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親愛なる日記

僕が 日々見つめていたいもの。詩・感情の機微等。言葉は装い。音楽遊泳。時よ、止まれ!

銀杏

2010年03月11日 | 物語
鶴岡八幡宮の樹齢1000年と言われる大木が倒れました。

そのニュースを聞いて、いったいどんな地震や災害が起こったのか?と気になって新聞を読むと、

風が吹いて、倒れたらしい。


風、たかがそんなもので倒れたのか…。という「な~んだ」という気持ちで一晩眠り、

いやいやそういうことではない、と今朝思った。


たいぼくはおそらく既に死んでいたのだ。と。


木というもの、特に樹齢1000年近い木の外壁部分は、人間で言えばカチカチになった皮膚であり、その働きはほぼ消滅し、ただの構造物に変質している。

1000年の月日で根から腐敗し、おそらくはいつ倒れてもおかしくない状態でただただ立っていただけなのだ。

そんな危ない様子のたいぼくと言えど、お宮のたいぼくともなれば人為的に切ることは憚られるだろうし、どうしようかなあ、と思っていたところ運良く風が吹いて倒れたのではないかしら。


1000年の木が倒れることは、とてもいいことだと僕は思う。


根が腐り、もはや死に体ながら立っていた木。

そんな木に引導を渡したのが一陣の風であったことは象徴的で、

自然こそが、おそらくすべてに解決を与えるのである。


城破れて山河あり。その山河を形成する樹木や河川は、「常」と呼ばれたが、

「常」とは「連鎖」である。


木が倒れ、その死体の養分で新しい生命が育つ。

大きな流れの中で、命の連鎖が永遠の生命を形作っているように見えるが、

個別に見ればそれらはそのつどそのつど変質しているのだ。


くりかえすけれど、1000年の大木が倒れたことは悪いことではない。

僕らはそのような変質する「永遠」のなかにいる、ということだと思う。

サンタクロースはいますか?

2009年12月13日 | 物語


先日、塾で中学生に言われた。

せんせい、サンタクロースなんていないんですよ。

僕は、「どうだろうね、サンタクロースがいるかいないかって、僕にはとても難しい問題だと思うんだけど」と言うと、

「べつに、難しくないですよ、僕はお父さんがサンタだって知ってますもん。」

と言った。


あのね、そう考えると確かにサンタクロースなんてものはいなくて、君のお父さんかもしれないけれど、僕はそう考えない。

サンタクロースではなくて、もしミッキーマウスだとしたら、君はミッキーマウスはいません。あれはねずみの皮をかぶった人間ですって言うかい?


「もちろん」と彼はうなづく。


「じゃあ、ミッキーマウスはいないってこと?」と僕はきく。


「いや…、いないっていうか、ミッキーはディズニーランドのキャラだし、そもそもいるのが当たり前っていうか、創作じゃん」彼は不満そうにつぶやく。


創作だったら、いても別にいいってことなら、サンタクロースだって創作されているじゃない。そして、創作されたものならいると、君は言う


君がサンタクロースなんていないって、わざわざ僕に言うってことは、


君はサンタクロースの存在を認めているし、それによってサンタクロースはいることを証明してしまっているんだよ。


…。


先生の言う事はよくわからないよ。



ということがあった。



僕が何を言いたいかというと、現代の中学生もまだまだ子どもだな。ということ。

サンタクロースなんて、いないやい。

そう真剣に叫ぶことは、純然たる子どもらしさの象徴ではあるまいか、と。



ー<概念>を理解し、それがなくってはならないのはむしろオトナのほうだ。ー



あるいは「いない」ことを証明するのは、「いる」と言ってのけてしまうことに比べてはるかに大変なことであり、

僕らオトナはその合理的帰結により、サンタクロースはいるよ、と言うのかもしれない。

僕は、まだまだそのへんの境目でうろうろしてしまう。


なんて、シニカルに構えるのも今年で終わり。


サンタクロースっているんでしょうか?

偕成社

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サンタの友達、バージニア・オハンロンの生涯に敬意を称し、誠意をもって話してあげたい。

…来年からは。

わたくしごと 「講」について

2009年12月03日 | 物語
12月2日の毎日新聞朝刊の記事に、御岳講の記事が載っていた。

東京都青梅市の山奥にひっそりと佇む御岳山(みたけさん)は、個人的に因縁を感じる山なのです。

紀元前91年の創建と伝わる「武蔵野御嶽神社」が山頂に鎮座する御岳山。

その山の神を代々守り、参詣者の案内を行うのが「御師(おし)」だそうで、

僕の先先先先代が、この「御師」を行い、御岳に住んでおったそうな。


まあ、ずいぶん昔の話ですし、僕に至るまでに血はつながっているような、いないようなという感じですから、そう自慢できたものでもないのですが、

なんとなく自然崇拝がしっくりきてしまうのは、そんな僕の血筋なのでしょうか。


まあ、なんにせよ、御岳山というところはとてもいいところです。

ケーブルでがたがたと山を登るわけですが、山上にちょっとした集落ができていましてね、そこ辺りに私の先先先先代の末裔が営む宿坊があったりしまして、

散策しているだけでも、ここが、下界とはまったく違う世界なんだ。という感覚が湧いてくるわけなんです。



まあ、少なくとも高尾山なんか行くよりはずっといいですよ。


あと、私の家に古くから伝わる札(ふだ)がございましてね、

それが、これです。

どうです?

