親愛なる日記

僕が 日々見つめていたいもの。詩・感情の機微等。言葉は装い。音楽遊泳。時よ、止まれ!

新聞を読む人

2008年10月30日 | ことばの森
世界は、長い長い物語に似ていた。物語には、主人公がいた。

困難があり、悲しみがあった。

胸つぶれる思いもした。

途方もない空想を、笑うこともできた。

それから、大団円があり、結末があった。

大事なのは、上手に物語ることだった。

何も変わらないだろうし、すべては過ぎてゆく。物語はそうだったのだ。


今日わたしたちは、誰にも似ていない。

わたしたちの声は、声のようでない。

日々の事実が、日々の真実のようでない。

豊かさが、わたしたちの豊かさのようでない。

わたしたちは、わたしたちのようでない。

喋る。とめどなく。わたしたちはそれだけだ。

わたしたちの不幸は、不幸のようでない。

死さえ、わたしたちの死のようでない。


マザーグースの曲がった歌のように、曲がった人間が、曲がった道を百年歩き、

曲がった石段で、曲がった時間を見つけた。

曲がった猫は、曲がった鼠を追いかける。

曲がった時代は、曲がった歴史を追いかける。

曲がった一つ屋根の下、そうして、曲がったみんなで一緒に、曲がった世紀を、

曲がって暮らしてきたのだ。


怖くなるくらい、いまは誰も孤独だと思う。

新聞を読んでいる人が、すっと、目を上げた。

言葉を探しているのだ。目が語っていた。

言葉を探しているのだ。手が語っていた。

ことばを、誰もが探しているのだ。

ことばが、読みたいのだ。

ことばというのは、本当は、勇気のことだ。

人生といえるものを  じぶんから愛せるだけの。






                    長田弘『一日の終わりの詩集』より







予兆

2008年10月30日 | うたかたの日々
すべての予兆、その恣意性の前にうずくまる。猫のように。丸くなって。

突然眠れなくなり、どうしてかわからないが昔殴った男のことを思う。

若く非力なその男のことを思う。

今、思えば彼の敵意は僕そのものよりも、彼の外部そのものにあったのではないだろうか。突然、そんなことを考える。


僕の記憶という名の海に浮かぶ島たち。

2008年10月29日 | うたかたの日々
さて今宵、月はその輝きを伏せ、静かに時が過ぎ行くのを待っている。

あるはずの思い出を掻き消し、迷いを頭の隅から追いやりつつも。


書かねばならぬことを書かずにいる。

誰をはばかる訳でもないが…、書けない理由があるのだ、それなりに。


だからこうして代用品の言葉で埋める。

さりとて、さりとて。





眠り

2008年10月27日 | 物語
できるだけ、静かに生きていきたい。

眠りこけた山をさくさくと登っていく、その山道をよく思い浮かべる。

あたりは真っ暗。懐中電灯の小さな光が闇に小さな穴をあけ、その穴に一歩一歩足を踏み入れていく。そのようにして前に進んでいくのだ。

しだいに空が白み始め、薄く青いシーツのような世界が生まれる。

懐中電灯も消し、その青い世界をさくさくと登っていく。

心臓の打つ音が聞こえる。

木の葉が触れあう音が、もう怖くない。

そう広くない頂上に出たとき、眼下の町はまだ眠っている。

あの町の中に、僕の知った人も何人かいて、彼らもきっと眠っているだろう。

そう思うとき、誰かの眠りを想像するとき、心安らぐ。

出来る限り深く眠っていて欲しい。





月のせい

2008年10月26日 | ことばの避難所
月の力が弱まっている。

こういう時期は気分的にダウなーに入りやすいのか、テンションがいまいちあがらない。何をやってももう一人の自分が茶々をいれる、そんな一人芝居。

女の子と同じように月に一度くらい何だか妙にいらいらしてしまい、肉が食べたくなる。肉は嘘。でもやっぱり月の満ち欠けに左右されている気がしてならない。人間だもの。平等に影響される、そう僕は思うな。うん。


