例えばこの曲が好きだとか、あの台詞が好きだとか、いい易い好きって結構ありますよね。
でも、こと男女関係のこととなるとなかなかそうもいきません。
軽はずみに好きだとかいったら大変な事になるんじゃないか、いやいや、本当に僕は(私は)あの人が好きなのだろうか、など、さまざまな疑問が沸きます。
本当に好き、って不思議な言葉ですよね。
好きと本当に好きってどう違うんでしょうかね。
好きだけど本当の意味では好きじゃないってこともあるのでしょうか。
とかいいつつ、僕は本当の意味ではー好きと本当に好きーの違いを知っており、実際に使い分けています。
☆人が気軽に好きだという時、それは単なるカテゴライズにしか過ぎません。
それは好きな領域にある、という自己了解です。
☆人が本当に好きだという時、それは自己の領域を超えています。
自分がその人を(もしくはその他もろもろを)好きだという自己了解の枠組みだけでは超えられない切実な状況にあるのです。
そこでふと気付くのです。
もし、自己了解の枠組みの中で巧妙に感情をしまっていける人がいたとすれば、その人は本当に好きだとはなかなか言えないなあ、と。
感情のオトシドコロや、自分のエゴイズムを理由にキレイに感情を整理していって、みんな好きだよ、ある程度はねなんて言えてしまうのです。
たぶん、その人ははたから見れば不器用で、しかし、自己の枠組みをきちんと持っている人なんでしょう。
その一方でそこはかとない虚無感を抱え…
「未完」
でも、こと男女関係のこととなるとなかなかそうもいきません。
軽はずみに好きだとかいったら大変な事になるんじゃないか、いやいや、本当に僕は(私は)あの人が好きなのだろうか、など、さまざまな疑問が沸きます。
本当に好き、って不思議な言葉ですよね。
好きと本当に好きってどう違うんでしょうかね。
好きだけど本当の意味では好きじゃないってこともあるのでしょうか。
とかいいつつ、僕は本当の意味ではー好きと本当に好きーの違いを知っており、実際に使い分けています。
☆人が気軽に好きだという時、それは単なるカテゴライズにしか過ぎません。
それは好きな領域にある、という自己了解です。
☆人が本当に好きだという時、それは自己の領域を超えています。
自分がその人を(もしくはその他もろもろを)好きだという自己了解の枠組みだけでは超えられない切実な状況にあるのです。
そこでふと気付くのです。
もし、自己了解の枠組みの中で巧妙に感情をしまっていける人がいたとすれば、その人は本当に好きだとはなかなか言えないなあ、と。
感情のオトシドコロや、自分のエゴイズムを理由にキレイに感情を整理していって、みんな好きだよ、ある程度はねなんて言えてしまうのです。
たぶん、その人ははたから見れば不器用で、しかし、自己の枠組みをきちんと持っている人なんでしょう。
その一方でそこはかとない虚無感を抱え…
「未完」