信じてもらえましたか?


なんだかちょっと怖いけど。オオカミを祀っているそうです。

この札は毎年正月になると僕の叔父さんが刷って近所に配るそうです。





ところで、なぜ御岳からこんな静岡の山奥へ私の先先先先代はやってきたのでしょう?

そのへんが、僕には長らく謎でしたが、

どうやらそれは、この御岳講が静岡にも及んでいたからなんだそうです。


「講」というとなんか座談会とか開きそうな印象ですけど、

これは立派な山岳宗教者の会だと僕は思っています。



まあ、こんなことは僕以外誰も関心を持ちそうもないんで、ひとりで調べているわけですが、



静岡にはすでに富士講という超ビックな「講」が巨大勢力を誇ってあるわけなんです。

たとえば、浅間神社というのは、各地に存在しますが、静岡でも有名な神社といえば、センゲンさんと呼ばれる神社です。


あさ~く調べただけですが、この浅間神社と名のつく神社はズバリ富士信仰の神社です。コノハナサクヤ姫という娘さんをたてまつっているそうですが、このお姫様は富士山の神さまだったと思います。



話がそれましたね、


富士の麓には古来から富士講たちが集まり祈祷を行う霊場(スピリチュアルスポット)は数多く存在しております。


僕は以前そんな富士講の集ったであろう穴場にも見学に行きましたが、

けっこう怖かったです。


え~、こんなところで~!?というような洞穴ですよ、

昼間なのにこんな感じだもん。


まあ、そんな富士講を差し置いて、静岡の奥地まで御岳講が及んでいるというのは、僕には少し不可解に思っているわけなんです。


そこで、今、個人的にはこう考えています。


御岳講は、もっとずっとずっと西からやってきたのではないか。

と。

この話は僕の超個人的な趣味なので、こつこつ情報を集めながら考えていきたいと思っております。


足もとの話

2009年09月25日 | 物語
物語を語り継ぐこと。語ること。


時間、それは直線ではない。

時間、それは水平方向に堆積してゆく。


油絵の具を上から塗りたしてゆくように。

朝が夕になり夜になる。青からオレンジ、そしてまた群青。

木が育ち、切り倒され、家が建ち、子が生まれ、育ち、いなくなる。


時間は、塗りたされてゆく風景画のように刻々と変わりゆく。


ある場所を想定する。

そこに映る自分を思う。

公園のすみのベンチでも、帰り道の路地やら、住宅地の十字路でも。

いや、どうだろう。あなたにはそんな記憶はないかもしれない。

舗装されていない道路、巨大ビル建設中の資材置き場を思い浮かべるかもしれない。


それが、あなたの土地の記憶。

あなたの記憶に映された風景は、過去という層に埋もれて堆積している。


堆積する風景。

それは歴史と呼ばれる。


あなたの知る土地の歴史は、あなたしか知らない。


それは語れば物語となるし、語られない物語は、深く深く時の層に埋もれるだろう。

たとえ掘り返されても、他の誰かでは感じ取れない。

あなたのキーワードが、実は、足元に眠っている。



妻にキスをする男

2009年07月31日 | 物語
僕の横に眠る妻は、ほんとうにほんとうの僕の妻であるだろうか。

夜中にふと、気になって鼻をくいっと捻ったり、唇や頬をつまんでみる。
むゃっ、と言って、妻はその手をうっとおしそうにはねのける。

当たり前だ。

気持ちよく眠っている鼻を突然くいっとされたら、誰だってうっとおしい。

僕がされたら、いらっ、とする。

でもしかし、その夜なぜか、自分がされたくないことを人にしてはいけません、という原則も、どこか釈然とせず、

妻が不快に思うにせよ、耳たぶをつまんでみたくなったのである。



ちょ…今何時よ。

ほぼ寝ぼけて彼女は言った。

時間については僕は知らない。なにせ暗いし、君を見てるから時間はわからない。

僕の返事をあっさりと無視して、状態を起こし、時計を鼻の先まで近づける彼女、

イチジ…ヨンジップン…。

なんなの?一体。眠れないならワタシを起こさずに勝手に起きてればいいじゃないの。いい?何度も言ってると思うけど、ワタシにとって眠ることは何よりも重要なの。生きてる喜びの全てが眠りにつまっているのよ。だから、眠ってるアタシにだけはゼッタイに触らないで、本気で。そういうわけでおやすみ。


といって、また眠りに溶けていった。

こんこんと眠る彼女は、彼女の王国に帰ってしまった。



眠りとは、夕暮れのように人にさよならを言う。

おやすみとは、さよなら。

僕は砂場に一人残されて、帰る場所を失っていた。

窓の月を眺める。

眠りの国は、月の国みたいなところだろうか。空気がないからモノクロームなの?