で、そういう時はどうするかというと、出来る限りひっそりとすることにする。

あまり特別なことをしない。人ともできる限り会わない。部屋の掃除をしたり、鉛筆を削ったり、お風呂にゆっくり入ったり、音楽を聴いたり、映画を観たり。そうして夜はなるべく早く寝るのがよかろう、と思う。(そういつもいつもうまくいかないけれど)






クレムリン・ダスク-日本の歌姫-

2008年10月22日 | 男と女

『Kremlin Dusk』

ずっと自分のレノーアを探していた

エドガー・アラン・ポーの言葉を引用するならば

今の私は酔いも覚めて、”Nevermore”

大鴉が私を悩ませに家にやって来ることはないだろう

あなたを呼んでいる、あなたの帰るべき場所へと

あなた… あなたを呼んでいる、帰るべき場所へ


ドアの横であなたは言った、行かなければならないと

私をこれ以上助けることはできないと

この日が来ることを予期していた、ずっと以前から

だから私は窓の外をずっと眺め続けた

あなたを呼んでいる、あなたの帰るべき場所へと呼んでいる

あなた… あなたを呼んでいる、帰るべき場所へと


私は未来のエンターテイナー、誰だってそれは同じ

燻る燃えかすを握りしめて

誰か電話する人を思い起こそうとしているだけ

誰なら頼れるのか

帰るべき場所が… あなたを呼んでいる、あなたを呼んでいる

わたしは秘密のプロパガンダ活動を指揮している

誰もが壊れた怒りのかけらを隠し持っているはず

誰か電話できる人を思い起こそうとしているだけ

頼ってもいい?


相対するものが惹かれあう諍いの中で生まれた

これは自然の摂理? それとも違う?

逆の方向から両腕を引っ張られて

これはモダニスト的な反応?それとも違う?


こういうもの?

いつも同じ?

心の痛みはこうして始まるの?

あなたはこれが好き?

いつも同じ?

あなたはまた戻ってきてくれる?

あなたはこれが好き?

いつも同じ?

あなたはまた戻ってきてくれる?

あなたはこれが好き?

あなたはこれが好き?


こういうもの?

いつも同じなの?

電話番号を変える時は、私に教えてくれる?

こういうもの?

いつも同じなの?

心の痛みはこうして始まるの?

あなたがこれを好きなら

私の名前を覚えていてくれる?

もし好きなら、

もう一度聴いてくれる?


注:以上、日本語訳 引用させていただきました。



All along I was searching for my Lenore
In the words of Mr. Edgar Allan Poe
Now I'm sober and "Nevermore"
Will the Raven come to bother me at home

Calling you, calling you home
You... calling you, calling you home

By the door you said you had to go
Couldn't help me anymore
This I saw coming, long before
So I kept on staring out the window

Calling you, calling you home
You... calling you, calling you home

I am a natural entertainer, aren't we all
Holding pieces of dying ember
I'm just trying to remember who I can call
Who can I call

Home... calling you, calling you

I run a secret propaganda
Aren't we all hiding pieces of broken anger
I'm just trying to remember who I can call
Can I call

*Born in a war of opposite attraction
It isn't, or is it a natural conception
Torn by the arms in opposite direction
It isn't or is it a Modernist reaction

*Born in a war of opposite attraction
It isn't, or is it a natural conception
Torn by the arms in opposite direction
It isn't or is it a Modernist reaction

Is it like this
Is it always the same
When a heartache begins, is it like this

Do you like this
Is it always the same
Will you come back again
Do you like this

Is it always the same
Will come back again
Do you like this
Do you like this

Is it like this
Is it always the same
If you change your phone number, will you tell me

Is it like this
Is it always the same
When a heartache begins, is it like this

If you like this
Will you remember my name
Will you play it again, if you like this

