中央町誌 第1章 考古資料(原始・古代・中世) 38 天神山城跡 「築城主体には当該地を中心に覇権を握っていた武士と考えられ」また、第3章 中世 「領民のために用意された避難所・・・」の記述について気になっています。
たとえば僕の祖先は領民だったのか等。
古老による口伝・伝聞から、この天神山城跡尾根東峪対面の山頂に砦があったといいます。
行ってみたところ比較的平坦な場所はあったものの造成された曲輪の確認は出来ませんでした。
(あったとすれば木杭を打ち縄を張ったような避難所として籠った場所が想像できます)
また、細田城跡の北西近くにも砦があったといいます。
そうであったのなら、後の二つの築城(天神山・細田城)時に、移動したとも思われるのです。
岡山県中世城館跡総合調査報告書 第Ⅲ冊 美作編
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/a4/5252711531b06e586c239a9da3a78907.jpg)
Ⅰ 主郭 Ⅱ 曲輪(外枡形虎口) Ⅲ L字帯曲輪 Ⅳ・Ⅴ・Ⅵ 曲輪 Ⅶ 曲輪(桝形虎口)
※ 城と砦の区分は上記調査報告書に書かれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/0d/07f993830d6b09688e31639a79de7b60.jpg)
Ⅰ 主郭 Ⅱ 曲輪(外枡形虎口) Ⅲ・Ⅳ・Ⅴ 曲輪