そんなこと思ってみたけど、寄る辺なし。

確かに、魔法の先生がむかしむか~し言ったように、

ある種の魔法は 本人に知れないようにそっとかけるのがよいことなのかもしれない。

けど先生!いくら魔法使いだっても、そんな夜は少しさびしいものなんですね。


僕は妻にキスをする。


妻は王国の中、天蓋つきのクイーンサイズベッドで、愛犬を抱いて眠っていたそうだ。

犬がね、アタシの眠りを邪魔をするのよ。

翌朝になって、そう話してくれた妻に、


それはほんとうに災難だったね。

と、僕は言った。

エコキライ

2009年07月23日 | 物語
(この文章には世の中の趨勢とは異なる意見が書かれております。まゆにつばをつけて寛大な気持ちでお読み下さい。)


いまどきさ、まともな人なら、マイバッグぐらい持っておかなきゃ。

その日、僕が渋谷で見つけたかわいいベネトンのエコバックを見て、彼女は冷たくこう言った。

は?何言ってんの。そのバッグって、そもそも何からできてると思ってるわけ?何でひとりでいくつもマイバッグ買ってんの?馬鹿じゃないの。それって、エコじゃないじゃない。ムダづかいだよ。

(ああ、まずい、機嫌の悪い時に帰ってきちゃったな)

君のも買ってきたんだよ…。せっかくイイの見つけてきたのに、そんなこと言うならもうあげない。

と僕が言うと、

二つあってもしょうがないじゃない、もらうわよ、と彼女は言った。



「レジ袋をやめても石油の消費量は変わらないけれど、環境意識の低い人に、使い捨てを止めさせるための環境教育が必要なの。」

これが僕と彼女の間で合意したとりあえずの共通見解だ、というところから話を始めたい。


まあだから、あなたが環境にすでに関心があるのであれば、レジ袋は使ってもなんら問題ないし。

むしろ積極的にもらっておいて、家庭のゴミ処理に再利用しちゃえばいいじゃない。


それはちょっと極端だと思うよ。

と僕はぶつぶつ言う。

もちろんわたしだって必要なければいらないって言うよ。

要らないものを買わない、もらわない、欲しがらない、ってのがエコだと思うの。シンプルに。

とまあ、いつものように彼女の言いたいことを聞いて話は終わった。


それにしても、と僕は思う。

エコ周辺にはシロとクロがふわふわ漂っている。

彼女の主張をまとめると、


★「ペットボトルはリサイクル」してはいけない。

お茶を入れて持ち歩くとか、リユースしたのち可燃ごみで捨ててよし。

(これは同意しづらいなあ。ただ、リサイクルされてるかどうかなんて、信じるかどうかだよね。)


★「牛乳パックはリサイクル」してはいけません。

美味しかったよ。ありがとうと、つぶやいてから可燃ごみで捨ててもいい。

(これも同意しづらいよね、なんたって、古紙リサイクルに関わっている人の数なんて既に膨大だし、今さら否定されたら彼らはどうなっちゃうのかね。でも、これまたリサイクルがうまく機能しているんだと信じるほかないよね)

★「地球温暖化」は嘘。

(さあ?どうでしょうね。自分で判断しましょう。って言われてもわかるわけない。これも誰の話を信じるかだな。ただ政府の見解に逆らうとロクなことはない。)


★マイ箸は自然破壊。

(これはどうでしょ。割り箸が国産ならいいと彼女は言うけど、100均一の割り箸は中国製だから…。やっぱりよくはないんじゃないかな。)


★プリウスは税金を使って自動車会社を儲けさせているのよ。

(プリウスって、名前がかわいい。友達が乗っていたら、僕も乗せて欲しい。でも、夢や憧れはそこにはないなあ。税金うんたらについては、僕の知るところではない。そもそも日本は、自動車会社で成り立ってる国なんだから、屋台骨に税金使って何が悪いのかとも思うしね。)


★民主党なんて馬鹿みたいな政党いらないのよ。

(このへんになってくると、彼女はもう酔っ払っていて、エコの話から遠ざかってた。僕はノンポリだから政治についてはしゃべりたくないの知ってるはずなのに。「あのぎょろぎょろした目が気に食わない」とか、「夢見心地なこと言ってんじゃないわよ」とか、クダまいてたけど…たぶん明日になれば覚えてない。)


とまあ。

何が正しいのかわからないなあ、と思うことばかり。

どうぞあなたも考えてみて下さい。

僕としては、彼女と喧嘩しないように、なんとかバランスをとって生きていかなきゃいけない立場なので、なんとも言えませんが。



↓この本は、(科学者というよりは)哲学者として彼女が尊敬する武田先生の最新著書。

(とんだ嘘つき野郎だと、あなたは言うかもしれないけど。嘘ついて何か悪いかしら?と、彼女は言っていました。やれやれ。)


完全理解版 家庭で行う正しいエコ生活
武田 邦彦
講談社

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君は静かに糸をつむぐ 3

2009年06月23日 | 物語
わたしたちはね、みんな眠っているの。

眠ってる?

