gooブログはじめました!古代からのウソの歴史の訂正と真実を

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ歴史の隠れ話に本物の光を、誠を伝える勇気を子孫のために、

ちょんまげを落とすことを認められる 明治4年(1871)

2011-06-25 17:16:55 | 天武天皇崩御 

2006年08月09日







ちょんまげを落とすことを認められる 明治4年(1871)

「ざんぎり頭をたたいてみれば文明開化の音がする」とは、当時の流行り歌であるというが、江戸時代の象徴とも言うべきちょんまげを、公式に落としてもいいと認めたのが明治4年(1871)のこの日であった。

一応、法令として出されており、法令名は「散髪脱刀令」という。法令名からもわかるが、散髪の他に帯刀についても自由とされていた。ただし、帯刀についてはこれから5年後に廃刀令が出て、禁止されるようになる。

散髪自体は、実は幕末から行われていたのだが、まだ普及率は低かった。しかし、この法令が出ても、多くの人がちょんまげを落とそうとはせず、最初はあまり広まらなかった。江戸時代はちょんまげが普通なのであり、それが明治時代になったからと言ってもそう簡単には落とせない。みんなそう考えるから、街を歩いてみてもちょんまげの人が多い。周りの人と一緒なのを好む人たちは、わざわざ他の人と違うことをしようとはしないのである。

それでも、全国各地に散髪店が普及すると、新し物好きの人は早速散髪をした人もいて、「ざんぎり頭」が少しづつ普及していった。

「ざんぎり」が人々に広く受け入れられるようになったのは、明治6年(1873)のこと。なぜこの年に急に普及したかというと、この年の3月10日、明治天皇が散髪したからであるという。

明治天皇が散髪したことを聞いた国民は「我も我も」と散髪店に行って、一斉に散髪をした。街にざんぎり頭が増ええると、自動的に周りの人と一緒なのを好む人たちもざんぎり頭にする。こうして、1年もすると、ちょんまげをにしている人の方が珍しくなったのであった。

明治天皇のカリスマもうかがわれる一件である。とは言っても、明治天皇がそういうつもりでおられたかどうかは定かではないが。

※写真は『日本の髪型―伝統の美 櫛まつり作品集』。日本の髪型の変遷はそれだけでも一つの文化。古代から現代まで、様々な髪型を実際の人間で再現した写真集です。髪型の変遷がすぐわかります。アマゾンレビュアーの皆さんも軒並み高評価。写真だけでなく解説もあり。値段も内容に比してお安めですヨ。


--------------------------------------------------------------------------------

(キーワード)

●ざんぎり頭(ざんぎりあたま)

漢字で書くと「斬切」、「散切」、「残切」などと書く。明治初期のちょんまげを落とした髪型のこと。

ざんぎり頭は、性格には髷を落として、中央から左右にわけた髪型である。異称は「洋髪」。江戸時代はちょんまげは義務付けられていたので、文明開化の成った明治の時代に古い時代の慣習はふさわしくないとして、わざわざ「散髪脱刀令」なる法令まで出て推奨された。

ちなみに髷を落としても、月代が残る場合は半髪、髷を落としただけだと総髪と呼ばれる。幕末から除々に普及した。
「ざんぎり頭を叩いてみれば文明開化の音がする」という歌も流行ったが、同じように「半髪頭を叩いてみれば因循姑息の音がする」なども流行った。なお、総髪は王政復古の音がするらしい。


--------------------------------------------------------------------------------

明治天皇効果はすごいですなあ。現代も内閣府ではクールビズを推奨して、公務員の方々もそれに倣ってますね。指導者によるお手本は効果があるんですね。

…まあクールビズはね…。暑い夏に当たり前のようにスーツの上着着てる方がおかしいと私は思いますが…。このクソ暑いのに、通勤電車内で上下スーツ着用で汗だくの人見ると、気の毒だなあと思いますよ。まあ営業とかの人は仕方ないかもしれないですが、社内勤務なのに、会社でスーツ着用が決められているとしたら、実に非合理的ですな。夏は暑い!それは当たり前…ならば薄着を認めろ!…という声もあるんでしょうかね…。

それにしても、最近忙しくなってきた!更新がマチマチで申し訳ないです。


最新の画像もっと見る