-以上、歌詞引用させていただきました。

何度聴いても素晴らしい。

この歌は本人の歌なのかしら。

同じ月を見ている

2008年10月13日 | 男と女
今日は十三夜。月が満ちるまであともう少し。

このくらいの月は味わいがあって、空気が澄んでるせいもあって綺麗。

月を眺めるのって好き。

月にはどこか不思議な力が宿っているように思う。だってあれは夜を照らす太陽の忘れ物。


光。


むかし、あれは鹿児島付近の海上で。甲板に立ち、僕は月を眺めながらある女の子と電話で話した。


雲のない、今日みたいな月が潮風にひらひら揺れている。いや、僕が揺れている。

その子も、僕も遠く、遠く離れながら、同じ月を見ていた。

彼女は家の窓の淵に座り、僕は舟に揺られて。

そんな状況がその時の僕らも僕らなりに恥ずかしくって、お互い(たぶん)顔を赤らめながら話していたなあ。



そんな僕の薄っすらとした記憶も風に吹かれて、舞う。



そういえば、昔はよく恋を肴に酒を飲んだもんだ。

話はいつも同じところをぐるぐると回りながら、宛先のない話を。

さて今宵、この同じ月を誰に話したらよいのか。

思案するも妙案はなく、日記に記して終わる。



それにしても月はいい。


そして、今日もまた、言葉はある地点を避けてめぐる。


都会の森

2008年10月08日 | 音の景色
単にジャケットを眺めていたいから日記にしてみた。と、言ったら怒られるかもしれないけど。

この季節、ジェリー・マリガンってぐっとくるなあ。

これを聴くと、眠れなかった大学の寮生活を思い出す。

ベランダから見下ろした中庭に光る外灯をただただ眺めていた。

そんな夜のテーマ曲。

感傷的過ぎるか。ま、いいよね、若かったんだから。


音楽と記憶の関係って不思議なもので、僕なんて大抵のことは忘れてしまうけれど、音楽に絡んだ記憶はいつまでも覚えている。



つぶやき

2008年10月08日 | ことばの避難所
ひょんなことから、ひょんな出会いというものもあるものだ。

と、いうより、人間には不思議な磁力というものが備わっているのかもしれない。

アンテナを張ったとたん、パチパチと波長を捉えて人と人は繋がっていくのだ。

そういう偶然が好きだし、いつでもそうして偶然に任せた出会いを受け入れていきたい。



マシュマロと朝霧の夜 後編

2008年10月05日 | 出来事
気の知れた仲間と共に歩く山道は、ひとりぼっちの時とはまるで違った景色に見える。

なんだか人に優しくなれる。すれ違う人に、よ!と声をかけたくなる。


メインステージの門を潜り、まずそのテントの多さに驚くことに。

すり鉢状のステージの淵からずらり、というか、びっしりとテント、テント、テント。難民キャンプがこんなところに!でも、昔テレビで見た難民キャンプはもっとゆとりがあったけどな。とにかく多いよ。

ムーンステージで免疫がついたので、もう今さら人々の好き勝手さには驚かない。奇声をあげる人、イヌと戯れる人、大道芸人のような格好をしたもの達。

そんな輩に混じってまずはbonobosの「グレープフルーツムーン」でゆらゆら。素敵過ぎる。そして数曲を措いて「Hover Hover」。

掲載した写真をよく見ると小さなグレープフルーツが見えると思う。

そんな月と今宵、ゆられる。野外って、こういうとこがいいよね。偶然の演出。


夜もすっかりふけてゆき、DE DE MOUSEが待つムーンステージに移動。

オリエンタルなダンスミュージックに酔いしれ、たまらず踊る。


さすがに疲労を感じて、本日オオトリSkatalitesを待ちつつ椅子にどっかり座り込む。

まあ、これを読む皆さん、スカタライツっていっても、誰それ?って感じかもしれませんが、もうっ!彼らこそが本物の、ナンバーワンskaバンドな訳ですよ。

なぜって?