そう。眠っている。とてもとても深く。

…。

あなたは目覚めてる。わたしたちは眠っている。

君だって起きて、ちゃんとしゃべってるよ。

チガウノよ。比喩よ。あなた馬鹿じゃない。ヒユ。

ヒユ…。(眠っているとはどういうことだろう)

ここにはね、目覚めている人は来てはいけない。私たちは眠る人のためにこうして糸を紡いでいるの。

帽子を編んでいるようにみえる…。

これは帽子じゃないの。プロテクションよ。

プロテクション?

もういいのよ、あなたにはわからない。

なんとなくわかるけど、わからない。

それはあなたには必要ないから、私たちには必要なのよ。

…。

…。

あのね、僕としては君のプロテクションとやらを批判する気はさらさらない。それに君の眠りを妨げるつもりもない。でも僕は、こうして編み物をしている横で本を読むのが好きだし、この都会のまっただなかで、そんな安らぎに満ちて酒を呑める場所なんてなかなか見つからないとも思ってる。だから、そんな風に邪険にして欲しくはないんだ。

…。

僕は君の眠りの妨げになるのだろうか。

…。

…。

なるわ。あなたがそこで本を読んでいるとね、どうも落ち着かないのよ。何かがあたしを不安にするの。あたしがこれまで生きてきた道のりを少しづつ侵害されているような気分になる。どうしてだかわからないけど、あなたはわたしの邪魔をしている。

そう…。

申し訳ないけど。

本を読んでいるだけなのに?

うん…。

それって、ひどくないか?

ひどいとは思う。ずいぶん勝手な言い分だとは思うの。でも、そういう風にしか今は言えない…。

そうなんだ。

そうよ。

君はドライブに出かけた時、助手席で彼がずーと眠ってたら嫌かな?

は?

君が車を運転しているとして、横で人が眠ってるのってどう思う?

嫌かな。せっかく二人で楽しく出かけてきたのに、横でグーグー眠ってられたら。

僕はそうは思わない。

…。

できれば横でずっとすやすや眠っていて欲しいと思う。僕は目覚めている人が横にずっといるよりも、眠っている人が横にいる方がずっと安心する。できれば自然に目が覚めるまで、そしてそのうちに「あ~、すっごい寝ちゃった!」って笑顔で起きてくるまで、寝かせておきたい。

…。

そういうことかな。

わからないけど、たぶん違うと思う。

…。

それにわたしはドライブなんてもう何年もしたことないし。いつもセイブセンだから。

それじゃあ、ドライブに行こう。

は?

だからドライブに行こうよ、君と僕とで。

なんでよ、何でそうなるの?

なんでってこともないでしょ。君がしばらくドライブしたことないなら、ドライブしてみようって誘うことはフツウでしょ?

いや、だからそうじゃなくってさ、なんでわたしが、アナタとドライブ行くわけ?

そんなの決まってるじゃない、気分だよ。

キブン?

気分だよ。君とドライブに行ったらきっと楽しいだろうな、という気分だよ。

わたしは、わたしの気分はどうなるわけ?

君の気分についてはわからない。けど僕が楽しいなら君も楽しい。

そういう考え方って、ずいぶん身勝手だと思う。

もちろん、身勝手だよ。でも君が身勝手なことを言うなら、僕が身勝手なことを言ったって構わないじゃないか。

…。

ね。

…。

そうでしょ。

あたしはすっごく騙されてる気がする…。

僕は君を騙しているわけじゃない。誘ってるんだ。

騙すことと、誘うことはオンナジじゃない?

違うさ、騙すことは悪意で、誘うことは善意。

あなたの善悪は、わたしの善悪と違うと思う。

じゃあ、そうだとして、それは誰が判断するの?

あたしよ。

君はドライブに行ってみたいと思わない?初夏の尾瀬。それとも西軽井沢辺りは今頃いいかもしれない。那須高原も捨てがたいし、晴海ふ頭から島へ渡るのはどうだろう。

…。

興味なくはないわね。

そうでしょ。

君は静かに糸をつむぐ 3

2009年06月21日 | 物語
君は僕のことをどう思っているのかしらないけど、僕は好んでここに来て、言われる通りの対価を支払うからには君に断られる筋合いはないと思う。

あなたは勘違いしてる。

君は説明を省略している。

…。

…。

ここはね、懺悔をするところなの。

ザンゲ?

そう懺悔。自分の罪を告白する場所なのよ。

ツミ…。

形式上異教徒の方の懺悔も聞き入れ浄化すべしとするのが、私たちの教えなの。といっても本等は経済的理由でやもえずというのが本音だけどね。

なぜ隠したりするの?第一会員制にすればそれで済む話なのに。

だから、やもえずって言ってるでしょ。祈るだけでもお金は必要だし、賛同者の方たちはみんな貧しいの。貧しい中で寄付金を払ってぎりぎりでやっているのよ。あたしだってこんなことするのは嫌なのよ。何もしなくていいってシスターは言ってるけど、あなたみたいにケガラワシイ商売と勘違いして入ってくる人がいるし。

いやいや、それは誤解だって、僕は質問しただけだし。第一そんな風に説明されたら僕だって入ってこなかったよ。

そこなのよ。

え?

