日本古典文学大系『近松浄瑠璃集上』より『冥途の飛脚』
以前にも何度も読んだ日本古典文学大系(赤)『近松浄瑠璃集上』より『冥途の飛脚』を読む。
今回は、劇団☆新感線の演出を手掛けておられるいのうえひでのり氏のシス・カンパニー公演『近松心中物語』の筋書き([作]秋元松代)と演出において、後味悪く心に残り続け、日にちが経った今も気になっているからである。
所蔵の近松全集や名作歌舞伎全集でも確かめようとは思ったが、そこまでの気力はない(笑)
とりあえず、日本古典文学大系(赤)のみを読むことにした。
『冥途の飛脚』(めいどのひきゃく)とは、人形浄瑠璃の演目のひとつ。全三段、大坂竹本座にて初演。近松門左衛門作。(ウィキペディア引用)
話は、歌舞伎ではあまりにも馴染みすぎていて、人によっては、あれこれ好きな役者で見立てた芝居が、封印切や道行などをこの演出と決め込んで見てみたいと感じることもあるであろう。
また、そういった芝居好きも、『冥途の飛脚』はあれこれ違った演出や志で見てみたいと願う、それほどまでに名作の一つと言える。
日本古典文学大系『近松浄瑠璃集上』を読み終えて、ほぼ歌舞伎に近いが、歌舞伎は美しく膨らましてあったことに気づく。
シス・カンパニー公演『近松心中物語』のように、近松作品を別の芝居に仕立てて演出するのは自由であり勝手である。
古典を軸に新しい芝居が演じられるのもいいことだと感じる。
ただし、原作や伝統芸能である文楽や歌舞伎の出来を上回った素晴らしい作品を望む。
今回、原作を読み直し、芝居知らずの阿呆がこのように感じた次第である。
近松門左衛門は教科にとってなかったのですが、小栗判官を取りましたよ。
近松も取りたかったなあ。^±^;
嬉しいコメントをありがとうございます
古典体系を教科書になさっておられたのですね
小栗判官^^私も講義を受けてみたかったです☆
てくっぺさんは国文学を専攻なさっておられたので、とっても羨ましいです!
古典大系の頭注って、「特殊な語句で、猥雑な内容にわたるものは、わざと注を省いたものがある」とあるのですが、『大経師昔暦』(近松)に、その省いた部分の多いこと多いこと^^
言葉の流れが美しく、面白かったです。