写真は順番⑦
文章は①~⑨まで全て同じです。
⑦に説明があります。
奈良信貴山 朝護孫子寺
柴燈護摩供(さいとうごまく)野外火渡り大祈願会
11月3日、火渡りが行われた。
温度も高くなり過ぎないように工夫されている為に、一般の方も焚き火上を祈念しながら裸足で歩き渡ることができる。
信貴山の朝護孫子寺も含めて 多くの密教寺院の大祭などで行われる『柴燈護摩(さいとうごま)』は、修験道最大の行法のひとつといってもよい。
こんもりと覆い茂った木々の中、屋外で修される護摩。
①まず行者や修行僧たちが朝護孫子寺から行列をなして練り歩く姿に 神聖な場であるといった緊張感を憶える。
②次に『山伏問答』
この場面は内容こそ違え、カブキの『カンジンチョウ』(カブキ関係用語カタカナにて失礼します)を思い起こさせる。
『山伏問答』内容
他山修行僧
「行事に参加いたしたく候・・・」
信貴山僧侶
「いや、よそ者は入れるわけには行かなく候・・・」
他山修行僧
「せっしゃ、高野山から参った修行僧にて候・・・」
信貴山僧侶
「山伏なればその証を見せていただきたく候・・・」
他山修行僧
「心得て候・・・」
信貴山僧侶
「ここの多くの行者たちが待っておるによって、それならば仕方が無し・・・」
他山修行僧
「かたじけなく候・・・」
(台詞あやふや、内容はざっとこんなところでした。)
信貴山修行所の門を隔てての この山伏の押し問答は予想だにせず素晴らしく宗教色の効いた内容の異なる『カンジンチョウ』を目の当たりにしたようで、興奮と感動のあまりに身震いしてしまいました。
カブキの観劇するのは単なる私事の娯楽に過ぎませんが、信貴山という山間の一角に設けられた修行に入る為の押し問答をみていると、こちらが本物なのだといった感慨深さに涙さえもにじんでまいります。
同席していた夫も同じ感覚に陥ったそうです。
はじめてみたこの壮絶な山伏(信貴山僧侶)たちと本当の信者たち、そして一般の火渡りをすることによって五穀豊穣、無病息災、輪廻などを信じ、願っている方たちが三者一体となって祈る姿は美しいものでしたし、普段感じさせないが仏教徒の多さに日本を感じ、妙に納得してしまいました。
③『山伏問答』に続き 『法弓』
ここでは四方に向かって弓を放ちます。
四方には竹笹が立ててあり、その竹笹には文字の書いた木の札、また神社仏閣によくあるひらひらした紙がつるされています。
おそらく四天王(多門、持国、増長、広目?)と関係してるのでしょうか?
時計回りに天高くはなって行きます。
④『法剣』
これも時計回り、言葉を三度繰り返しで言い放っていきますが、言葉は忘れてしまいました。
⑤そして『斧』などで道場を結界して魔を払う。
これも時計回り。調べてみると仏教では左回りというのは『天』や『男』云々の意味合いを持っているようです。
この左周りは仏教にかかわらず他の宗教(例えばメッカを回る)でも時計回りのことが多いようです。
この『斧』の意味は『道場を結界して魔を払う』意味合いだけではないように私は解釈しています。
斧を掲げて時計回りに横飛びに三回、
『ちょうちょうちょう』
と大きな声で司法をまわっていきます。
この『ちょうちょうちょう』という言葉はカブキ(三度くり返し)では何度も、つい最近では能楽の『小鍛冶』(二度くり返し、三パターン台詞)で聞いておりました。
『小鍛冶』では『ちょうちょうちょう』という言葉はは剣を打つときにの言葉。
おそらく③④⑤は真ん中にこかれて民真には見えているこれから火をつけようとする櫓はないもので、このときの一連の行動で木に拝み、少し土をくぼませ、枝をこぎ、木を切り倒して櫓を組んだといった設定のように理解しています。
このような解釈はどこにも載っていなかったために間違いかもしれませんが、ご勘弁ください。
⑥神仏をお招き(勧請)して
「般若~は~ら~み~た~♪」
と指を組んで祈り、
山伏のほら貝の音色が
『ぅおぉおぉ~~♪ぶぅおぉおぉ~~♪』
と、いくつも天高く響き渡る。
⑦水=お神酒(?)を撒いてから、櫓に火をつける。
櫓に組まれた木々は高校と燃え盛る。
炎と煙は天高く、あの世或いは来世につながるかのごとく空に一直線に上りあがったのでした。
⑧信貴山僧侶は煮えたぎった窯の湯を笹の葉で自分に何度も何度もかける。
⑨そしていよいよ『火渡りの儀式』
まず僧侶に続いて行者、一般信仰者といった順で歩いていきます。
『火渡りの儀式』は無病息災という意味にとどまることなく、それはまるで『現世』から『他の世界そして輪廻』につながる試練の道或いは天高く立ち込めている煙のごとく、『天=極楽』につながる道でもあるかのように感じました。
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