もし事前にこのお店の趣旨を打ち出すと、気味悪がって誰も入ってこない。だから説明は後まわしにして、わかってくれそうな人にだけそっと理解を求めなさいって言われてるの。

それって、物凄くカルトっぽい発想だと思うんだけど…。

違うのよ、だからあなたはわかってないし、わからない。

いやいや、君の言っていることはそもそもとてもおかしいよ。

…。

それはね、


君は静かに糸をつむぐ 2

2009年06月20日 | 物語
ねえ、ここはひょっとすると何かまずい店なのかな?

ウイスキーグラスの底についた水滴を絨毯に落とさないように、そおっと体をテーブルに寄せながら僕は彼女にしゃべりかけた。

まずい?

ああ、なんていうのかな、フウゾクとかそういうのじゃないよね?

…。

彼女は大型連休で人にあふれる成田空港をニュースで見ているような険しい顔をして言った。

ここはね、普通のクラブじゃないのよ。

フツウじゃない…というと。

ここはね、修道院なの。

…。

…。

シュウドウイン?

そう。

修道院って、あの、尼さんがお祈りするところ?

お祈りじゃなくて、生活してるの。

ここで?

違うわよ、もちろん。本部は秩父にある。

チチブ?

知らないの?秩父。西武線の終点。緑がいっぱいのいいとこよ。

いや、なんていうか、疑問が多すぎてよくわからないや。

とにかく、私たちはそこの修道院から出張でここへ来るのよ。

はあ。

なんで知らずに来るの?

いや、純粋に新しい店ができたら行ってみるのが僕の流儀で…。

ここはね、あなたのような人の来るところじゃないのよ。

…。

…。

でも、親切に迎え入れてくれたよ。店員の対応はスマートだったし、きりっとした笑顔で僕を迎え入れてくれた。

悪いこと言わないからここにはもう来ない方がいい。

どうして?

そういう質問に答えたらいけない決まりになってるの。

もしかして、最近噂の…。

違うの。私たちをそんなインチキな宗教みたいに言わないで。あなたのような人にはゼッタイにわからない。ワタシタチのことは。

私たち?

私たちは私たちよ。あなたみたいでないという意味で。

…。

…。

…。

君はボクの何を知ってる?


君は静かに糸をつむぐ 1

2009年06月20日 | 物語


六本木通りを西麻布方面に下ると、大きな十字路に出る。

十字路をさらに八等分するように包丁を入れて西南に伸びる道を進んでいくと、

右手に小さく「keito」の文字がほの白く光る。そんなビルがある。

ビルの横、狭い階段を登っていったところにその店はある。

客一人に対し、ホステス一人が接客をするシステムは、通常のクラブでもそうかもしれない。

ただ、この店が特異な点は、女性たちはみな、ただただ編み物をしているだけだということにある。


      ◆ ◆ ◆


やや薄いコンクリート状の壁で区切られた狭い個室に案内されると、編み物をする女性のもとに案内される。

黒々と紅い絨毯を囲むようにして重厚なソファが置かれている。

彼女はお酒を注ぐことも、自ら飲むこともしない。

僕らはただ編み物をする女の横で、酒を飲み、(ひとりの場合には)本を読んだりする。

もちろん話しかけても構わない。

ただし、あんまり話しかけると「うるさいわね」という顔をされる。

当然だ。彼女は編み物をするのが仕事なのだから。

音楽は遠くで少し聞こえるくらい。何だろう、糸つむぎ?

僕は、また本を読むことにした。


      ◆ ◆ ◆


ファウスト博士は悪魔メフィストフェレスと出会い、自らの魂の服従を交換条件として、この世におけるもっとも幸福と思えるありとあらゆることを望んだ。

これこそが現世におけるすべての幸福だ、と思えることを。

もうこれ以上幸せになんてなれっこない!と叫べるときを。

悪魔は約束の時より半分早くファウストの前に現れる。

なぜだ。俺はまだその時ではない。時はまだ半分あるではないか。

悪魔は言う。

私の約束した時に、夜は含まれてはいない。君は私を昼も夜も問わず働かせた。すなわち時はもう訪れた。君に残された時間はもはや3時間しかないのだ。

騙された!ファウストは思う。

畜生、畜生、そこに愚かな道化がやってくるのだ。


      ◆ ◆ ◆


ねえ、何読んでるの?

え?ああ、古い本をね。

面白いの?

まあ、それなりに考えさせられる。

この店できてまだ新しいけど、あんたみたいにずっと本読んでる人ってあんまりいないのよ。

そうなんだ。

ここがどんな店だか、あなた知ってて入ったの?

いや、通りがかりで気になって。

そう。

うん。

と言って、彼女は言葉を飲み込んだまま、視線を毛糸に戻した。


ここはもしかしたら、よからぬ猥褻な店だったのかな、だとしたら僕は何もしていないので、本しか読んでいないのでそうとうヘンな客だということになるな。新宿辺りへ行くと耳掃除と称してよからぬことをする店もあるという。

でもこれまで何度かここに来ていたけど、特にそういう誘いも何もなかった。

料金も妥当だった。

おかしくない。

でも言われてみると、どこか、静か過ぎやしないか、この店は…。


物語の読み方

2009年06月19日 | 物語
物語のファンタジーについていけない人がいる。

そう最近聞いたのだけれど、ファンタジーで考えると世界が少し違って見えておもしろい。

また、ファンタジーだからこそ冷静に物事に接し、判断することができる、そういう側面もある。

まあ、僕が言うことでもないが。

たとえば、魔法使いがいる。

魔法使いは本当にいた。というか、今でもいると言ったら驚く?