自分で言ってたもの。ステージで。もう何歳よっていうお爺ちゃんがだよ。

いや、もう。降参です。

どんだけ踊らされたことでしょうか。

どの曲も、ほとんど違いがないようなskaのリズムに、そのトランペットが鳴り出すそのたびに、もうまさに新発見とばかり食いつき、腰をゆらしてしまうんですもの。

もう勘弁して下さい~、というくらい踊らされてへろへろになりながらヒッピー達の巣窟へ。


で、驚いたことに、ヒッピー達は揚げ物やってます。

クリームコロッケ、イカリングに、揚げたこ焼き。野外でまさか揚げ物が食べられるとは思ってもなかった。でも、考えてみれば準備さえしておけば簡単なんだよね。と感心する。

もう一体誰なのかわからん人だらけのヒッピー村の中で、シチューやら、うどんやら、ピザをいただく。

ちなみに、ピザは生地からもちろん練ってあるものをダッチオーブンで豪快に焼く。バジルタップりなやつやら、モッツァレラにトマト、なに物なんだろうこの人達、どれも感動的にうまいぞ。(ただし、シチューだけは酸っぱくて何か変だなと思っていたらどうやら酔っ払いすぎてだれかがヨーグルトを大量にぶち込んでしまったらしい、やれやれ)


で、腹も落ち着いてきてぱちぱちと燃える炎を眺めながらほっとワイン。

できすぎた深夜のデザートには、マシュマロを串に差して炭火でやんわりと焼いて食べた。


もう、これがこの世のものとは思えないほど旨い。


焼きマシュマロって、噂には聴いていたけど…。この感動って、例えると、ちょっとあれだけど、初めてのあれに似ている気がしました。

ふわふわとやわらかいマシュマロが口の中を撫でるように消えていく。

なんだかとてもエロティックな甘さが、追いかけることもかなわず逃げてゆく。

このマシュマロを知ってしまった後と、知る前では少しだけ景色が違ってみえる。

そんな一種の幻想的な甘美。

なんだか少し照れくさい。


その後、ヒッピーの一人に、焼きマシュマロの上手な食べ方-2級クラス-を教えてもらい、僕らマシュマロチェリーボーイズは串を持つ手をプルプルさせながら更なる甘美に堕ちていく、


そんな朝霧は午前3時。











マシュマロと朝霧の夜 前編

2008年10月05日 | 出来事
まず、お断りしておきますと、私、愛車のボロベスパで単独朝霧に向かいました。

一つには、その日同行する姉夫婦の車は旦那が仕事の為出発が遅いという理由。

二つには、僕の足はやっぱりこいつ、というコダワリ。

三つには、バイクの方が早いさ、という思い込み。


この三つめの理由が悪いのか、出発してから一時間、もうそろそろツーリング向きな大自然にさしかかったなという下り坂、後輪がなにやらぐらぐら揺れている…。


まあ、僕もこの愛すべきバイクにかれこれ8年以上乗っているから経験もあるし、知ってるよ。パンクだ、このぐらんぐらんはパンクだよっ。


で、その通りパンクしていた訳です。山の中。

幸いなことに近くにあった蕎麦屋の主人にジャッキを借りることができ、交換作業を開始する。

姉からは、一足先にミクシー繋がりの友達の車で現地に着いたという報告が入る。

(この瞬間に俺のバイク=早いという図式が崩れた)

油にまみれ作業する僕。

こういう時にレオビンチのマフラーを付けている事につくづく後悔する。というのもマフラーを外さないと後輪が外れない仕組みになっているのだ。

面倒だよ、本当に!とか悪態とつきつつなんとかかんとか交換を終え、さわやかに蕎麦屋の主人に礼をいい、カレーを食べ、山菜の煮物を食べ、目的地へとひた走る。


絶景と言っていいと思う。八ヶ岳連峰を背景に広がる豊かな田園。素晴らしい、ビューリホー!そして、頼むぜ、俺の後輪。

で、着きました朝霧。

あの、象徴的なほど一直線に上る坂を越えた先。

駐車場管理のおねーちゃんとやいのやいの言いながら-本当にこの朝霧は関係者がみんな若いね-


まずは、、、、、、電話だ。(なんか前も書いたな)


