世界は、長い長い物語に似ていた。物語には、主人公がいた。
困難があり、悲しみがあった。
胸つぶれる思いもした。
途方もない空想を、笑うこともできた。
それから、大団円があり、結末があった。
大事なのは、上手に物語ることだった。
何も変わらないだろうし、すべては過ぎてゆく。物語はそうだったのだ。
今日わたしたちは、誰にも似ていない。
わたしたちの声は、声のようでない。
日々の事実が、日々の真実のようでない。
豊かさが、わたしたちの豊かさのようでない。
わたしたちは、わたしたちのようでない。
喋る。とめどなく。わたしたちはそれだけだ。
わたしたちの不幸は、不幸のようでない。
死さえ、わたしたちの死のようでない。
マザーグースの曲がった歌のように、曲がった人間が、曲がった道を百年歩き、
曲がった石段で、曲がった時間を見つけた。
曲がった猫は、曲がった鼠を追いかける。
曲がった時代は、曲がった歴史を追いかける。
曲がった一つ屋根の下、そうして、曲がったみんなで一緒に、曲がった世紀を、
曲がって暮らしてきたのだ。
怖くなるくらい、いまは誰も孤独だと思う。
新聞を読んでいる人が、すっと、目を上げた。
言葉を探しているのだ。目が語っていた。
言葉を探しているのだ。手が語っていた。
ことばを、誰もが探しているのだ。
ことばが、読みたいのだ。
ことばというのは、本当は、勇気のことだ。
人生といえるものを じぶんから愛せるだけの。
長田弘『一日の終わりの詩集』より
困難があり、悲しみがあった。
胸つぶれる思いもした。
途方もない空想を、笑うこともできた。
それから、大団円があり、結末があった。
大事なのは、上手に物語ることだった。
何も変わらないだろうし、すべては過ぎてゆく。物語はそうだったのだ。
今日わたしたちは、誰にも似ていない。
わたしたちの声は、声のようでない。
日々の事実が、日々の真実のようでない。
豊かさが、わたしたちの豊かさのようでない。
わたしたちは、わたしたちのようでない。
喋る。とめどなく。わたしたちはそれだけだ。
わたしたちの不幸は、不幸のようでない。
死さえ、わたしたちの死のようでない。
マザーグースの曲がった歌のように、曲がった人間が、曲がった道を百年歩き、
曲がった石段で、曲がった時間を見つけた。
曲がった猫は、曲がった鼠を追いかける。
曲がった時代は、曲がった歴史を追いかける。
曲がった一つ屋根の下、そうして、曲がったみんなで一緒に、曲がった世紀を、
曲がって暮らしてきたのだ。
怖くなるくらい、いまは誰も孤独だと思う。
新聞を読んでいる人が、すっと、目を上げた。
言葉を探しているのだ。目が語っていた。
言葉を探しているのだ。手が語っていた。
ことばを、誰もが探しているのだ。
ことばが、読みたいのだ。
ことばというのは、本当は、勇気のことだ。
人生といえるものを じぶんから愛せるだけの。
長田弘『一日の終わりの詩集』より