かつてそう呼ばれた彼らの多くは、当時の主流宗教に対する異端宗教者であり、学識も広くあったが、理解されることは少なかった。(これはあまり知られてない)

魔法も、もちろん使う。

魔法には黒魔術と白魔術があり(これはゲーム世代はわりと知ってる)

白魔術は、現在の自然科学の先にある医療、農業技術、気象予報技術などであり、

黒魔術とは、現在で言う詐欺・トリック・人間心理を巧みに操る話術といった処世術であった。(これはあまり知られてない)

マーケティングを行い、効率的な販売を行う。巧みな広告戦略で、消費者のニーズを掴み付加価値を高めWIN WIN WINを可能にする。安く買い、高く売る技法。顧客満足度。モチベーションを高める言葉。懐柔。説得。談合。1を10に見せる裏技。

存在しないモノに対してお金が流れる仕組み作り。

それが何百年もの歴史で磨きあげられた黒魔術の力です。


白魔術と黒魔術。現在どちらもキチンと機能しているじゃないか。

呼び名が変わっただけだ。

いや、むしろ進化している。(だから目には見えずらくなっている)


かつての魔法使いたちは、それぞれ生きるために自ら術を学び、一般民衆を導き、助けたり、騙し、奪い取ることで生きている。そうしなければ生きてゆけなかったから。それは僕らもそうだよね。

そのうちに魔法使いのなかには、黒魔法と白魔法をどちらも巧みに操り、制御する力を持つものが現れる。

彼らは賢者と呼ばれる。そして賢者のフリをした宗教者や、経営者や、政治家も現れる。

この構図もまた変わらない。


新聞を読んでいると、様々な詐欺や不正を目にする。

また、時流を読んで莫大な儲けを出している経営者や、妙な不安を煽る占い師がいるという。

そのたび僕は、ああ、魔法の使用法を間違えた魔法使いがあちらこちらにいるんだなあ、と思ってしまう。

日食の周期を解説する科学者を見ると、おおすごいなあ、と素直に感心する。


僕は魔法使いそのものを悪いものだとはまったく思っていない。

魔法というものは、使う者によって善くも、悪くもなる。


そんな風に現実とファンタジーを組み合わせて考えると、

かつて魔女裁判で殺された多くの人たちは、いったいなぜ殺されたのか。

現在、僕らの住むこの国は、本当は魔法の国ではないだろうか。

僕ら自身がそもそも魔法使いではないのだろうか。

僕らが何気なく使っている魔法の中には、とてもとても危険な呪文も含まれていやしないか。

それを管理統制できる賢者はいるのだろうか。


そう思っても無理ないな、と言いたいのである。

新宿東口丸井メンズ館の前にある『愛と死』

2009年06月12日 | 物語
それはずっと、ずっと前のこと。

新宿東口丸井メンズ館の前で彼女はボソッと言った。

「あたし、消えたい…。」

そう彼女が口にして、僕はしばらく考えた。

それって、死にたいってこと?

とても蒸し暑い夏の夜だった。


    ◆ ◆ ◆


まあ、そんなもんよ。

と彼女は言うので、また、僕は考えた。

で、考えて考えて、それで言ってみた。



でもね、その『死にたい』は僕にはよくわからない。


    ◆ ◆ ◆


それが僕の最初に思ったことだった。

だって、君は「死」を知らないじゃないか。

何となく、ここではないどこかへ辿りつける。そう信じている。


でも君は信じてるだけだ。


誰かが見てきて、「やっぱり死ぬのって楽ちんだね、ラッキー」と教えてくれたわけじゃない。

君はソトガワから「死」を見ただけだろ。

おじいさんの死、「それは安らかな顔だった」かもしれない。

かもしれない、けど僕は、誰が何と言おうと、

「死」をわかったつもりになんてなれない。

わかってもいないものを、望むなんてヘンだ。

そして、わからなくていいとも思ってる。


    ◆ ◆ ◆


僕は馬鹿だから、そんなことわからなくてもいい。

君は利口だから、それを知っていると僕に言うかもしれない。

わたしにはわかるの、と。


でも、僕にとって「死」は、「愛」と同じくらいウサンクサイ。

『死にたい』というコトバの意味を君自身がおそらく知らないくせに。

「死にたい」と口にしている。

少なくとも、僕にはそう聞こえる。


    ◆ ◆ ◆


赤ちゃんが泣いているのと同じだ。


それは悲しいからかもしれないし、寂しいからかもしれない。

ただ、お腹が空いてるだけかもしれないし、

おしっこをしたくて気持ちが悪いのかもしれない。

喉に何かがつかえているのかもしれない。

母の乳が恋しいのかもしれない。

言葉を発せない、辛さなのかもしれない。

あるいは、自分がここに存在していることに、何か違和感があるのかもしれない。


    ◆ ◆ ◆


何かはわからないが、泣いている。

鮮烈な声で。

僕らはそれを聞いてどうするだろう?


