スクリーンに恋をして&ライヴレポ

エレカシファンです。しばらく更新できず、すみません。

夢チカ エレファントカシマシ 宮本

2008年03月20日 01時33分11秒 | Weblog
今回、正確な文字おこしはできませんでした。

ラジオではなく映像ですので、
どこかにUPされるかもしれませんしね~。

みやじ特有の、あの微妙なニュアンスが伝わらないと
思いますが…

「夢チカ」の雰囲気だけでも、どうぞ~(^-^)




インタビュー撮影場所は「バンザイ・アタック」


私は行った事はありませんが、

築40年以上の旅館を改装し、

レトロな内装を生かした一軒家の個性派居酒屋。


1階はホール。

2階は、NYのアートや手描きの浮世絵をあしらった個室4室があるらしい。

たぶん、この2階個室を貸しきって撮影されたのでは?

と思ったのですが、どうかな…?

「手描きの浮世絵」ていうあたりが何かツボですねえ~



みやじは黒シャツ、静電気もなく、つやつやさらさらヘア。

四角い木目のテーブルに、椅子にかけたみやじ一人だけが

撮影用スポットライトに映し出され、

インタビュアーは映らずに

質問は画面隅にテロップで出るだけ。

完全独白型のロングインタビューでした。


ちょうどレトロな店内装と合い、

画面的にはミュージシャンらしい雰囲気が

かもし出されていて、良い絵ズラだったかも。

それでは、以下はインタビューを要約した文章です。

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「北海道の印象」(質問はテロップで一行、画面隅)


宮本

「ある時、ギターの石君と街を散歩していたら

札幌の大通りの所でですね、ものすごい集団、

それも、思い思いの格好をした集団が、元気に練り歩いているんです。

その集団の中を横切るのも大変だったのですけど、横切った。

みんな写真撮っていて、そこを横切っちゃったんですけど。

思い思いの衣装を着て、踊りながら歩いてくるパレードってのは

札幌にありますか?」

(それが『よさこいソーラン祭り』だという事は、

どさんこなら、ほとんどが知っているので

この答えはテロップでも表示されないまま

札幌大通公園で撮影された

「風に吹かれて」のPV映像が流れる。)



宮本

「職業柄、コンサートやら風に吹かれてPVとか、

頻度は年に一度くらい札幌に来ている。

北海道は、お客さんが歓迎ムードいっぱいの、

何かまず「ようこそ」といった、コンサートの

リアクションがストレートで、元気な印象がある。



(ここで「ライジングサン」でのライヴ映像の一部が流れる)


「ライジングサンロックフェス」(質問テロップ)


宮本

「なぜか、みんな待っててくれたような印象で

はりきって「風に吹かれて」やら「今宵の月のように」やらを

熱唱した記憶が新しいです。本当に素晴らしかった。

テントがあるステージで、お客さんがいっぱい入ってて…。


あの時は蔦谷好位置くんが一緒にやって、

彼、札幌出身ではりきって参加してやってくれて。

楽しいステージでした。素晴らしいステージでした。

ぜひ(次は)広い所でやりたい、頑張って、めざしたい。

そんな気持ちにさせる、素晴らしいイベントですね。」


(ここで「悲しみの果て」のPV)




「音楽の世界へ…」(質問テロップ)


宮本

「私は、決断が苦手な男です。

自分がどういう風になるのか…。

大学は行ってたんですが、就職はするもんだと思っていました。

でも中学から高校にかけて、メンバー達と週2くらい

必ずリハーサルをやっていた。

僕は埼玉の大学に行っていて、就職するものだと…。

父親も社員だから…でもコンテストを勝ち抜いていって

優勝する…そうすうと直接ライヴにレコード会社の人が

きてくれるようになり…未だに自分で決断をしておりません。

流れのままに、何か、石橋をたたいていくのかな?と思うと

戻っていくという、暮らしを、未だにしておりまして…。

自分で決断できない…

でも、コンテストに出ているということは

プロになって、やっていくという

何か、自分の中にあったのかもしれませんね…」


(ここで「俺達の明日」のPV)



「俺達の明日」(質問テロップ)



宮本
「自分の話で恐縮ですが、家で「俺達の明日」の

CDを入れて自分で聴いて泣けました…。

良い曲出来たって…それで、

大学時代の友達に知らせようと電話したら

携帯番号が変わってて、連絡取れなくなってて…。

もう、20歳くらいの時から

「俺たちやるぞ!」みたいな話をしていて

それから20年たって、いろいろ…

みんな管理職や係長になってたりとか

結婚して子供が…もちろんいますよね、40代ですから…

20歳の時の、何か未来を望んでいる時代の

あの歌が出来たという事は…

自分自身もあの歌に影響された部分も多いですね。



現在の41才のエレカシの立ち位置、現在、過去、未来の…

そして同世代のみんなとか…

みんな頑張っているという事に気付きにくいんですよね。

アルバムの「スターティングオーバー」は

仕切りなおしの中で、振り返ったりとか

未来…自分達が、今そういうポジションに

自然に立っていた…という気持ちが、大きいような気がしますね。」



「唄」(質問テロップ)


宮本

「基本的には、高らかに歌を唄いたい。

自分にあったメロディーや歌詞。

自分にあった声や、自分にあってる歌詞…

『輝きを求めていこう、悲しいときは泣こう』みたいな、

自分の答えをいつも求めて…。


あるラジオ番組で、自分達のバンドの歴史を振り返る…

20年の足跡みたいなものを聴く機会があって、

その時、唄い方、声質、発声の仕方も

変わってきているなと。

今の自分にあった方法で、声を作っていく…

アレンジや声の工夫をしないと、

優れたものが出来ないと、勉強しました。」


(ここで「桜の花、舞い上がる道を」PV)



「ライブ」(質問テロップ)


宮本

「曲を唄っていて、生き生きと会場に響き渡る時がある。

お客さんもたくさんいて、一対一でやっているわけではないが

不思議な一致点がある時がある。

みんながわ~~って言ってるからだけじゃなく

何か不思議な一致点…。

これはお風呂場で僕が一人で歌っていても何もおきない。

コンサート会場で信じられない高みにあがるときがある。

お客さんとの一致する瞬間をつくりあげたい、

うまくいく時も、うまくいかない時もありますね。」


「夢」(質問テロップ)

宮本
「本当に、どうなっちゃうかわからない、生きていると…。

基本的には、歌手ですから、僕は歌手でいたい。

ずっと…一日でも長く、歌手でいたい、唄い続けたいです。」



以上、ざっとですが、それほど立ち上がる事もなく

(身振り手振り、表情はいつもどおりですが)

落ち着いて、真剣に話せた、

良いインタビューだったのではないかなあ?と思いました。










タワレコピヴォ札幌店では、プチエレカシコーナーが設置されていました♪