吉川氏について調べ次の事がわかりました。
① 天正7年、毛利氏美作国へ出発 『陰徳太平記』
毛利輝元・吉川元春・吉川元長・吉川経信・小早川隆景
② 岩尾城・神楽尾城・荒神山城などの軍記 『陰徳太平記』
③ 吉川氏は美作入国時、吉川経信(つねのぶ)と名乗り、後に廣
家と改名し蔵人廣家を名乗った。
④ 吉川廣家は左衛門尉を名乗ったことはない。 『吉川資料館』
⑤ 吉川経信(廣家)には当時家臣がいた。
『織豊大名の研究4 吉川広家 -吉川広家をめぐる三つの転機 P8 光成準治』
⑥ 天神山城跡縄張において虎口の特徴は織豊時代である。
『岡山県中世城館跡総合調査報告書 第Ⅲ美作編』
⑦ 吉川経信(廣家)が某(『新鳥取県史』は彦右衛門)に送った書状がある。
『同上史料 一次史料一覧表 表番号158 P485』
⑧ 打穴の地の口伝による次のキーワードを得た。
「毛利の吉川氏(名まではわからない)」
「来た」、「帰った」
以上①から⑧により吉川蔵人廣家と整合性がある。
表Ⅱ 略年表
① 天正7年、毛利氏美作国へ出発 『陰徳太平記』
毛利輝元・吉川元春・吉川元長・吉川経信・小早川隆景
② 岩尾城・神楽尾城・荒神山城などの軍記 『陰徳太平記』
③ 吉川氏は美作入国時、吉川経信(つねのぶ)と名乗り、後に廣
家と改名し蔵人廣家を名乗った。
④ 吉川廣家は左衛門尉を名乗ったことはない。 『吉川資料館』
⑤ 吉川経信(廣家)には当時家臣がいた。
『織豊大名の研究4 吉川広家 -吉川広家をめぐる三つの転機 P8 光成準治』
⑥ 天神山城跡縄張において虎口の特徴は織豊時代である。
『岡山県中世城館跡総合調査報告書 第Ⅲ美作編』
⑦ 吉川経信(廣家)が某(『新鳥取県史』は彦右衛門)に送った書状がある。
『同上史料 一次史料一覧表 表番号158 P485』
⑧ 打穴の地の口伝による次のキーワードを得た。
「毛利の吉川氏(名まではわからない)」
「来た」、「帰った」
以上①から⑧により吉川蔵人廣家と整合性がある。
表Ⅱ 略年表