それがどんな意味だとしても、誰かが何かをしてあげないといけない。

オムツを取り替えてみたり、おっぱいをあげてみたり、

抱き上げてみたり、語りかけたりしなくちゃならない。

もちろん「これはダイジョウブなの」といって、泣かせておく必要もあるかもしれない。

ムヤミやたらに騒ぎたてるべきではない、という意見もある。

だからといって、完全に無視してしまっては「ゼッタイにいけない」のだと思う。

君もそう思うだろ?


    ◆ ◆ ◆


「死」は「愛」と同じくらいウサンクサイ。

どちらも、あるようで、ない。

ないようで、ある。

「死を求めること」と、「愛を求めること」は実は同じなんじゃないかと

僕は思う。

どちらも、わからないがゆえに魅惑的だ。


でも、多くの人にとって「死」は魅惑なんかじゃない。

それは「終わり」を告げる「オソロシイモノ」だと感じている。

死者はもう二度と僕らに語りかけることはないし、

その事実を知っているから。


    ◆ ◆ ◆


では「愛」はどうだろう。

愛は「コウフク」を連想させて、「ステキナモノ」と感じさせる。

多くの人はそう思っている。

でも、愛を知る人を僕は見たことない。



僕には「愛」も「死」もどちらも同じようにわからない。

何を言っているのかわからない。

「死にたい」って、「愛したい」ってことなの?


    ◆ ◆ ◆


「死」も「愛」も、どちらも僕は知らない。

そして、いつかは死んでしまうことを僕は知っている。

だけど、いつかは愛するとは聞いたことない。


どちらも僕には不確かなものだけど、

愛のほうが、いくぶんコミイッテイルように思う。

それなら愛を知れたらいいなと、思うけど、

たぶん、僕は馬鹿だからわからないだろう。


君にとってこれはどうでもいいことかもしれないけど、

君が死んだら、僕はとてもとても困る。


    ◆ ◆ ◆


そんなようなことを彼女に言うと、

あなたって、どっかヘンよね。てゆうか、前半はなんとなくわかったけど、後半はわけわかんないし、たぶん間違ってる。なんとなく慰めてくれようとしてるのはわかるけど、やっぱりなんかヘン。まあ、それよりさ、ね、なんかお腹空かない?それにあたしトイレにも行きたくなってきたし。



そういう訳で、僕らは深夜営業のカフェに吸い込まれていった。

これはずっと、ずっとむかしの話。

だから君はもう覚えてないかもしれない。


新宿東口丸井メンズ館を探しにとぼとぼと歩いて行くと、

そこにはもうそれはなかった。


象徴とともに何かが消えていく。

その事実に気がつくと、人は思わず唾を飲み込む。


ししとぎり

2009年06月09日 | 物語
これは物語ではない。

でも物語というものに関連した話。



「ししとぎり」の「しし」は「肉」から転じた言葉で、食べるために捕獲する獣のことを指します。

つまり「いのしし」や「かのしし」(鹿)ですね、

「とぎり」とは猪の足跡を見て、それがいつそこを通り、どの方角へ行ったのかを判断するもののこと、だそうです。


宮崎県の西都市(さいとし)にある銀鏡(しろみ)神社で行われる銀鏡神楽(しろみかぐら)という神事のうち、神楽三十二番の「ししとぎり」は、

女面(おんなめん)をつけた少し寂しげなお婆さんが、少し気弱なところもあるお爺さんを励まし助けるお話です。


「ししとぎり」の主役はお爺さんの面をつけた男面(おとこめん)で、その口元はすぼめた形になっています。

『うそぶく口』といわれるもので、その口から改まって発せられる声は、

神の声とされる。


このくだりを読んで僕は、はっとした。

「うそぶく口」が、「神の声」だって!?


気になってもう少し読みすすめたところ、

「うそぶく」という言葉は日常会話では、大きなことを言う、そらとぼけて言う、といったマイナスの意味でしばしば使われているけれど、

これはのちに変化したもので、

元をたどると、口をすぼめて発する神の声という意味が正しいそうだ。

それは古くから伝わる芸能の、神格化された舞のなかに、このうそぶく口の面が多いことからも伺える。

よく親しまれている「ひょっとこ面」も原型もこのうそぶきにある、ということだ。


最近、僕は思うのですが、

言葉が論理を、つまり人間のあたまの部分を超えてしまうと、

よくよくそれはウサンクサイ、妖しげな、法螺話に聞こえてきますが、

そういった「うそぶき」は、前近代世界の日本では、わりにすっと入っていける

「ものがたり」ではなかっただろうか、ということ。


「うそぶく口」が、時代が流れ流れて「嘘吹く口」になってしまった時、

僕らには「ものがたり」は届かなくなってしまったのではないか。

そんなことを思ったりしたのです。


だからといって、昔は良かったな、などというつもりはありません。

歴史を振り返れば振り返るほど、現在、それも現在の日本はとても成熟している社会だな、と感じます。

また同時に、成熟した実は落ちやすい、とも。。

僕はできる限り正直にうそぶくお爺さんになりたいと思う。

そんな気分なのです。



※実際のししとぎりの男面はこの画像のようにおどろおどろしくはないです。
もっと、温和で、どちらかというとハニワに近い。
ただ、ネットで検索してもでてこないので、仕方なくひょっとこ面で代用しました。イメージだけでも伝わるかも、と。









