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親愛なる日記

僕が 日々見つめていたいもの。詩・感情の機微等。言葉は装い。音楽遊泳。時よ、止まれ!

眠たいことを言う

2005年01月15日 | ことばの避難所



フィッシュマンズを聴いていると、ふわふわと眠気に誘われるような変な気分になる。

胸の中の微かな炎に 真綿をくべて 静かに燃やしていく。

今日は朝から雨降りの土曜日だ。



わかってもいないことを わかったようなふりしてもね。こりごりだ。


「無能の人」のパンフレットを眺めていたら、ある映画監督はこう言った。


「生きていくことは恥ずかしいことだ。」と。


まったくその通りだ。


僕も恥をさらしながら醜く生きていければいいな、とそう思う。







過去の焼き直し

2005年01月14日 | ことばの避難所
輪廻…と言うほど大げさなものでもないけれど、時間の流れってぐるぐると円を描いて流れている。

デジャヴュ…ということでもないけど、現在は過去の焼き直しだとしばしば感じる。


建て直し建て直し

2005年01月04日 | ことばの避難所
粘着性のある、困った自分と向き合いながらもう、こりごりだぜだなんて、嘆いたところで、そりゃもう誰と交換できるわけでもないし、誰と交換したところでみんな大変なんだよね。つまるところ。

だから、できることはなんとかダマシダマシやっていくことと信じております。

お爺、お婆、あなた達の元気な顔を見れてよかった。

親父、お袋、理解不能なだんまり息子をあたたかく見守ってくれてありがとう。

お姉、飲み会で偶然会ってびっくりしましたよ。なんだか恥ずかしくって何も言わずに帰ってごめんなさい。

妹よ、もう成人式だね、いつのまにやら大きくなったな。棗の花の着物よく似合っていた。とても嬉しいよ。

友よ、君にはずいぶんと支えられている。というか、実際、君のありがたさはいつも身に染みている。

そして僕は貰いすぎているよ、皆やさしすぎる。涙が止まらない。まったくかたじけねえ。


そんな訳で、建て直し、建て直し。


今年の目標は、受け取ったメール、手紙はすばやくきちんと返すこと。





猫かぶりつき

2005年01月03日 | ことばの避難所
俺は猫を被っている。猫かぶり。

名前は山水。いい音が聴こえてきそうだろうがよ。

世の中は力関係に負うところが大きいから、そこそこ気をつけて立ち回ろうなんて思っちゃ駄目だぜ。

ユージン・オニールはいいことを言う。自由にはやさしさなんてない、散らかすだけ散らかしてそっと帰っていくもんだとさ。(もちろん嘘だけど。)

さらば幾許かの時間よ。また会えたらいいよね。

って? 眠たいこと言ってるんじゃねえ、ってな、そう言いたいよ。僕は。

枯れても花は花さ。咲くだけ咲いてさようなら。


ミシガン湖のほとりで拾ったこの石を投げつけてやろうかしら。そうしたら気づくの?


風邪で寝込んでる訳じゃねえんだ、手痛いって言うんだろ、そういう時はさ。

お前が何回わかった気になったところで、そいつはねお前のことを考えてない?ええ、そうでしょうよ。

にしてもだ。この停滞ったらないよな。

わかったようでいてもだ。

なあ坊や、聞いてるのかね。


頼むぜ、俺よ、日記よ、俺を見捨てて歩き出すんだよ。


すっかり年末

2004年12月28日 | ことばの避難所
今日はネットでユニコーンのベリーラストが落ちていたので久方ぶりに聴いてみた。

僕が以前書いた『開店休業』が偶然にも収まっていたので、日記に歌詞を加えてみた。

これを書いた頃、特に歌詞や歌を思い返したわけじゃないけど、聴きなおしてみると気分的な部分はやっぱりついているんだな、面白いものだ。

改めて聴いてみると、ユニコーンはビートルズの影響ってすごい受けてますよ。あ、みんな知ってるか。

『開店休業』はホワイトアルバムのブラックバードから影響を受けてる上に、名前のダラケタ空気や、歌詞から伺えるその適当さに心休まります。

朝から君が泣きじゃくってたら熱海どころじゃないけど、行っちゃおうって気になりますよね。

『開店休業』って、本当は休みじゃないけど休みと言っていいぐらい人も入ってないし、要するに天気がいいからもう、休んじゃおうかな、駄目かな、ま、いいや。てことですね。

年末はみんな休んでるから、この歌は季節はずれかもしれないな。季節的には『雪の降る町』なんかで、ああ、もう今年も終わりだなって感慨にふけるべきなんだろうけど…。

僕はまだまだやること残ってますから。いいかな、駄目かな。駄目だよな。


あらあら、本当に雪が降ってきました。

手短に

2004年12月20日 | ことばの避難所
先のことはだれにもわからない。

さまざまな期待や不安材料を胸に人は何とか生きていくしかないんじゃないかしら。

ただし、それを誰かに伝えることができるのであれば、それは幸いなことなんだね。

決定して前に進むという実存的な生き方は、とても合理的で誰にも否定はできないけれど、悩めるうちは悩んだ方がいい。

それでもいつの日か僕やあなたも決定して、前やら後ろやら、右やら左に進んでいくのだからね。

「…せねばならない」というマストな感覚に、なるたけ捕われずに生きていきたいと僕は願う。

というのは、実際のところそうしなければならない理由なんてたいしたことじゃないからなんだ。

僕等は自分に関して様々なコンプレックスや、理想を抱き、また他人もそう思っているんじゃないかという思い込みを背負って生きている。それはもちろん重要なことではあるんだけど、「こうでなくてはならない」という強迫観念でくたびれてしまうくらいなら、そんなものは捨てちゃえばいい。

