。音楽遊泳。時よ、止まれ!

好きだというのは困難でしょうか。

2004年10月27日 | ことばの避難所
例えばこの曲が好きだとか、あの台詞が好きだとか、いい易い好きって結構ありますよね。

でも、こと男女関係のこととなるとなかなかそうもいきません。

軽はずみに好きだとかいったら大変な事になるんじゃないか、いやいや、本当に僕は(私は)あの人が好きなのだろうか、など、さまざまな疑問が沸きます。

本当に好き、って不思議な言葉ですよね。

好きと本当に好きってどう違うんでしょうかね。

好きだけど本当の意味では好きじゃないってこともあるのでしょうか。

とかいいつつ、僕は本当の意味ではー好きと本当に好きーの違いを知っており、実際に使い分けています。


☆人が気軽に好きだという時、それは単なるカテゴライズにしか過ぎません。

それは好きな領域にある、という自己了解です。

☆人が本当に好きだという時、それは自己の領域を超えています。

自分がその人を(もしくはその他もろもろを)好きだという自己了解の枠組みだけでは超えられない切実な状況にあるのです。

そこでふと気付くのです。

もし、自己了解の枠組みの中で巧妙に感情をしまっていける人がいたとすれば、その人は本当に好きだとはなかなか言えないなあ、と。

感情のオトシドコロや、自分のエゴイズムを理由にキレイに感情を整理していって、みんな好きだよ、ある程度はねなんて言えてしまうのです。

たぶん、その人ははたから見れば不器用で、しかし、自己の枠組みをきちんと持っている人なんでしょう。

その一方でそこはかとない虚無感を抱え…

「未完」







音楽を聴くこと。

2004年10月18日 | 音の景色
僕にとって音楽のある生活は―猫のいる生活と同じくらいに―生まれながら当然なものだった。

ボブディランや、コルトレーン、はっぴいえんどや、ニールヤング。ジャンルを超越して胎児の頃から聴かされていた僕は、当然のごとくなんでも聴く人間になった。

おかげで、僕が初めて買ったCDは『加納さんのいいんじゃないっすか!』だった。ウッチャンナンチャンのテレビで歌われていたくだらない、本当にくだらないCD。


姉のラジカセを売ってもらい、最初に聴いた、思い出のシングル…。ああ、恥ずかしい。

その後、カモンタツオなんかを聞きかじり得意げに歌う小学生を卒業し、中学に入ってスチャダラパーに出会う。(どうも僕はその当時音楽に笑いを求めていたのかもしれない、苦笑)

高校に入るとフリッパーズ・ギターやら東京No1ソウルセット等、宇田川系に走り出した。

当然、僕にだってそういう若い時代があったのだ。


浪人時代に知り合った、クレイジーな友人にロックンロールという魂を教わった。―彼はロックンロールを教えるには本当にふさわしい男だった。そして、とても人には紹介できないな、とも思ったが―

プライマルスクリーム、ケミカル、マッシブアタック、レディオヘッド、AIR、ダフトパンク、等々怒れるアーティスト達を次々に知ることとなる。

そこからはひた走りだ。

知れば知るほど、素敵な音楽は無限に膨らむ。

僕はどういうわけか大学に受かり、東京に出てきた。

奨学金をターンテーブルとレコード費用にまわし、ひたすら買い倒した。

買えば買うほどに欲しいレコードは増えていった。

ラテン、ジャズ、ソウル、ファンク、ハウス、テクノ、エレクトロニック…。聴きたい音楽の幅は拡大の一途をたどり収集はつかなくなる。

大学生活の前半というもの、僕には友達はほとんどといって音楽のみだった。

大学には行かず、部屋とレコード店とクラブハウスをぐるぐる回っていた。

生活リズムは崩れ、夜が長くなればなるほど僕は音楽の世界で生きつづけるのだ。


そして、あるとき。

僕はふと音楽から離れつつあるかもしれない、そう思うようになった。

音楽が前ほどに僕を連れて行ってはくれないのだ。どこへ?って。君も知っている場所さ。





日記よ、僕が君から遠ざかる前には、その場所から何度も君に話し掛けたね。

僕はウィスキーを片手に、ヘッドフォンをつけ、深夜に大音量でマイ・ブラッディー・バレンタインをききながら。トム・ウェイツを聴きながら。ニーナ・シモンを聴きながら…。


僕が語り始める時、僕はいつでも音楽のある場所にいた。

僕はそこから離れ、そして語らない言葉は雪解けのように消えていった。





そうして今、やっと近くまできている。

前とは少し違う場所ではあるけどね。

『Electronic Panorama Orchestra』と『MUM』に救われたんだ。

僕には音楽が必要なんだ。

その必要の意味を僕はよく理解できていなかったんだと思う。

音楽が無くては生きていけないんじゃなくて、音楽無しでは生きてもつまらないってことなんだね。


また、混ぜ返して言えば、そうした必要って他にもあるんだよな。

僕は往々にしてそういう必要なものを大切にしきれていないから。

これはよく考えてみる必要があるなあ。うん。













夜鷹

2004年10月03日 | 好きな映画や本など
 夜鷹

 恋人よ、今夜はすごい夜だ。流れる水の縞模様に飾られた夜は、百万もの水濡れに貫かれ,もう二度と戻りそうにない。

 君がいないこと、そのことが投げかける影に似たかたちの夜。

 あらゆるひびから水は流れ出し、あらゆる張り出しから滴り落ちる。

 夜鷹たちの叫びは、いまや雨が跳ねる音にとって代わられた。街灯の高みから雨は落ちる。一滴一滴が、それ自身の青い電球を含んでいる。

                                      ―Stuart Dybek―

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