写真ものがたり 昭和の暮らし〈2〉山村
須藤 功
農山漁村文化協会

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マトリョーシカ 9

2009年06月07日 | 物語
こころは、僕と君のあいだにあるようなないような、そんな夜。


僕はつぶやく。


ねえ、今日のレストランの話。

…。

なんで君は僕のこと知ってたの?初めて会ったの、やまねこ出版のイベント会場じゃなかったっけ。

…。

ねえ。

それ、今、話さなきゃまずいかな。明日、タントウの作家と高尾にハイキングなの。朝、早いのよ。ゲツヨウから高尾。私運動不足だから気が重いのよ。

いや、それならいいけどさ…。

…。

…。

…。

あなた、井の頭で詩を書いて売ってたでしょ。

…。

あたし、それ見たの。

…。

…。

見た?

…。

僕を?

そう。それで立ち止まって、見てたの。

詩を?

あなたを。

僕を?

そう。

…。

…。

そんなことやってたかも。

やってたのよ。あたし、詩を買ったの。買ってあげたの。

ありがとう。

あなたは、覚えてないのよ。

うん。

詩を、買ったら、似顔絵も描くよって言って、へったくそな似顔絵つけてくれたの。

そのころ、絵も描いてたから…。

そしたら目がやたらでかくて、なんでこんな絵なのよ、って言ったら、だって、特徴掴まなくちゃ似顔絵にならない、って偉そうに言い切った。

…。

目がぐりぐりしてる、って、意味わかんないことを意味わかんない笑顔で言われた。

…。

そんでね、そん時にあたし、すごいむかついたの。

…。

なんてデリカシーない人なんだろ、この人ぜったい売れないだろうなって。

…。

でも、なんか腹にきたのよ。

腹にきた?

…。

頭にきたじゃなくて?

…。

…。

もう、ねる。

…。

おやすみ。

おやすみ。









マトリョーシカ 8

2009年06月05日 | 物語
ワインは赤と白、どっちにしようか。

僕らは入籍のお祝いに近所のリストランテで食事をすることにした。

生活は困窮していたので、(実際のところ困窮しているのは僕だけだが)ささやかなお祝いにワインだけは奮発を、ということになったのである。

もちろん、赤。

彼女は迷うことなくそう言った。

いつも思うんだけどさ、君は全然判断に時間がかからないよね。ふつうはさ、え~とどうしようかな、ってことになるじゃない。そういうの、ないよね。

感心して僕は言った。

あなたにはね迷いがありすぎるのよ。アタシはね、クリスチャンなのよ。クリスチャンっていうのは二元論でものを考えるの。赤か白か、ありかなしか。戦争か平和かってね。すぱっと割り切れないのは気分悪いのよ。昔っから。

彼女はメニューをさっと眺めながら僕の方を見ずにそう言った。

クリスチャンと、二元論は関係ないと思う。

それと戦争と平和は対義してないかもしれない。

そう思ったけど、どうせ怒られるから口には出さなかった。

そうなんだ。でも迷わないってのはいいよね。考えてみたら迷う時間なんてすごく無駄だよ。あれこれあれこれ散々考えて、結局どっちにしたって、あ~なんか違ったかもって思うもん。よくさ。

と、うまく相槌を打ったつもりが、そうでもなかった。

なに、また今日の話の続きなの?それまだ蒸し返す気?


-例によってしばし彼女のお説教を聞き流す-


…まあ、それでさ、今日倒れたじゃない、俺、そこでね、ヘンな夢を見たのよ、長いやつ。その中に君が出てきたんだよ。

すでに彼女はひとりでワインボトルを半分ほど飲み、そろそろ弱まってきたのを見計らってから、僕はそう切り出した。

へぇ、どんなだった?あたし。どうせろくでもないんでしょ。あなたの夢なんて。えろいやつ?

いや、そうじゃない。きみはね、もんしろちょうだったのよ。ひらひらってさ、まっしろいやつ。

ふーん、なにそれ、あなたも結構まともじゃない。あたしもんしろちょうって好きなのよ。じっさい近くでみると、けっこう怖いけどね。

「そうだね、君のようにね」というのはもちろん僕の心の声だ。

いやね、なかなか素敵な感じだった。すぐに君だと気づいたの俺。偉いでしょ。

しばらく何かを考えていたのか、酒がまわっているのか、ぼんやりと僕の鼻を見つめる彼女。

そして、太古の歴史を振り返るようにこう言った。

嘘よ、そんなの。あなた、あたしに気づきもしない。あたしがあなたを見つけた。そんなことも忘れたの?

(あれ、これはどういうことだろう。)

あれ?なんでそんなこと知ってるの?

知ってるから、知ってるの。


そこからこの物語は生まれた。