あなたがニコニコ笑っていれる時間が長くなれば、それが一番いいんじゃないのかな。











衝突の深度

2004年12月13日 | ことばの避難所
この間、酔っ払って夜道を歩きながら、気づいたら唐突に大笑いをしていて、そんなことがまあ現実にあるもんなんだなと我ながらあきれてしまった。

これまでもよくよく話し合いつづけていたもう一人の自分ってやつにあきれてしまってね。

人が意識的に人と会わなくなることは、あまりいいことではないなとそう思う。

困ったな、文章が構築されなくなってきた。

いわば、自分を捕らえるために書き始めたが、いよいよ難しいなあ。

なにか、のっぴきならないことを書き逃してはいまいか。

もしくはすでにして大きな誤りをしているのでは。

欲望とは一つの消失点に向かって走り出す孤独ではない。まるで君に向かって語りだすことが間違っているかのように感じる、その欺瞞との衝突なわけだ。

さらり展開をした酒を浴びる饗宴にて、一度殺した自分を再演する。

幾度とない停滞よさらば。










追われてます。。

2004年11月11日 | ことばの避難所
いやー、今までおよそ学生らしからぬ生活が続いてきたせいかしらんけど、なんか追われてる。卒論に。

彼女に話すと、まあみんなそういうもんだよ。と一蹴され、まあそうなんだろうけど、と思いながらもしぶしぶ机に向かう日々。

家に帰ると洗濯物をたたんだり、夕食のおかずをつくったり、(飯はおにぎりを買ってきたのだ)散々現実逃避をしてみたけど、それってかなり自ら首を締める行為だよな。

とかいいながら日記なんか書いちまったぜ。

がおー、がんばるぞ。

再びジョゼ

2004年11月08日 | ことばの避難所
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なんだかんだ言いながら再びジョゼを観ました。

この映画を観て沸いてくるわだかまりって何か知りたかったし、単純にまた観たいと思えたので。

前回あんだけくだまいておいてなんですが、この映画支持します。

というのもこの映画、すごく断片的で登場人物の心理描写が少なくわかりづらいところはありますが、そこを自分なりに補って観てみると一つ一つが結構理解できるからなんですね。

ただ、この映画のジョゼって理想化され過ぎてて残念なのです。もっとわがままで面倒くさくてずるいでしょ、実際は…と、うがった見方をしてしまいます。

ただ、これは男の回想話なのでしょうがないんですがね。。

好きだというのは困難でしょうか。

2004年10月27日 | ことばの避難所
例えばこの曲が好きだとか、あの台詞が好きだとか、いい易い好きって結構ありますよね。

でも、こと男女関係のこととなるとなかなかそうもいきません。

軽はずみに好きだとかいったら大変な事になるんじゃないか、いやいや、本当に僕は(私は)あの人が好きなのだろうか、など、さまざまな疑問が沸きます。

本当に好き、って不思議な言葉ですよね。

好きと本当に好きってどう違うんでしょうかね。

好きだけど本当の意味では好きじゃないってこともあるのでしょうか。

とかいいつつ、僕は本当の意味ではー好きと本当に好きーの違いを知っており、実際に使い分けています。


☆人が気軽に好きだという時、それは単なるカテゴライズにしか過ぎません。

それは好きな領域にある、という自己了解です。

☆人が本当に好きだという時、それは自己の領域を超えています。

自分がその人を(もしくはその他もろもろを)好きだという自己了解の枠組みだけでは超えられない切実な状況にあるのです。

そこでふと気付くのです。

もし、自己了解の枠組みの中で巧妙に感情をしまっていける人がいたとすれば、その人は本当に好きだとはなかなか言えないなあ、と。

感情のオトシドコロや、自分のエゴイズムを理由にキレイに感情を整理していって、みんな好きだよ、ある程度はねなんて言えてしまうのです。

たぶん、その人ははたから見れば不器用で、しかし、自己の枠組みをきちんと持っている人なんでしょう。

その一方でそこはかとない虚無感を抱え…

「未完」







いやまあ初めまして。。

2004年09月28日 | ことばの避難所
初めまして。

こんな日記を公開したところで誰が見るんだろうと、思いながらも。

表現欲求を抑えることができず、書き出し。

私の名前はボヤ。

日記なのでこれ以上自己紹介はしない。

できれば、こういう日記でも書きながら自分の思考がまとまっていけばいいなあと考えている。


つまり、書き流しだ。


社会学的に考えていくと、物事がすごおくわかりやすくなって、その結果自分という生き物が逆にすごおく不合理に思えてきたとするね。

それは、一体なんになるんだろう。と、ふと思う。

人間集団全般や社会の行動そのものに理解が示せるが、自分の行動に自信をもてないとしたら?

君のあの行為はああいう理由からだろう。

と、すぐに君は因果関係を簡単に解明してくれる。

その80パーセントは当たっていて、20パーセントは違う。と、自分では思ってしまう。僕は見苦しく言い訳をする。

僕は自分の性欲や道徳心や愛や嫉妬心や孤独や優しさで動くのか。

…まあ、そうかもしれないな。


あなたは自分の感情をすぐ言葉に置き換えてしまうね。

そして、メリハリのついた生き方ができると、そう信じている。

べつに説明なんてそこまで深刻に求められちゃないのさ。それなのに君はさ。


いや、いたって僕は元気だよ。

だけど少し疲れているかもしれない。

そんな狭間の感情がいつだって頭から離れない。

秋が深くなっていくにつれて、深夜眠れなくなるにつけて、何か話さなくちゃいけない気がするんだよ。

でも僕は案の定混乱していて、言葉は軸がずれていく。


僕は恋愛について語っている。

そうしてみればこの言葉は行き場を失っているのだ。

ああ、ひどい独りごち。