これから書きまするは、間も口調もかったるい、眉の形だけは超一流の落語家の話。
数少ない経験ではあるが、落語を聞いた。
ほぼご年配の観客を前に、始終、死と隣り合わせのエンディングノートをテーマに、下手で平べったい話を続ける。
起承転結及び落語の文法といった規則からは程遠い。
初めから最後までネガティブな内容のセンスのない噺家のお題は「お楽しみ」というからぶったまげたものだ。
まぁ、「お楽しみ」と云うお題目は、まだ決まってないと云う意味で実際には「エンディングノート」(?)で立ったのだが…。
死やお葬式をテーマにしたものでも、話の展開山や口調や所作によっては真の笑いにもなりうる。
がしかし、この噺家の話を聞き、周りをみていると、前列の若い女客は眠るふりをし、幕がおりた(話が終わった)途端に鬼の形相で帰られた。
あまりにもひどい落語風の駄話であったので、私も周りのご年配が気にかかり、様子を伺ってみる。
すると案の定、ご年配の紳士は、険しい顔をして、演技の途中でお帰りになられた。
また、多くのご年配は笑いながらも、顔をひきつっておられる。
なんと、配慮のない噺家。
それでも力量があれば、観客の様子を見つつ、話の方向性を変えたり、ポジティブな内容も組み込んだりといったアドリブも聞くのであろう。
だが、この落語家は、生憎そういった力に欠ける。
噺家も、うまくいってないことに気づいているのであろう。
顔からはナイアガラの滝といっても過言ではない、それはオーバーなら華厳の滝とでもいっておこうか、兎にも角にも、滝のような汗がひたい方頬から出るわ出るわの大明神。
うん、華厳(けごん)の滝と言っても、決して過言(かごん)ではない。
これでプロかと目を疑う。
前座で出てこられた若手の方の方が、まっすぐで、実力は別としても好感が持てる。
変な方向に走り、変な方向性の笑いを突っ走る落語家。
野田秀樹氏も言っておられるではないか。
「全てが悲劇ではいけない。どこかに救いをおりませねば、話は成り立たない。」
と。
演劇にしろ落語家にしろ、舞台に立つとその人の人芸生が出てしまう。
人の痛みをKYし、ネガティブで救いようのない話を続ける落語家風男性。
彼の話聞いて、幾人の方が喜びを覚え、幾人の方が傷ついたのであろうか。
履歴を見れば、彼はD大学文学部の心理学科専攻だと云う。パンフレットにより、机上の学問を垣間見た一瞬であった。
緊張の緩和(笑)のない、愚話に愚息を吐き「ぐ」の根も出ぬほどに疲れた私。
笑いとは何かを真に考えさせられる機会を与えられたことに感謝しているとでも言って、幕を引こう。
ご訪問いただきましてありがとうございます。
心より感謝申し上げます。
私は落語知らずですので、ご意見がございますれば、何なりとお聞かせくださり、お教え下さいますれば光栄に存じます。
落語は何度か聞きに行ってますよ。^±^
まあ、出版社が落語の本を出すということもあったのですが。
あと、テープで年中録音してました。
子供のころから好きです。^±^ノ
月の家円鏡さん、円蔵師匠が好きですた。^±^;・・・ヨイショット