乱鳥の書きなぐり

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平安時代中期の雅楽家、【狛光高】(こまの みつたか 959-1048)とは

2019-03-12 | 舞台・音楽 雑感メモ

 奈良県 氷室神社にて




【狛光高】(こまの みつたか)とは

 959-1048 平安時代中期の雅楽家。
 天徳3年生まれ。
 奈良方狛氏の祖。本姓は小野。
 大友信昌にまなぶ。
 宮廷の楽所にはいって左舞(さまい)の一者(いちのもの)を約40年つとめる。
 従五位上、,左近将監(しょうげん)となり、狛姓をあたえられた。
 永承3年3月1日死去。90歳。
 (日本人名大辞典)


 

 


【狛氏】

 旧三方楽人の一つで奈良南都方の主流。
 興福寺に属した宿禰(すくね)姓の雅楽家。
 祖先は高句麗からの渡来人。
《楽所系図》によれば大唐,高麗,新羅,百済などの舞楽師であり、大宰府庁舞師であった狛好行が祖。
 その後葛古、衆古を経て,冷泉天皇のとき衆行が勅によってはじめて興福寺雑掌となった。
 その4代の孫光高(959‐1048)は左舞(さまい)の名人として家名をあげ、第1代の楽所の左方舞人をつとめ,その後の狛氏の発展の基礎を築いた。
 (世界大百科事典)(

【狛近真】(こまのちかざね:1177~1242年)
 狛光近(こまのみつちか)の娘の夫の興福寺五師聖順(せいじゅん)の子で、狛光真(こまのみつざね)の養子
 従五位上
 狛氏は南都(なんと)方の楽家(がっけ)でした。
 寛弘7(1010)年に左右一者(いちのもの)が置かれた際に左一者となった光高(みつたか)を祖とします。
 後に上、西、辻、芝、奥、東、窪、久保の八家に分かれ、左舞(さまい)と管楽器の伝承を代々行いました。
 近真は舞、笛の両道に優れ、「舞曲の父」「伶楽[音楽]の母」(『舞楽符合鈔』)とも称されました。天福元(1233)年には、総合的な楽書の先駆をなす十巻からなる『教訓鈔』を撰しました。
 (楽人列伝)


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