しかし、何度かけても圏外…。

ま、そのうちかかってくるさ、とにかく前に進もう。

キャンプサイト付近に到着。

でも、場所なんかわかるはずもなし、右往左往すること5分。


諦めよう。


こういう時にやきもきしてはいけない。さっさと見切りをつけ、まずは場を楽しんでみるにこしたことはない。

僕は音楽を聴きにきたのさっ!右往左往する為に来たのではない。

そして一人、重たい5人用テントを抱えてmoonステージへ。

瓦礫だらけの細い坂道を下ると、突然視界が開ける。





ほわ!これが世に聞くフェスの会場か。

広大な芝生にびっしりと色とりどりの若者が溢れて、好き勝手やっている。なわとびする人、踊る人、酔っ払う人、眠る人、そして僕のように一人でとまどっている人。

ティム・バートン監督の『BIG FISH』という映画のなかで、ユアン・マクレガー演じる父が故郷から旅立ち、危険な森を彷徨った末たどりついた不思議な町のように、その光景は僕の前に突然現れた。

どうしよう、最近こんなにたくさんの若者たちのいるところに近寄ってなかったせいかな、すごく所在ないなあ。

とか思いながらも、かけつけ3杯のBeerにやっと正気に戻って、ゆらりゆらりと踊りはじめる。

初めのうちは荷物から離れていいものだろうか迷っていたけれど、そのうちそれもまどろっこしくなってステージ最前線で踊って、踊りつかれてステージ前の群集から離れた瞬間、

「☆*-&%$☆!!!!!!!!」と、奇声をあげて大きな猫が獲物を狙うような華麗なジャンプで僕につかみ掛かる人あり。

それが私の義理の兄であり、僕の姉の旦那。(ごめんなさい、必死の捜索の間、僕はビールをかっくらって踊ってました。でも、感動の再開の時、「良かったあ、これで寝られる」っておっしゃったのは、僕じゃなくテントを探していたんですね

そんな訳で無事収監された僕は、姉の仲間達が設営したテントへ向かう。






まず、その設備に驚く。

L字に配した調理用テーブルの上には二台のガスレンジ、ずらりと調理用具。中央には最新式のキャプテンスタッグ。取り囲むゆったり椅子多数。地面には業務用の大きなガス台がさらに一基。極めつけのダッチオーブン。なんじゃあ、こりゃ!

脇を見ると三脚ブランコ、背景には大きなタープ、もちろんテント横にはお決まりのハンモック。

どんな、ヒッピーなんだろう、この充実ぶり。

そんな僕の驚きもそこそこに、とにかく待望のテントを張らなくっちゃ。

で、無事テントも張れて、いよいよ皆でメインステージへ向かうことに…。


これ、全部書くの大変だなあ…

ある物語の結末

2008年10月03日 | ことばの避難所
さらば、

なぜも男と女は こうも 

無意味な

別れを

繰り返さなくては ならないのか 

君が 男なら

別段なんということも ないはずなのに。


律儀に規則を守り、お別れを言わなくてはならないのは

恐らく文化的習慣に過ぎない。

文化的儀礼といってもいい。

卒業式や始業式みたいなものだ。

ここからが始まりで、ここからが終わりと、いう線引き。

人はその線引きをつけ、自らのテリトリーも守り、生きていく。

そうして、僕らは歩き出す。

お互いに それでいいと思う方向へ。

どちらも振り返らない。

お互いに それでいいと思う方向へ。





Iron Man

2008年10月03日 | 音の景色



映画のアイアンマンのことじゃあない。

『The Cardigans』のIron Man。

僕はこの曲が昔から好きで、もう何度も、何度も聴き続けている。

音の始まりからひっぱるようなドラムの音、腰ぬけになる。

カーディガンズの-僕にとっての-魅力はここに詰まっている。

そして、この曲を聴く度にやはり哀しい哀しい気持ちになる。